見出し画像

J-RAPってそういうことだったのか会議

「Jラップ」という言葉が1990年代半ばに登場しました。これは一体なんだったのか?を改めて書いてみましょう。〈※追記あり、有料部分を追記で検索〉

前提1・1994年のムード

日本のヒップホップは1994年3月9日発売のスチャダラパーfeaturing小沢健二「今夜はブギー・バック」のヒットが出るまで冬の時代だった、と言われます。前年の1993年に当時の新人たち、GAS BOYS、TOKYO NO.1 SOUL SET、YOU THE ROCK & DJ BEN、キミドリ、A.K.I.PRODUCTIONS、ライムスターなどが次々とアルバムをメジャーから発表したのですが、どれもレコード会社からの期待に応えるほどの売上にならず、メジャー会社はヒップホップのリリースに対し消極的になるところだったのです。

ところが「ブギー・バック」が売れて、その次、同年8月21日発売のEAST END×YURI「DA.YO.NE.」が北海道のFM局から火がつき、1995年まで続くロングセラーとなったことで、音楽誌に限らずファッション誌もラジオもテレビも含めて大きな注目を集め、ヒップホップがにわかブームになります。この時、「Jポップ」のように使われた言葉が「Jラップ」でした。が、この2つのヒットはJラップとは直接関係ありません。単に時代背景の説明でした。

前提2・1995年のムード

何も知らないで「Jラップ」という言葉を聞くと、そのまんま日本語ラップのことダヨネ!と思うはずですが、ここには複雑なものがありまして、“現場”のアーティスト達からはこの言葉はことごとく嫌われました。なぜかというと、現場から出てきた言葉ではなく、商業的なラベリングだから……というわけです。一言で言えば「リアルじゃない」となるでしょう。

最も早く反応した現場の声はECDの楽曲「MASS 対 CORE」。1995年3月1日発売のアルバム『ホームシック』収録曲です(同曲はプロモ12inchが出てます)。この曲に出てくるパンチライン。

MASS 対 COREならゲリラ戦 アンチJラップ ここに宣言

ECDがアンチJラップを宣言したことで、ヘッズ達はJラップを信用しないのが基本姿勢となるわけです。Jポップの延長で流行り物としてラップを聴いてる人達(マス=大衆)のものがJラップ、自分達(コア=モノの中核部。核心)はヒップホップ、という区分けではないでしょうか。

これに続いて、1995年7月に曲が完成していながら、所属レーベルからリリースを見送られ、翌1996年春に自主制作の12インチで出たLAMP EYE『証言』に登場する、YOU THE ROCKのフレーズ。

巻き起こすJ-RAPとの戦争

そして極めつけは1996年7月7日に日比谷野外音楽堂で開催されたイベント「さんぴんキャンプ」での、ECDの第一声。

Jラップは死んだ 俺が殺した

こうして、「MASS対CORE」「証言」という1995~1996年を代表するトラックの2つにJラップ批判が登場し、コアなヒップホップイベントである「さんぴんキャンプ」の第一声がこれ、ということで、「Jラップ」なる言葉は廃れていきます。

当時の反発を他にもちょっと探してみましょう。下記はキングギドラのK DUB SHINEの発言から。

ここから先は

4,685字 / 2画像

¥ 300

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?