日本のテクノ史199X テクノはいかに聴かれ、作られ、語られたのか?

このテキストは1990年代の日本のテクノの歴史を史料から辿ったものです。数年前に発売予定だった某音楽書籍に収録されるはずでしたが、結局出ないまま時間が過ぎました。お蔵入りさせるのももったいのでnoteに出してみます。文中で「本書」と言っているのは、その本のことです。「出る予定だったけど出なかった本を読んでるんだな……」という気持ちで読んでください。約2万字です。

見出しだけ先に抜き出します。2000年代以降は言及してません。

■「日本のテクノ」とは何か
■1988年、テクノとセカンド・サマー・オブ・ラヴの誕生
■日本におけるDJブームとデトロイト・テクノの輸入
■メディア上の認知とDELICのテクノ化
■ハードコア・テクノ旋風とジュリアナTOKYO開店
■テクノポップ再評価からYMO再生へ
■90年代東京テクノ・シーンの胎動
■ケン・イシイの登場による国内シーンの活性化
■電気グルーヴの『VITAMIN』の成功
■テクノボンとテクノ専門学校による啓蒙
■クラブ・ミュージック誌の相次ぐ創刊
■レーベルの多様化とシーンの移り変わり
■トランス・シーンの盛り上がりの可視化
■「Natural High!!」と野外イベントの起こり
■多様化/普遍化するテクノの状況=ポスト・テクノ
■エピローグ

(※2015年8月11日11時22分に誤字など修正しました)

(※2015年9月16日2時53分にいくつか画像を追加しました)


「日本のテクノ」とは何か

本書が取り上げる「日本のテクノ」とは、たとえば「デトロイト・テクノ」とか「ロッテルダム・テクノ」と同じような語法だと思ってほしい。それぞれの国で育ったシーンがそのまま世界標準としても機能するような、ローカルとグローバルが初めから一体化していた音楽がテクノであるという前提のもと、テクノという世界音楽における日本の固有性を炙り出すことを目的の一つとし、そのためにまず歴史を概説していく。
日本のテクノは1993年という年が転換期になっており、本書が1993年以降をメインに取り上げているのはそのためだ。ただしそれまでにもテクノと呼ばれる音楽がなかったわけでも聴かれていなかったわけでもない。そこを説明するために、回りくどくも話は1988年から始めたいと思う。

1988年、テクノとセカンド・サマー・オブ・ラヴの誕生

前提知識として、ダンス・ミュージックの歴史に「テクノ」が登場するのは1988年4月、Virgin傘下の10からリリースされたコンピレーション『Techno! The New Dance Sound Of Detroit』(DIXG75)がリリースされてからと考えるのが一般的である。当時盛り上がっていたハウス・ミュージックへのデトロイトからの回答として企画された本作に、英国カルチャー誌『THE FACE』は1988年5月号でいち早く反応し特集「motorcity techno」を組んだ。この記事ではJuan Atkins、Masters Of Ceremony、Derrick Mayがコメントを寄せ、デトロイト・テクノがどのように誕生したかの経緯が語られている。英国で本格的に認知されるのはバーミンガムにあるKool Katがデトロイト・テクノを多数ライセンスし、1989年にサブレーベルのNetworkからリリースを開始してからとなるが、その萌芽は1988年にあった。
同じ年、英国音楽誌『NME』が7月16日号の特集「New Summer of Love」でE(エクスタシー)とレイヴ・カルチャーを初めて大きく取り上げ、一大ダンス・ムーヴメント「セカンド・サマー・オブ・ラヴ」の幕開けとなる。野外レイヴで広く聴かれたのはアシッド・ハウスとバレアリック・ビートだったものの、「テクノ」と「セカンド・サマー・オブ・ラヴ」が同じ1988年に姿を現したことは興味深い符号だろう。この二つが結びつきデトロイト・テクノの評価が飛躍的に高まるのは90年代に入ってからになる。

日本におけるDJブームとデトロイト・テクノの輸入

英国でダンス・カルチャーが爆発していた1988年、日本ではDJカルチャーが台頭しはじめていた。というよりも、若者が憧れる職業としてDJという存在自体が流行していた。3月には日本初のDJ専門誌『DJ BIBLE』(日本DJ連絡会)が創刊している。
そうしたDJと密接な音楽としては、ハウス、ヒップホップ、レア・グルーヴがメインだった。ハウスはアシッド・ハウスの流行が日本にも伝わっており、ヒップホップは若者文化の中心的存在だった雑誌『宝島』が定期的に紹介していたことで注目度が高く、レア・グルーヴはヒップホップのネタ元として中古レコード屋を賑せると同時にアシッド・ジャズへも流れていく道筋だった。これらを定期的に紹介していたのは、この年の7月に創刊し現在も続くフリーペーパー『The Dictionary』(クラブキング)で、創刊号の巻頭は「ACID GROOVES」というレア・グルーヴとアシッド・ハウスをとり上げたコラムだった。
では肝心の「テクノ」ことデトロイト・テクノはどうだったかといえば、やはり同年に輸入されている。もっとも現場でのプレイが早かったのは、1988年9月23・24日に六本木インクスティックで開催された「京浜兄弟社プレゼンツ・テクノ大感謝祭」におけるECDではないだろうか。このイベントの2日目、24日にECDは、新宿CISCOで買い漁ったというKMS、transmatの12インチを流しながら「デトロイト・テクノと言われています」と早くも紹介しているのである。当時どこでデトロイト・テクノを知ったのか、ECD本人に直接話を聞く機会があったのだが、「(藤原)ヒロシ君のラジオだったと思う」とのことであった。当時の藤原ヒロシは複数のラジオ番組の選曲を担当し、リミックスや出演を多数行っていたので、残念ながらその中のいつどれかは判断がつかない。ただ、明確な記録は見つからないとしても、藤原ヒロシが日本で一番初めにデトロイト・テクノを電波に乗せた可能性が限りなく高いことは指摘しておこう。

印刷物メディアとしては、『TECHII』10月号(音楽之友社)のハウス・ミュージックについての文章に「今やロンドンやデトロイトに飛び火」と匂わす記述を見つけることができるが、実際のレコードを見せながら紹介したのは12月発行のDJ入門書『ULTIMATE DJ HANDBOOK』(日之出出版)がおそらく最初である。この本に収録されているHEYTA×木村コウ対談において、KMS、Metroplex、transmatといったレーベル名を出しながら、Inner CityやRhythm Is Rhythmの12インチを「このへんが“デトロイト・テクノ”って言われだしてるのね(木村)」「今、一番新しい音楽って言えるんじゃない(HEYTA)」と紹介している。『Fool's Mate』12月号のレコード・レビュー欄にも「NYのトレンディな人々(白人、黒人区別無く)の中のロンドンMAG愛読者達に支持され始めたのが、何とアシッドやテクノ(デトロイト産ハウスの事。YMOとは無関係)」という解説がある(書き手=鷲見和男)。これらを見ると、まだハウスの一潮流とはいえ、この年に種はすでに撒かれていたことがわかるだろう。
なお、ずいぶん後の、デトロイト・テクノに注目していた日本人がまだ百人もいなかったであろう1991年末、生活実験劇場東京パーンで行われたイベント「THE FUTURE AND YOU」にDerrick MayがDJで来日している。今西裕次のファッション・ショーで幕を開けたこのイベントの他の出演者は、DJに寺田創一、ダンサーにジュジュ・アンド・コズミック・ダンサーズ、VJにHyperdelic Video。この時、Derrick May目当ての数少ない客の一人だった若きケン・イシイは、DJ終了後のDerrickに自作のデモテープを手渡したという。1992年8月にはX-101、X-102、Underground Resistanceなどのデトロイト・テクノ勢をアルファ・レコードが初めて国内盤CDとしてリリースしたものの、明らかに早すぎたため、大きな話題にはならなかった。欧州でデトロイト・リヴァイヴァルが決定的になるのはDerrick Mayの新曲が収録された1992年末のコンピ『Virtual Sex』(独BUZZ-2100007)リリース頃だった。

メディア上の認知とDELICのテクノ化

1990年になると、音楽雑誌などでもデトロイト・テクノの名前はちらほらと目に入るようになってくる。たとえば『ミュージック・マガジン』1990年5月号のサロン・ミュージック『サイキック・ボール』のアルバム・レビューでは「1曲目はアシッド・ハウスやデトロイト・テクノを思い起こさせるところが大」と、ある特定の音楽スタイルを想定して書かれているし(書き手=高橋健太郎)、『宝島』1990年9月9日号のクラブ・ミュージック特集ではハウス・ミュージックの図解の中に「デトロイト・テクノ」が要素の一つとして当然のように置かれている(構成=HEYTA)。

この年にクラブ「マスマティック・モダン(通称M2)」を開店した元『ロック・マガジン』編集長の阿木譲は、8月に出した単行本『E』(ノイ・プロダクト)の12インチ・レビューで次のように書く。「88年にデトロイト・テクノとして2枚組のコンピレーション・アルバムが発表された時、インダストリアル・フリークスとしてエレクトロニクス・ミュージックを聴いてきた耳にとてもショックな体験だった」「ハウスやアシッドへスウィッチ・チェンジしたのは、このデトロイト・テクノを聴いてからと言ってもいいだろう」。『E』自体はほぼボディとアシッド・ハウスのディスク・ガイド本だが、阿木の関心をハウスへ導いたのがデトロイト・テクノの音だったというのは見逃せないポイントである。
とはいえ、この年の最も重要な出来事といえば、ネオアコのミニコミだった『DELIC』が4号(10月)で全面リニューアルし、ボディ、ハウス、テクノ、ニュービートを中心としたエレクトロニック・ミュージックの専門誌になったことだ。膨大なディスク・レビューと、国内外ミュージシャンのインタビュー(初期は洋雑誌からの翻訳も)が基本構成。小暮秀夫と渡辺健吾(KEN=GO→)による誌面は現在から見てもかなりの情報量で、音楽の地殻変動に対する熱量は圧倒的である。

同じ年に創刊した『MIX』(0号は1990年4月)は、ビジュアル系専門誌にリニューアルした『Fool's Mate』の旧スタッフがほぼそのまま編集していたロックとダンス・ミュージックの折衷的な音楽誌で、ハウスとマッドチェスターを主軸とした編集はロック・ファンに対するアプローチとして有効だった。『MIX』は翌1991年に『remix』としてリニューアルし、よりクラブ・カルチャーへ接近する。

ハードコア・テクノ旋風とジュリアナTOKYO開店

1991年5月に芝浦に開店したジュリアナTOKYOの存在は、良くも悪くも日本の「テクノ」認識に多大な影響を与えた。ジュリアナは英国の会社ウェンブリーが日商岩井と合同で出店した大型ディスコで、週末には3000人を超える人が詰めかけた。1989年に先に芝浦に開店しハウスの普及に一役買ったゴールドと比較して、大衆路線を武器に急成長する。
ごく初期のゴールドとジュリアナは流れていた音楽にそれほど違いはなかったといい(ジュリアナが最初に招聘した海外アーティストはTechnotronic)、とくにどちらのフロアでも流れていたのがハードコア・テクノである。メタル・ハウスともデス・テクノ(この呼び名は1991年後半に渋谷周辺で使われ同年12月発売の『PUMP』6号の小特集で広まった)とも呼ばれた世紀末感溢れる激しいサウンドはレイヴの状況を一変させ、世界中でレイヴ・サウンド=ハードコア・テクノという認識が広まった。ハードコアの登場によってテクノはハウスから分離したといえる。

そのハードコア・テクノを日本のお茶の間に認知させたのがジュリアナである。店内に設置されたお立ち台と呼ばれるダンス・スペースには、扇子を振り回しボディコン姿で下着も隠さずに踊る女性客が増殖していた。このお立ち台がテレビで扇情的に放映されることで、ジュリアナ=性風俗の延長のハコというネガティヴなイメージが浸透していく。ジュリアナがテレビで紹介されるたびにBGMに使われるのはハードコア・テクノで、ジュリアナとともにハードコア・テクノへの評価もネガティヴ度が増していった。
一方で、それをそこまでシリアスに捉えない層にとっては1992年から始まったコンピCDシリーズ『JULIANA'S TOKYO』(avex trax)はハードコア・テクノのありがたい入門編となり、国内の単一ディスコ・チャートからセレクトされたオフィシャルなコンピCDは日本初で、20万枚を突破する爆発的ヒットとなる。
その勢いのまま1993年1月には「Juliana's Tokyo Mega Rave'93」を晴海国際見本市会場新館で開催(出演はM-AGE、アンティカペラ、プラザ・カーン、T99、En House)。CDリリース元のavex traxも1992年12月から翌年1月にかけて元・横浜ベイサイドクラブでレイヴ・パーティを行い(小室哲哉がプロデュースしたtrfのデビュー・イベントでもある)、その手ごたえから1993年夏に「avex rave'93」を東京ドームで開催、5万人を動員した(1994年も開催し5万5千人動員)。この頃、ある層にとってレイヴとはトレンド用語であり、テクノとは「ジュリアナでかかっているような音楽」かつ「avex traxがリリースするような音楽」という状況だった。
もちろんそれに対する反発は当然あり、1993年のthe Prodigyの来日ライヴがジュリアナで行われた際、『DELIC』のKEN=GO→は「the Prodigyがジュリアナでライヴをやるなんてなんたることか!」といった内容のビラを配布しavex traxの人に怒られたという。結果として『DELIC』8号(1993年9月)にthe Prodigyのインタビューが載るといういい方向に収まったようではある。

テクノポップ再評価からYMO再生へ

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