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#25 迷子 ②

 子供ですわ、森のなかに迷いこんでしまって、空想上の友だちと遊んでいる子供としか思われませんの。そして急に、自分が迷子になった子供にすぎないと気づいて、無性に家に帰りたがっているだけですわ。

T. S. エリオット「カクテル・パーティー」福田恆存 訳 中央公論社

 Aさんは、なんの前置きもなく話を始めた。
 「小学校2年か3年生の頃だったと思う。当時、私は大きな団地に住んでいた。友達もたくさんいてみんなとよく遊んだ。夏休みだったある日、同級生で仲良しだった友達が行方不明になった。夕方になっても帰ってこないと、心配した友達の母親が私たち子どもや保護者に聞いて回ったが、誰も見かけていない。しかも同じ団地に住んでる幼稚園に入ったばかりの子も一緒にいなくなっていた。私は、他の友達と一緒にいつもの遊び場をいくつも探し歩いたがどこにもいなかった。すぐに団地中が大騒ぎとなり、学校にも連絡が行った。地域総出で探し回る事態となった。いなくなった友達はとてもしっかりしている子だった。だが、不慮の事故や犯罪に巻き込まれる可能性は常にあったし、近所には比較的山林も多く、不慣れな場所に入り込んでしまえば道にも迷うだろう。私の母親を含め探し回る親たちの表情に緊迫感が漂っていたのを今でも覚えている」
 「だが、もうまもなく日没という頃、その友達はケロリとした表情で帰ってきた。小さな子供も一緒だった。友達によれば、夏休みだからいつもと違う場所を探検してみようと思い少し遠くまで行ってみた、一緒に行きたいと言ったからその子も連れて行った、ただそれだけだった。みなほっとした。友達の母親は、申し訳なさそうに周囲に頭を下げて回っていたが、誰一人私の友達を叱ったり母親を責めたりする人はいなかった」

 しばらくの沈黙の後、Aさんは話を続けた。
 「私は母と一緒に家へ戻った。帰る道すがら私はホッとして、『(友達の名前)ちゃん無事でよかったね』と母に言った。すると母が私に向かってこう言った。『なんやかんやいって(友達の名前)ちゃんは度胸があって偉いよ。ああしてひとりで怖がらず何でも挑戦して。小さな子供の面倒もちゃんと見て。あんたにはああいう真似はとても無理よね』。母の残念そうな苦笑いを今でも覚えている。友達が無事帰ってきて嬉しかっただけなのに、なぜ突然、自分が否定されるようなことを言われなければならないのか理解できなかった。悲しかったし自分にもがっかりだったよ」
 
 「その晩、その友達の母親が私の家に電話をかけてきて、今晩うちに泊まりに来ないかと誘われたんだ。私は別の友達といっしょに彼の家へ泊まりにいった。友達の母親はニコニコしながら探してくれたお礼を言って私たちを家の中に招いた。当の友達本人もいつも通りだった。母親が彼をきつく叱ったりはしなかったのがわかった。子ども同士はそういうことはなんとなくわかるんだ」
 「その晩はとても楽しかった。みんなで一緒にお風呂に入りご飯を食べた。友達の母親は、楽しい話で私たちをよく笑わせてくれた。私が毎晩8時に寝るよう言われていると話すとみんな驚いていた。じゃ今日は特別な日だ、と夜遅くまでおしゃべりしたりテレビを観たりした。そのあと一つの部屋に4人枕を並べて寝た。真っ暗にしてもなかなかおしゃべりは止まなかった。昼間のことは一切話題にならなかった。すべてが新鮮だった。こんな家庭もあるのだと知ったよ。団地の生活なんてどこもウチと同じだと思っていた」
 話は終わり、彼は無表情に黙った。

 しばらくして私は、なぜこの話をわざわざしに来ようと思ったのかを訊ねた。ありきたりに思えたが、訊かないわけにはいかないように思えた。彼はしばらく考えていたが、「わからない」とだけ答えた。私は、お母さんはなぜあのようなことを言ったと思うかと続けた。Aさんは再び考えていたが、私の質問には直接答えずにこう話した。
 「私の家は...子どもには難しかったかもしれない。悪い家庭ではけっしてなかった。けれども、いつもたくさんのものを求められていると感じていたよ。勉強も運動もできる良い子、責任感が強く誰からも好かれる子。それでいて、ときには無茶したり悪戯したり、ケンカしたり、どこか憎めない純粋な子どもらしい子...自分であることにいつも混乱していた。やっかいだった」
 現在の両親との関係もさりげなく訊ねてみた。彼はなぜそんなことを聞くのか不思議そうな顔をした。「普通だよ。二人とも元気だし今も良く連絡を取り合っている。言ったでしょう、悪い家庭じゃなかったって」
 子どもには難しかった家庭がどう普通になったのか知りたい気もしたが、本人はそこに何ら矛盾を感じていないようだった。幼い頃からその「悩むことがない」パーソナリティが幸いしたのか、あるいは家族同魂、いわば似た者同士ゆえの違和感のなさもあったのかなど、さまざま憶測はできても確かなことはなにもわからないままだった。

 Aさんは、やがて携帯を片付け始めた。前置きも回り道もしない。話を始めるのも終わるのも決めるのはいつも彼だった。
 主導権はいつもAさんにある。彼はそうしたことに慣れているのだ。

 帰り際、Aさんはただこう言った。「あの時は….自分は本当に心配だった。友達の無事も心から嬉しかったんだ。本当だよ」

 人生というのは、泣きながら皮を玉葱たまねぎのようなものである。
   -フランスのことわざ

「世界名言集-真実と生き方の知恵」 岡田春馬 編 近代文芸社


Arnoldさん

(当ブログ記事で言及されているエピソードや症例等については、プライバシーに配慮してご本人から許可をいただくか、内容や事実関係について修正や変更、創作を加えて掲載しています。)

こころの健康相談室 C²-Wave 六本木けやき坂


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