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渋谷陽一の一番最初の論争

ロッキング・オン・グループ・渋谷陽一社長、病気療養のため入院 山崎洋一郎氏&海津亮氏が職務代行という報道が数日前になされました。心配です。今回は渋谷陽一とロック批評について書いていきましょう。

渋谷陽一は日本の音楽評論のスタイルを一つ決定的に作った人物であり、是非は置いといて好みも分かれるとして(そもそも分かれないような音楽評論家はいないだろう)、歴史的にその影響力の強さで右に出るものはいないだろう、と思います。

1972年にロック雑誌『ロッキング・オン』を創刊し、それを現在まで刊行し続けられているのは、そのスタイルが一定の支持を集めているから、と言っていいでしょう。音楽評論家が音楽雑誌を創刊した事例は、ミニコミであれ商業誌であれ、結構ありますが、それを定期刊行で継続することの難しさは、現在そうした他の音楽評論家の雑誌が出ていないことから想像がつくと思われます。

さて、渋谷陽一は論争好きでも有名です。喧嘩を売ることもあれば買うこともある。本当に論争が好きなのかは知らないですけど、挑発的な文体で喧嘩を誘発する態度だ、という点はファンでも否定できないのではないでしょうか? 知らない人は「渋谷陽一 論争」で検索するといくつか出てきます。

今回はその一番最初を発見した!のでその話。まずは「一番最初っていつの話だ?」と時期を想像してから以下をお読みください。

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チン! 正解は1971年です。『ロッキング・オン』創刊より前じゃん! 今から50年以上前にもう論争してんのかよ! 解説します。

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