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バタフライマン 第14話 鉄血の老戦士

ミドリカワ樹海の真ん中を通る山道を二人のハイカーの男が歩いていた。かなりの距離を歩いたところで、一人が疲れを感じて立ち止まった。そしてふと樹海の方を見た。そしてそこにあり得ないものを見た。青白いドレスを着た貴婦人が樹海の奥に立っていたのだ。こんな場所で、行方不明者も時折出るこのミドリカワ樹海にそんな服装の人物がいるはずがない。彼は自分が夢か幻覚でも見ているのではないかと思った。彼はその貴婦人の顔に強い恐怖感を覚えていた。その目は人間の物ではなかったのだ。まん丸でどこを見ているのか分かりづらい。あれは前に見た鶏の目によく似ている。鳥類の目がそのまま人間についているのだ。しばらく見つめていると、その貴婦人と目が合ってしまった。その不気味な目で見つめられた彼の体は一瞬動かなくなった。思わず目をつぶると、貴婦人は姿を消していた。
「何だったんだ?」
 男が首をかしげながら前の男の後を追って先に進もうとすると、
「キェェェェェッ!」
 突然頭上からけたたましい奇声が聞こえ、男の体は空へと持ち上げられ、一瞬にしてその場からいなくなった。もう一人の男は後ろから友人がついてこないことに気づいた。友人の名前を呼ぶが、返事はない。その時、彼の背後からバサバサという恐ろしげな羽音が聞こえた。男は咄嗟に逃げようとした。遅かった。山道に血が飛び散った。
 
 一方、ミドリカワ樹海の近くにあるサンゲツ山の山麓の休憩所に一人の老人が座っていた。老人は小柄だが筋肉質な体に鋭い眼光、威厳のある髭を生やしており、かなりの存在感を放っていた。彼は一人、ここに登山に来ていた。名をオカザキ・ダンという。彼は数十年前の大戦に参加していた兵士だった。南洋の島で敵国の兵士と壮絶な戦いを繰り広げたのだ。その頃の彼にいい思い出など何一つない。戦争は人類にただの一つの利益ももたらさない。「御国のために」とは言えども国のためになることは皆無である。無益と言う言葉を体現したような行為だ。国同士の児戯にも等しい下らぬ諍いや奪い合いのせいで人々は徴兵され、殺人に手を染めるよう命令される。普段は法で禁止しているにも関わらずだ。未来ある優秀な若者は戦地へと駆り出され、戦闘機に搭乗し敵の戦艦に突っ込み、その命を無駄に散らす。戦争に善も義もない。争いで物事を決めようとした愚かな指導者と、その犠牲者である兵士たちがいるだけだ。ダンのいた戦場には勇壮な戦士の姿などなかった。兵士たちは醜い殺し合いをしていたにすぎない。戦場はこの世の地獄だった。そのことを思い出すだけでも硝煙の臭いと腐臭が漂ってくる。彼の脳裏にその時の記憶が蘇った。彼は頭を抱えてため息をつく。するとそこに一人の男が現れた。男は三十代くらいで端正な顔立ちをしていた。
「こんにちは。あなたがオカザキ・ダンさんですよね。」
「そうだが。」
「お渡ししたいものがありまして‥」
  そういうと彼は根付のようなものを手渡した。団子虫の形をしており、手に持つとずしりとした重みがあった。
 
「これは…」
「それを持っていてください。あなたのような人にぜひ使ってほしいのです。」
「何に使うんだ?文鎮か何かか?」
「それは…いずれ分かる時が来ます。使う時が来たらこう言ってください。『装身』と。」
「それはどういう時なんだ。」
「目の前に得体のしれない怪物が現れたら‥使ってください。」
 男はそう言うと、その場から立ち去って行った。
「全く‥何なんだあれは。」
 ダンは大儀そうに金属でできた団子虫を服のポケットにしまった。
 
 そのころ、カイジン一族の巣では、レイブンと側近のブルーシャークが話していた。
「我々の巣の場所は突き止められてはいないな?」
「はい、このミドリカワ樹海に入るものはグレイヘロンが始末しております。問題ありません。」
「そうか、口はきけなくともあの女は意外と使えるな。」
 レイブンたちの巣はミドリカワ樹海の地下にあり、グレイヘロンという女カイジンに守らせていた。樹海に足を踏み入れるものはグレイヘロンが排除し、食糧として基地のカイジンたちに供されていた。この樹海で行方不明者が多発していたのもそのためだ。先程も二人の登山客がグレイヘロンに処理された。この樹海はレイブン一派の縄張りの中心なのだ。しばらくすると、青白いドレスを着た貴婦人がレイブンの部屋に現れた。整った顔立ちだが、目は鳥類のそれだった。グレイヘロンである。彼女はレイブンに登山客二人を始末したことを伝えに来たのだ。彼女は男の死体を持っていた。
「またやったのか。いい仕事ぶりだ。食糧庫にしまっておけ。もう一人はお前が食べろ。」
「キキィッ!」
 グレイヘロンはそう叫ぶと男の死体を持って行った。すると基地内のモニターに樹海の山道を一人歩く老人の姿が映っていた。
「またか入って来たか‥」
「グレイヘロン!始末してしまいなさい!」
 ブルーシャークが食糧庫から戻って来たグレイヘロンに命令した。
「キィ――ッ!」
 グレイヘロンはそう叫ぶと両腕を翼に変え巣から出て行った。
 
 ダンは樹海沿いの山道を特に疲労したそぶりも見せず若者のような足取りで軽々歩いていた。彼は兵士を引退し年を取ってもなお鍛錬を怠らず、肉体を若く保っていた。彼は自分の強さを権力者の駒としてではなく、一人の人間として、義のために行使したかった。兵士とこの肉体をくだらぬ戦争のためではなく、牙なき人々のために使いたかったのだ。そして彼にはその機会が近づきつつあった。しばらく山道を進むと、木の枝に何やら赤いものがぶら下がっているのに気付いた。不審に思ったダンはその木に近付き、驚愕した。そこにぶら下がっていたのは人間の手足だった、横の枝には目玉らしきものも引っかけられている。干し肉の要領でそれらが枝から下がっていたのだ。こんな残酷な光景は戦場でも見たことがない。この樹海には蛮族がいるのだろうか。そんなことはあり得ないはずだ。熊があんな高いところに餌を置くとも思えない。その木の根元をよく見ると、青白い鳥の羽根が落ちていた。
何事かと思いそれを拾い上げようとすると、
「キィェェェェェェェェ!」
 上空からけたたましい人のものとも鳥のものともつかない鳴き声が轟いた。ダンが咄嗟に上を見ると、そこには両腕が鳥の翼になったドレスを着た女がいた。鳥類の目をしたその女はダンの方を見るとニヤリと笑った。ダンは先ほどの男の言葉を思い出した。これこそまさに得体のしれない怪物だ。ダンは身構えた。最近この樹海で行方不明者が相次いでいると聞く。それは間違いなくこの怪物の仕業だ。未知の生命体なのか物の怪のたぐいなのかは知らないが、人間に危害を及ぼす存在には違いない。これを倒さねばまた犠牲者が出るだろう。彼は鉄の団子虫をポケットから取り出した。もし、これに本当に怪物と戦える力があるなら、この老いぼれた自分に戦える力を与えてくれるのなら、使うしかない。国家の下僕として無為に戦うのではなく、人々の命を守るために戦う。これこそダン自身が理想とする正しい力の使い方である。
「確か‥『装身』だったか…まさか、また戦うことになろうとはな…」

ダンは団子虫を構えた。そして
「装身…」
静かにそう言った。
「Armadillidium vulgare」
 何かの異国の言葉で音声が鳴り響くと、冷たかった金属製の団子虫が熱を帯びはじめた。団子虫は激しく発光し、いくつかのパーツに分かれて体に纏いつき始めた。気づくとダンは団子虫を模した重厚感溢れる鎧に身を包んだ戦士となっていた。黄色のモノアイや青黒い装甲は空想小説に登場する強化服のようだった。
「キィィィィィィッ!」
 自分が装甲を纏ったことに驚いている暇もなく怪物は襲いかかってくる、怪物はいつの間にか完全な鳥人に変じていた。かろうじて人間の姿を保っていた顔も鷺そのものになっている。怪物はダンの体に嘴や爪で攻撃してくる。しかし、硬い外殻に包まれたダンの体には傷一つつかない。ダンは怪物の体を掴むとその拳で力いっぱい殴りつけた。怪物は数十メートル吹き飛ばされて木に激突する。
「キィィ‥」
 怪物は一瞬怯んだがすぐに翼を広げて襲いかかってくる。ダンの胴体に嘴を突き立てようとしているらしい。ダンはすぐに体勢を低くして身を守ろうとする。彼が屈んだ瞬間、強化服が変形し、ダンの体は完全な球体になった。その球体めがけて怪物が突っ込んでくる。嘴が球体となったダンの体のど真ん中に直撃した。しかし、わずかな傷一つつくことはなかった。
「キィ?」
 敵がビクともしないことを不思議がった怪物―グレイヘロンは何度か爪で蹴りを入れたり
また嘴でつついたりして、ダメージを与えることを試みるが、全くもって通用しない。ダンは何度か攻撃を受けると、球体化を一部解除して腕を出した。そしてその外殻をつつき続けていたグレイヘロンの首根っこを掴んだ。ちょうど鶏の首を締めるかのように。
「久しぶりに血がたぎって来たぞ‥化け物鳥が。」
「キィーッ!」
 ダンは人型に戻ると、その首を掴んだまま彼女の体を引きずりながら山道を進み始めた。
グレイヘロンは翼をばたつかせて藻掻くが、ダンの剛力には抗うことが出来ない。そのまま彼女は小高い丘まで連れていかれた。丘の上に着くとダンは暴れるグレイヘロンの右の翼を掴み、そのままへし折った。彼は手際よく左の翼もへし折り、そのまま丘の上からその体を投げ捨てた。飛ぶことが出来なくなったグレイヘロンは数十メートル落下し、その場でのたうち回っていた。
「すぐに楽にしてやろう。」
 ダンはそう言うと、体を球形に変形させた。そしてそのまま丘の上から勢いよく転がりおちた。
「玉砕人間弾丸!」
 彼はそう叫びながら落石のようにグレイヘロン目掛けて一直線に転がり落ち、その体の上に着地して、その体を押し潰した。
「ギゲェェェェェ!」
 グレイヘロンは全身を重圧で粉砕され、耳障りな断末魔を上げながら絶命し、その体は灰となって宙に舞った。
「終わったな…」
 ダンはそう言うと装身を解除し、何事もなかったかのように山道に戻り、静かに歩いていくのだった。
 
 一方レイブンの巣では
「グレイヘロンがやられた!」
 レイブンが悔しげにそう叫んだ。
「落ち着いてくださいレイブン様。これは想定外の事態です。」
「これが落ち着いていられるか!」
 基地の守り手がいなくなったこと。「繭」の戦士がまた増えたことが重なってレイブンは追い詰められ始めていた。
「もはや後はないやも知れぬ‥」
 レイブンはぼそりとそう呟くのだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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