見出し画像

<中国 モソ族>「”女子国”プロジェクト」と「人類最後の母系社会」の行方

 こんにちは!中国語漫画翻訳者のもりゆりえです。
 2024年5月3日のTBS・JNN NEWS DIGのニュースで、興味深い記事が紹介されていました☟

 この記事では、中国南部の雲南省の瀘沽湖(ろここ)のほとりに住む少数民族「モソ族」の暮らしが描かれています。モソ族は「人類最後の母系社会」(参考:中国最後の「母系社会」の発祥地・瀘沽湖の保護 -- pekinshuho)とも言われる独特の伝統を持ち、モソ族の女性は財産の管理や相続のみならず家長も担うといいます。また結婚という概念がないため、女性は嫁入りせず、男性は自分の母親の家から女性の元に行くという「通い婚」をするそうです。

 私はこの記事を読み、以前仕事用に購入した『图解山海经 中国玄幻之源・上古神怪大全』(中国の神話などをもとに書かれた古代の地理書『山海経』を図解で表したもの)に書かれていた「女子国」を思い出しました。そしてふと、「もしかしたら『山海経』の”女子国”とモソ族には何らかの関連があるのではないか」という疑問が湧いてきました。

 そこで今回は、「『山海経』に書かれた「女子国」とモソ族に、関連はあるのか?」について、私なりに調べてみたいと思います。


『山海経』で「女子国」はどのように描かれているか

「在甲骨文中,“安”与女子国同义,指史书中所描述的安邑。(筆者訳:甲骨文字では“安”と女子国は同義であり、歴史書で描かれる安邑(あんゆう)を指す)」※「安邑」は戦国初期の魏の都。
<『图解山海经 中国玄幻之源・上古神怪大全』徐客 編著 江西科学技術出版社 P439より>

 まず上の画像に映る「女子国」の紹介文を見ると、その特徴として「都是女人,没有男人(皆女で男はいない)」と書かれています。モソ族にはもちろん男性もいます(笑)ので、この点は異なりますね。とは言え、モソ族の特徴的な「女系文化」が「女子国」のモデルとなった可能性を感じさせる描写ではあります。

 そこでさらによく見てみると「女子国」の場所の考察文として「今山西夏县西北禹王城(訳:現在の山西省夏県西北禹王城)」と記されていました。今回のTBS・JNN NEWS DIGの記事で紹介されたモソ族の住んでいる場所は雲南省ですので、地理的にはかなり隔たりがあることが分かります(下地図参照)

地図左下の青色のポイントがモソ族の住む「瀘沽湖」周辺、右上にある赤色のポイントが『山海経』で書かれた「女子国」があったとされる「禹王城」遺跡のある場所(Google Earthで作成)。
モソ族の住む「瀘沽湖」周辺と、『山海経』で書かれた「女子国」があったとされる「禹王城」遺跡は直線距離にして約1,300kmで、東京↔平壌間の直線距離とほぼ同じ(Google Earthで作成)。(参考:りに帳「日本の東京から世界各国の首都までの距離一覧」

伝説の「女子国」をモチーフに、保護と開発を進める瀘沽湖(ろここ)

 しかし上の地図を見ると分かるように、モソ族が住む瀘沽湖(ろここ)のある雲南省と、研究者が「女子国」と考える山西省では、直線距離にして1,300kmとかなり隔たりがあります。そのためモソ族の「女系文化」が『山海経』に描かれた「女子国」のモデルになったとは考えにくい様に思います。

 とは言え、モソ族の「女系文化」は現代の中国の人々に『山海経』の「女子国」を連想させるのは確かなようで、2009年7月24日付の「北京週報日本語版」では、「中国唯一の母系社会を保護するため、地元政府が36億元を投資して「女子国」を建設する計画をしている」と記されていました(参考:中国最後の「母系社会」の発祥地・瀘沽湖の保護 -- pekinshuho)。

 地元政府が「女子国」をモチーフに、瀘沽湖周辺を保護しているのは、モソ族の若者が置かれている、以下のような現実があるためと思われます。

また「外来文化の影響を受けて、モソ文化を見直し始めるモソ人もいる。一部の人の生活スタイルも耕作と漁獲から観光業に転じるようになった。現在、中国語が話せ、新しい知識を持つ若い男性が、もともと経済的権力を握っていた祖母たちの世代にだんだん取って代わるようになっている」とも言う。

参考:中国最後の「母系社会」の発祥地・瀘沽湖の保護 -- pekinshuho

「女子国プロジェクト」の責任者は、「『女子国』を、外来文化を遮断するか、もしくは遮断と流入を結び付けた緩衝地帯として、観光による湖水汚染などを軽減するため、地元の人々に環境保全の仕事をやってもらうことになる」と語っており、外部との接触などによって揺らぐモソ族の「伝統文化の保護と開発という矛盾を解決する試み」に試行錯誤している様子がうかがえます。

「女子国プロジェクト」発表から15年後の現在の様子は?

 では報道から15年経った2024年現在はどうなっているのでしょうか。

 2023年11月19日公布の「国家体育总局」(国家体育総局:中華人民共和国のスポーツを統括する政府機関。国務院の直属省庁でもある)によると、「2023雲南地区運動会 第三回瀘沽湖“女子国”女子徒歩大会」が開かれたという記事が紹介されていました。このことから、現在でも中国が国を挙げて「女子国」をモチーフに、モソ族の伝統文化の保護と開発を続けていることがうかがえます。

ゲートに「2023雲南地区運動会 第三回瀘沽湖“女子国”女子徒歩大会」と記されている。
(参考:国家体育总局「云南省社区运动会沪沽湖女子徒步大会举办」より)
民族衣装を着て湖をバックに集まった人々
(参考:国家体育总局「云南省社区运动会沪沽湖女子徒步大会举办」より)

 また現在瀘沽湖周辺は、旅行先としても人気が高いようです。

 中国で多数派を占める漢族の社会はモソ族の「女系社会」とは対照的に、「父権制」「男性中心主義」が色濃く反映された文化です。都市部ではキャリアを積む女性も多く、女性の社会進出という点では日本より男女平等が進んでいるようにも感じられますが、結婚に際し「男性側が家や車を用意する」ことが常識とされているといいます。

 そのため、結婚に対し大きなプレッシャーを感じる漢族の男性や嫁姑問題に悩む女性にとって、財産を管理し蓄える必要もないモソ族の男性の暮らしや、嫁姑問題の発生しない「通い婚」は、漢族自身の価値観をとらえ直すきっかけともなっているようです(参考:「女が働き、男は遊んで暮らす?」中国にある「女性の国」に行ってみた | TBS NEWS DIG (4ページ))。

モソ族の「女系社会」はどこから来たのか?

 ではモソ族の「女系社会」は一体どこからやってきたのでしょうか?インターネットで調べてみると、そのヒントになりそうな一文を発見しました。

《山海经》中的弇兹氏、西王母族、女和月母国,隋唐时期的苏毗,南北朝至唐青藏高原的西女国与东女国,乃至今日的泸沽湖畔的摩梭族人,都是保持母系社会传统的部族。

赢家财富网  山海经中的“女子国”在哪?如今还有吗? 

筆者訳)『山海経』の弇兹(えんじ)氏、西王母族、女和月母国、隋唐時代の蘇毗(そび)、南北朝時代から唐時代のチベット高原の西女国東女国が、今日の瀘沽湖周辺に居住するモソ族であり、皆母系社会の伝統を有する部族である。

 蘇毗(そび)とは、かつて揚子江上流の犁牛河 (金沙江 Bri chu) の西側,鶻莽 (こつもう)きょう 以東に位置したという、チベットの北部地域を占めていた国だそうです。金沙江の位置は、下の地図上の黄色い印”Jinsha River”(”Jinsha”は”金沙”のアルファベット表記)と書かれた場所です。

 水色の印が先程ご紹介した瀘沽湖の場所、赤色の印が『山海経』に書かれた「女子国」の場所と考えられている禹王城(山西省)ですので、下の図を見ると黄色の印で指された金沙江の周辺にあったと考えられる蘇毗と瀘沽湖は地理的に非常に近いことが分かります。

Google Earthで作成

モソ族のルーツ?「東女国」と「西女国」とは

 では南北朝~唐時代にかけてチベット高原に存在したという「東女国」と「西女国」は、具体的にどの辺りにあったのでしょうか。それを調べていくと「唐時代の高僧、玄奘(『西遊記』の玄奘三蔵のモデルとなった人物)が記した『大唐西域記』にたどり着きました。

『大唐西域記』で「東女国」と「西女国」は、以下のように記されています。

<東女国>

“东女国”在北印度“境北大雪山中”,“世以女为王,因以女称国。夫亦为王,不知政事,丈夫唯征伐、田种而已”。
            ――(5)玄奘撰、章巺校点:《大唐西域记》(卷四)
                上海:上海人民出版社,1977年,第99页

 女性乌托邦:“女儿国”的生长点及其女性政治
2023-01-02赵敏福州大学学报(哲学社会科学版)

東女国 この国の国境の北の大雪山(だいせつせん)中に蘇伐剌拏瞿呾羅(スヴァルナゴートラ)国(原注 唐に金氏という)がある。上質の黄金を産出するので名とした。東西は長く、南北が狭い。これが東女国である。世々女で国を名づけている。夫も王となることがあるが、政治をとることはない。男はただ戦争をしたり田を耕すだけである。(後略)

中国古典文学大系22『大唐西域記』玄奘 著 水谷真成 訳
平凡社 P156(巻四・一一・二)より  

<西女国>

“西女国”则在西印度境外“拂懔国西南海岛”,“皆是女人,略无男子,多诸珍宝货,附拂懔国,故拂懔王岁遣丈夫配焉,其俗产男皆不举也”。
           ――(6)玄奘撰、章巺校点:《大唐西域记》(卷十一)
               上海:上海人民出版社,1977年,第276页

刊 女性乌托邦:“女儿国”的生长点及其女性政治
2023-01-02赵敏福州大学学报(哲学社会科学版)

(前略)払懍国の西南の島に西女国がある。みな女子ばかりで、ほとんど男子がいない。いろいろな珍しい品々が多い。払懍に服しているので、払懍王は毎年男子をやって配(めあわ)せている。その俗(ならい)として男を生めば、みな育てない。(後略)

中国古典文学大系22『大唐西域記』玄奘 著 水谷真成 訳
平凡社 P366(巻十一・二〇・二)より

 ここで興味深いのが「東女国」が「実在国であったことは疑いなかろう。」(中国古典文学大系22『大唐西域記』玄奘 著 水谷真成 訳平凡社 P156 注一より引用/太字は筆者作)と考えられているのに対し、「西女国」は「何れの島であるかの比定は恐らく実りのない努力に終わるであろうが、古来の試みを同書の注に挙げている。」(中国古典文学大系22『大唐西域記』玄奘 著 水谷真成 訳平凡社 P366 注二/太字は筆者作)と記されていることです。

 私が調べた範囲でも「東女国」に関しては、かつて東女国の古都であった「丹巴(タンパ)」(※四川省カンゼ・チベット族自治州の東部に位置する県)の歴史を紹介した様々な資料が見つかるのですが、一転「西女国」になると「東女国」の情報と混同したと思われる内容や、『大唐西域記』や『西遊記』などの伝聞や伝説ベースの資料しか見つけることができませんでした。

 そのため現段階でモソ族の「女系文化」は、以下の記事でも紹介されているように「東女国」にルーツがある可能性が高いと考えられているようです。

丹巴はかつて東女国の古都で、ジャモモルドと呼ばれる女王の神の山があった。丹巴が美女を輩出し始めたのは、漢代の東女国の時代。史書の記載によると、西夏王朝が滅亡した際、皇帝の親族や王妃などの多くが遠く離れた寧夏から山脈が横断し、峡谷の深い丹巴へと逃れていったということである。歴史学者の考証によると、東女国が出現したのはおよそ隋唐時代で、当時の父権社会とは相対的に、かなり強大な国家だったと言われている。東女国、西女国はともに中国、さらに世界史でも唯一の女権国家であり、母系社会の典型となっている。

「チャイナネット」 2009年6月24日より

「四海華夷総図」に見る中国明朝の世界観と、「東女国」「西女国」の位置関係

 下の図は1532年(中国の明時代)に描かれた「四海華夷総図」と呼ばれる地図です。

葱嶺の南で隣接した天竺や党頂と争える位置にある」(ja (jst.go.jp)より引用/太字は筆者作)とされた女国(東女国?)と「西海に亦女ありて自ら王となる。故に東と称して之を別つ。」(中国古典文学大系22『大唐西域記』玄奘 著 水谷真成 訳平凡社 P156 注二より引用/太字は筆者作)と描写された「西女国」は、それぞれ「四海華夷総図」に以下のように描かれています(※赤枠と青枠は、筆者作)。

※葱嶺(そうれい)…現パミール高原。

知乎 解读《四海华夷总图》——唐朝以前中国对世界的认知より

チベット高原に存在した「東女国」とモソ族のチベット仏教信仰

 また以下に記されているように、モソ族がチベット仏教を信仰していることも、彼らの「女系文化」と「東女国」との繋がりを彷彿とさせます。

「モソの男性は誠実です。なぜなら私たちはチベット仏教を信仰しており、道徳的に外れたことをするのは、許されていないからです。漢族の人たちは私たちの習慣を理解できないと言いますが、女系社会は良い習慣であり、尊重すべきだと思います」

「女が働き、男は遊んで暮らす?」中国にある「女性の国」に行ってみた |
TBS NEWS DIG (3ページ)
より

結論

 以上私の調べた結果、モソ族の女系社会は歴史資料や地理的関係、宗教的特徴の一致などから『山海経』の「女子国」との関連があるというよりは、チベット高原にかつて存在したとされる「東女国」がルーツである可能性が高そうです。

 人間が住むには過酷だと言われる、寒さの厳しいチベット高原で、はるか昔から連綿と女系社会が受け継がれてきているのは、非常に興味深い現象ですね。
 また、世界的にも非常に珍しいモソ族の「女系社会」が、どのように変化していくのかも個人的には非常に気になるところです。

 今後も『山海経』で登場する国々と、歴史との関連で面白い発見などがあったらこちらでご紹介したいと思いますので、よかったらまた遊びに来てください♪

よろしければサポートをお願いしますm(_ _)mいただいたサポートは、今後の中国語&漫画関連の記事制作の活動費として使わせていただきます!