見出し画像

CSV渋谷について知ってることすべて

1985年11月29日から1988年1月17日まで渋谷にあったオーディオ&ヴィジュアル・ショップ「CSV渋谷」についてのまとまった情報は、ウェブにない。というより、書籍やら雑誌やら紙媒体にもほぼない。その後の様々な音楽文化の起点になった重要な場であったにも関わらず、である。なのでここは「CSV渋谷って名前をたまに聞くけど、何?」という人のために参考資料を提示しようという有料ページだ。

見出しだけ先に抜き出しておく。

■開店について
■CSV渋谷の基本情報
■フロア解説(1987年3月頃のパンフレットより)
■CSV渋谷の設計データ(開店時)
■CSV渋谷提供のラジオ番組
■店員(判明している人のみ)
■CSV渋谷の会員組織
■CSV渋谷発行の印刷物
■CSV渋谷発行のカセットマガジン『Hi’lde』
■CSV渋谷発売のミュージックビデオ
■CSV渋谷運営のオリジナルレーベル「1ℓ RECORD」
■CSV渋谷オリジナル特典がついたリリース(判明分)
■S.M.Bについて(CSV渋谷期のみ)
■CSV渋谷開店時のメディアでの取り上げられ方
■CSV渋谷のイベント年表(店外イベント含む)
■閉店について

画像1

■開店について

CSV渋谷はスーパーマーケットで知られるダイエーが運営していたお店である。なぜスーパーマーケットが先端的な音楽&映像ショップを始めようとしたのか?といえば、同じ小売業のライバルである西武流通グループが、1983年に六本木にオープンした多角的音楽ショップ「WAVE」を成功させたのを見て、自分たちもやろうと考えた……と見るのが一般的だ(そう明言したわけではない)。

ダイエーは1980年2月に小売業界初の売上高1兆円を突破したものの、1983年からは3期連続赤字となり、CSV渋谷がオープンした1985年はV字回復を目論む「V革」を行っている最中だった。このV革を指揮していたのは副社長・河島博。河島は1982年5月にダイエーに入る前は日本楽器(ヤマハ)の社長を務めていた人物である(正確には、1980年7月にヤマハを退社しコンサルタント業をやっていた最中に、ダイエーのカリスマ経営者・中内㓛に声をかけられた)。ヤマハの経歴を持つ河島が、改革の一環として音楽関連の事業に手を伸ばしたのではないか、という推測ができる。CSV渋谷のために外部からやってきた常務・柳井淳一もヤマハ出身である。

西武の六本木WAVEは巨大なビルであり、1階に新作情報、チケット売り場、旅行サロン、ビデオレンタル、カフェバー。2階にビデオ/LD、映像編集スタジオ、オーディオ関連商品、雑貨。3階にポピュラー音楽のレコード/CD。4階に書籍、クラシックやジャズのCD、音具。5~7階にプロ専用のスタジオ「セディック」。地下に映画館「シネ・ヴィヴァン六本木」。……という布陣だった。CSV渋谷はこれを参照したと考えられ、音楽ソフトに映像ソフト、映像編集スタジオや録音スタジオはもちろん、書籍販売や、映像の上映ができるサロンもあった。後発ゆえの差別化としては、自主制作盤に力を入れ、スタジオはアマチュアが活用できる低価格帯にしたこと、中古レコードも扱ったこと、インストアライブができるスペース「GALA SPACE」を設置したこと等に独自性がある。

また、渋谷という土地を選んだことにも先見の明がある。90年代に渋谷宇田川町近辺が“レコード村”と呼ばれたことがあったが、渋谷が音楽ソフトの街として知られる何年も前にオープンしているのだ。80年代は「屋根裏(1975年12月26日)」「Egg-man(1981年3月21日)」「La.mama(1982年5月)」などのライブハウスはすでにあったが、個性的なショップはそれほど多くなかったし、ライバルの西武が渋谷に音楽ショップ「WAVE渋谷店」をオープンしたのは1987年11月20日で、CSV渋谷の2年後である(※)。

※ただし、西武百貨店渋谷店の若者エリア「Be-in」(1970年9月11日)にはレコードショップ「CISCO」が入っていた。このCISCOをレコード輸入業者のサウンド・トレーディングが1974年に買収し直営店としたことで、我々のよく知るCISCOになる。また、1975年に西武は「東光楽器」へ資本参加し、「東光メロディア」(1977年にディスクポート西武に名称変更)という音楽ショップ自体は始めていたが、WAVEのような個性があったわけではない。

■CSV渋谷の基本情報

ここから先は

34,361字 / 16画像

¥ 500

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?