婚活でよくある「尊敬できる人がいい」の難しさ。

 少し前、某結婚相談所の仲人さんのTwitterで、「どんな人と結婚したいかという質問に『尊敬できる人』と回答する人が多い」というのを見た。実際、私も尊敬できる人とパートナーシップを組みたいと思っている。

 けれど、「尊敬できる」の定義によっては、だいぶ難航しそうな気がする。特に、「ここがダメ」「ここが不安」という減点方式で活動する人との相性は悲劇だと思う。一番コントロールしやすい自分自身でさえ自己嫌悪で減点するのだから、「すごく尊敬できる」にたどり着くには相当な審査をクリアしている必要がある。

 女性側が上方婚(年収や学歴が上)を求めることは(女性の方が優れる必要はない、という上の方の暗黙・明白両方の要請のせいもあり)あまり問題視されないが、もしも「自分よりいろいろと優れている人」を「尊敬できる人」と定めているのだとしたら、苦しくなってしまう気がする。


 これが、加点と減点がある程度フラットにできる、あるいは、多角的に判断して「こういうマイナスも見方を変えたらプラスだ」とリフレーミングできる、そういったタイプであれば、「尊敬できる」というポイントは満たしやすい。あるいは、そもそも、世間の基準でマイナスと言われるようなことも、そもそもマイナスに感じない自分軸があればなお容易だろう。「難関大学に入ったことも、高校卒で自発的に学びながら働いていることも、学ぶ姿勢が素晴らしいという点で同質」という価値基準ならば、そもそも学歴で「尊敬」を決めることにはならない。


 さらに、「自分では苦手な部分において、すごく優れていて、尊敬できる」という考え方で見ていかれれば、かなり楽になるだろう。

 この視点がほかの二つと大きく異なるのは、「相手のみ」を眺めているか「相手と自分」で眺めているかだ。そして、実際パートナーシップの相手を吟味する場では、「二人の組み合わせとして、自分の強み・弱み、相手の強み・弱みとして、幸せを増していかれそうか」という点でのシミュレーション(できれば自分の頭の中だけでなく相手との共有、すり合わせ)の方が効果的だと思う。


 「価値観の一致」という観点では自然と「相手と自分」で見ているのに、「尊敬」という観点だと不思議と相手のみに絞ってしまうことが散見されたので、なんとなく文章にしてみた。

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