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わたしが映画として見た『Tokyo Summer』(脳内で)

2014年公開の『Toyko Summer』という映画を観たのでその感想を書きます。
当時、東京国際映画祭で上映していたはずでパンフレットで名前を見かけた記憶があるだけの映画だったのですが、こないだGyaoで無料で観れました。

予告編はこちら。


物語は以下のような場面から始まる。
カナダのホテルで一人寝起きする穣一。
彼がある夜、バーで出会った日本人の今日子と一昼夜を共にする。
今日子という人物の背景は一切語られず、この映画は終始、穣一の視点から描かれる。
穣一は昨年まで日本の刑務所にいた。横領で二年服役していたのだが、実際は長年横領していた友人の同僚に巻き込まれ、罪を着せられた形で実刑判決を食らってたのだ。大手の商社勤めだった立場もなくなり、以前から関係の冷えていた妻との縁も刑務所に入る前に切れてしまった。
そして、自分が刑務所にいる間に罪を免れたカナダで暮らし始めたと聞いてカナダに来たのだという。
「復讐のため?」
出会ったばかりの、表情の変化も乏しい穣一の嘘か真かわからない話を聞いた今日子は冗談めいてバーでそう尋ねた。穣一は少し返答に困った様子を見せるが、違うと呟く。
実際のところそうではないと言い切れなかったが、しかし明確なその意志を持っているわけでもなかった。
ともかく日本にいたときのことを全て忘れさせてくれるような今日子との時間が始まった…

穣一の目的は何なのだろうか。そもそも自分を嵌めた同僚に行き着くあてもなく、かと行って必死に出歩いて探し回るわけでもなさそうだった。冒頭ホテルのプールに浸かっていたように、今日子と出会う前は異国まで来てホテルのプールと近くのバーに通うだけの時間を過ごしていたのだろう。
しかし、ベッドの中で彼が今日子に語る話を聞くと、そもそも目的などなかったことがわかる。
彼が逮捕されてから、施設にいた彼の母の認知症は悪化し、出所後に会いに行くと彼の顔も覚えているのかわからない様子だった。
会社を追われ、妻に逃げられ、親にも忘れられる。生まれ育った東京に何も残っていない彼はただただ逃げ出したかったのである。
緩やかに破滅に向かう穣一を今日子は遊園地に連れ出す。
この遊園地で穣一が体験するものだ全て死を連想させるものであるのが面白い。擬似的なスカイダイビング、肉食恐竜のロボット(捕食のシーンの再現)、蝋人形館。ここに本物として存在するものは何もなく、穣一のこの小旅行自体がまさに現実からの逃避だと思い知らされるようだ。
(また、蝋人形館では、生きているはずの穣一の方がライティングの効果か生気がなく、蝋人形の方が生き生きとしており今日子もそちら側に寄り添っている)

ここで、今日子はプリクラを撮ろうと言う。穣一は最初乗り気ではなかったが「帰ってお母さんに渡したら?妻と一緒に撮ったと言って」と笑って誘われ承諾する。
このシーンを見ていて、そして背景の描かれない女が寄り添う破滅に向かう男というのを思い返していると…この映画が『バッファロー’66』のオマージュだったのかとようやく気づいた。『バッファロー’66』にも母親に送るため証明写真を撮るシーンがある。
そして、この後にも、今日子がボウリング場で唐突に踊り始めるシーンが続く。


ただ、ビリーと違って穣一が救われるのかは、この映画ではわからない。
今日子と別れてから、穣一は覚悟が決まったような目である一室へ向かう。そのとき脳裏に過っているのは、あの恐竜たちが喰らいあう場面である。
決定的な場面は何も描かれない。ただ、その後一人で瀑布を眺めるだけで終わる。

というわけで『バッファロー’66』に見飽きた人におすすめです。
ビリーよりは穣一の方が真人間な分、可愛げはありません。

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