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2020年

 2020年になってしまったのだ。
(これを書いているうちに元旦すら過ぎてしまった)
 旧年中はもっとまじめにnoteを書こうと思っていたのだが、まあ無理だった。一応、忙しかったのだ。
 本当は、「このたびの修羅場のおぼえがきあれこれ」で、今年で公募が終わる某賞(お察しください)に投稿した渾身の作品が一次もかすらず落ちたので、noteに載せようと思ったりはしていた。ただ、読み返す暇がなかった。
 しかし該当作をひとに頼んで読んでもらったら、直しかけの中途半端な段落があったり、誤字というかタイプミスも多くて、これは一次も通らないわ……!ってなったのだ。そら、投稿締切当日の朝まで24時間かけて全体の後半を書いてたら、そうなるわ。って納得しました。(話の水準として至っていなかった可能性も高いけれど、ずっと書きたかった話ではあるのでそれについては考えない)
 なので、そのうち直します。
 しかし、noteに載せるかどうかは、わからん。

 いま別名義でお世話になっているところ、一応、公募の賞が設けられているので、そこに投稿したいとは考えているのだ。別名義でなく、この名前で。何故なら別名義で求められる作品の傾向とまったく違うのだ。

 たびたび思うのだけど、もう人生も折り返しを過ぎたので、できることなら書くときに、「なんだこれ……」という不安な気持ちにならずに書きたい。版元の注文に合わせて書くにしても、それが自分で読んで楽しいものであるほうが、なんというか、健全な気がする。
 甘い考えかもしれないけど、好きでもない傾向の話を書くのはともかく、少なくとも五回は読み返すのだ。読み返すときに苦痛でない話のほうが、病まなくて済む。好きでもない傾向を職人的に書けるひとがいるのは知ってるしわかるし、そのほうが読み返す修正作業も理性的にできるかもしれないとも考えるのですが。自分には無理。
 あと、一応、別名義はそこそこに作品の傾向が固まってて、それにちょっとだけ、ほんとのちょっとだけ、ファンもついているので、無理に別の(売れている流行の)傾向を書かせるの、(版元にも作家にも)おたがいのためにならんと思うぞ……自分についたその、ちょっとのファンも「この傾向はべつにこのひとでなくても読めるから」と購入に至らないだろうし(自意識過剰もあると思うが、別名義の微妙な淡々とした雰囲気が好きで買ってくれているひとがいる気がする、何故なら「独特」と褒め言葉で用いられるのを見かけるのである、つまり、流行の傾向は求められず、現状の自分にしかないものを求めてもらえている可能性がある)、世に溢れている傾向だから、それを読みたいと考えているひとの目にはとまらないか、よほどいい感じのパッケージにしないと、ほかの作品に埋もれる可能性が高いだろう。

 新しい、今までとは違う別のことをやれたほうがいいんじゃないか、と考えるひともいるだろう。けど、はっきり言うけどもう老い先短くて、現時点でも微妙に安定していないので、激しい冒険をするのはためらうよね。そして、そのようにハッパを掛けてくるひとは、こっちが失敗しても責任を取らないよね。ということを、何度も作家として生まれ変わってきた身としては、思い知っているのだ。あと冒険するなら、自分のやりたい冒険をしたいのだ。ちなみに別名義で転生三回めやで。

 そういうわけなので今年も何かファンタジーを書いてどこかに投稿したい。ネタはある……というか、まあ、よくある話なのだ。
 異世界ファンタジーを、ずっと書きたかった。「星宿姫伝」(角川ビーンズ文庫)を書いたのも、そういう考えからだった。そして、「星宿姫伝」は、ロストワールド後の世界という設定だったので、ロストする前の世界の話を書きたいのである。
 ちなみに「天剣のセレン」(一迅社文庫アイリス)はロストする前の世界だったのだけど、ラブコメでないと原稿が通らなかったので、最初のテーマからはかなりはずれてしまった。もう時効だろうからバラすけど、あれはセレンが邪神を召喚した際に死んでて、邪神の力によって存在だけはしている、という話だった。
 投稿作品として書いたのは、「天剣のセレン」の50年くらいあとの話で、セレンの兄的存在が皇帝の暗殺者なのだけど、その弟子にあたる女の子がヒロインなのだ。

 別名義で「異世界ファンタジーを書きたい」と言うと「転生ものでないと」と言われる。その程度のランクの作家なのもあるけれど、転生した、というだけの事実ならともかく、今どきの転生ものは、転生前の記憶とか利用するという印象である。そういうのを読みたいかどうかと言われたら、あまり興味がない……という感触なので、書いたとしても、転生の意味がたぶんなくなる。
 異世界ファンタジーを書きたいだけだったのに、世間が変わってしまった。異世界ファンタジー=転生先の別世界 という認識が強まっている。
 自分が異世界ファンタジーを書きたいのは「ひとをころす」がある程度は必然性があればゆるされる可能性が高いこと、司法など価値観が現代と異なるのでそのへんをうまく用いることができること、不思議な力が使えること、信仰が今よりもっと重く生活を支配しているように設定できることなどが、理由かもしれない。まだもっとあるけど、思いつくのはこれくらい。
 作家として三回も転生したら転生ものなんて書こうと思わないのだ。

 別名義で書いている世界観設定が同じシリーズは現代日本舞台なので、仕事で異世界ファンタジーを書いていない。
 なのでファンタジー書きたい欲は趣味の話で解消していた。ここ5年くらいで趣味の話は5~10万字くらいで1冊の本を30冊くらい書いたのだが、そのうち半分くらいが異世界ファンタジーだった。
 ま~これが楽しい。はちゃめちゃに楽しい。お察しいただけると思うが、自キャラじゃないから楽しいのである。推しを幸せにするという気概で書いているので最後は絶対に幸せになる。そういうコンセプトで、アホみたいに書きつづけている。
 だけどそろそろ自分で考えたキャラで書きたくなってきた。いろいろと弊害があるので。(っていうか単性のみで幸せに暮らしましたでしめる話しかないので、そうじゃない話を書きたい気持ちもあるのである)(そして、ほぼほぼ転生してきた設定なので、転生はもうお腹いっぱいでもある)

 なんにせよ、隙を見て書くことは書くけど、どうせなのでこの名義で出版したい。コミュ力がないので(コミュニケーションが必要なWebサイトなどでの発表は躊躇する)投稿しか手段がない。
 が、「転生のない異世界ファンタジー」で「恋愛色が薄めか皆無」な話って、どこに投稿すればいいんだろう。

 そんなことをぼやぼや考えながらも、それでも今年も書くのだ。
 ありがたいことに、去年、別名義で初めての版元さんで出した本のつづきを書いていいですよ、と言われたので、あしたくらいから書き始めようと思うのです。あの(ひどい)プロットを通してくてありがとうございます……がんばります。もふもふ。