たかばやし

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代理表象としての「地球」―試論2

 前回、私はRADWIMPS『有神論』において「地球」という表現が、「創造主の優しさ」の比喩として用いられていたが、そもそも「地球」の生成過程を考えれば、それは「孤独」の比喩として用いた方が妥当なのではないか、ということを述べた。  たしかに、「地球」を何の喩えに用いようが野田洋次郎の勝手ではあるが、私が思うに、彼はわざとねじ曲がった比喩を用いたのだ。なぜなら、言葉の本性は虚だからである。 具体的には村上春樹『風の歌を聴け』の冒頭文が分かりやすい。ここから始めよう。 「完

    • RADWIMPS『有心論』と衒学的態度についての試論

       RADWIMPSの『有心論』という曲にこのような歌詞がある。 誰も端っこで泣かないようにと君は地球を丸くしたんだろう?だから君に会えないと僕は隅っこを探して泣く  先日、5年ぶりくらいにこの曲を聴いて2つ目のサビにこの歌詞が出てきたとき、衝撃だった。野田洋次郎が致命的な間違いを犯していると思ったからである。全体の歌詞の流れを見てみよう。しかし、歌詞の解釈という行為自体が不安定であることを比喩の仕組みからして逃れ得ないのであるが。  『有心論』は、自信の無い「僕」が「君

      • 座礁的歩行についての試論

         浅いところでバタバタとしている。もがいている。手足をバタつかせるのは水面へ顔を出すためだ。何のために?もちろん呼吸である。    船底が海底についた、座礁した。船底は海底を掘削した。削れた。土埃。塗装が剥げた。船底から滑って船体が飛び出した。ガシャンガシャン。    僕には歩く他はない。止まることはできない。船底が襲いかかる。ガシャンガシャン。           海底は削れてなくなった。船底も削れてなくなった。襲いかかるものも無くなった。それでも止まることはできない。ガシ

        • 村上春樹『ノルウェイの森』の不完全性について

           『ノルウェイの森』は1987年に講談社から出版された上下二巻の長編小説です。ご存じの方は多いと思います。  どんな内容かはウィキを読めばわかるので割愛します。簡単に言えば、大学生の恋愛小説なんですが、フェミニストからはかなり叩かれてました。もちろん今でも。主人公が消極的なのに、周囲の女性が「ヤラせてくれよ」って寄ってくるのがおかしいらしいです。アマゾンのレビューでも「作者キモイ」的な感想がみられます。あとは「内容が薄い」「人間味がない」といった意見もよく聞きます。言わずも

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