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【Vol.14】目から「ありがとう」溢れさせ、こころを込めた感謝で世界を満たす

最近はだいぶ利用頻度が少なくなったが、コンビニに行くと毎回感じることがある。
それは「ありがとうございました」が減った、ということだ。
毎日利用していると気が付かないのかもしれないが、たまに行くから気付くこともある。
利用者のわたしは必ず「ありがとうございます」と言っている。
しかし、店員さんからはきちんとした「ありがとうございました」を受ける機会が激減したように感じるのだ。
「ありがとう」と言ってもらいたいわけではないが、やはり"人として"のやりとりとしては、そこに「ありがとう」があった方が気持ちが良いなとは思う。

これは、レジでの支払いが「店員さんを介さなくなったこと」が大きいのではないかと思っている。
あくまでわたし個人の考察に過ぎないが。
つまり、自動支払機が標準装備されたことが一因ではないかということだ。
店員さんは商品のバーコードを「ピッ」とやって、あとは自動支払機にお任せ。
この「ピッ」とやった直後に、「ありがとうござい・・・」と聞こえるか聞こえないかくらいの声で言われることはある。
それは「ピッ」の流れ作業の一環として、マニュアルどおりの「ありがとう」である。

かつて、現金を手渡しでやりとりしていた時のほうが、「ありがとう」を言うタイミングも明確であったような気がする。
電子決済が多くなった現在よりも「お金」という現物を受け渡しすることで、「ありがたさの重み」もあったのかもしれない。

たしかに金銭そのもののやり取りは、様々な責任が伴う。
また、売り上げ計算時に「金額が合わない!」などのすったもんだもなくなるだろう。
それに、会計時間が短縮し、効率化が図れる、などなど。
自動支払機は、働き手が不足している業界にとっては、もはや、「なくてはならない技術」の1つであろう。

「なくてはならない技術」と言えば、飲食店のタブレットなどもそうであろう。
注文がタブレットや食券購入のところが多くなった。
衛生面からすれば、飲食物と不特定多数が触れる現金を扱う機会を分けるということは、お店側にも利用者側にも利点ではある。
だが是非は別として、入店し、店員さんとは最小限のコミュニケーションで済んでしまう。

どんなことにもメリットとデメリットはある。
だからと言って、それが「良い」とか「悪い」とかに言及しているのではない。
しかしながら、AIに任せたほうが効率的な作業と、AIでもできるかもしれないが、人間が行った方が格段に"別効果"が高いものは、人間が死守していくべきだと考えている。
その1つが、「ありがとうございました」と感謝の気持ちを伝えることだ。
たとえチェーン店のコンビニでも、店員さんが全員こころから「これ」ができれば、その店舗は間違いなく、いま以上に売り上げが伸びると思っている。
そして、こころを込めて「ありがとうございました」が出来る店員さんは、間違いなくその店員さんの未来は拓けているはずだ。
そんな様子をいつも「もったいないな~」と思っていた。これをやるだけで幸せな人生になるのに。

わたしは「ありがとうございました」が減ったなと感じ始めてから、"あること"を実践し始めた。
それは店員さんなどの目をしっかり見て「ありがとうございます」と言うことだ。
自分の中では「ありがとうございますっ(きゅるん←目から相手の目に感謝の気持ちを飛ばすイメージ)」という感じでやっている笑
言葉だけの「ありがとう」ではなく、魂を込めた「ありがとう」の気持ちは、どう変化が起きるのかという実験かもしれない。
まあ、実際のところ、自分でも何の意味があるかはよくわかってはいないのだけれども笑

AIはもちろん「ありがとうございました」と言ってくれるだろう。
それは人間がそのようにしてきた慣習を学んだからだ。
しかし、おのおのの人生を重ねてきた人間が発する「ありがとう」は、まさに十人十色。
感謝する方も、その感謝を受け手も、人間としての感性を失ってはいけないのだ。

みんながこころからの「ありがとう」という感謝を振りまき、それで世の中が満たされている、それが普通。
それほど遠くない未来は、そんな世界であってもらいたい。