イヌイットは結局、雪を何種類の言葉で示すんだっけ?

こんにちは、夏炉です。
【幸せについて】というテーマで文を書こうとしているんですけど、幸せってあんまり感じたこと無いかもしれません。

別に幸せな経験をしたことが無いわけではないんです。美味しいものを食べた、お風呂が気持ちよかった、布団に入りウトウトしている、どれも幸せな時間なんだと思います。 じゃあなんでそれは幸せじゃないのかっていうとつまりは、幸せで有り得たかもしれない体験で幸せを感じ逃してるってことなんですたぶん。

そう考えるとなんだか勿体ないことをしている気分になります。
そうあれかしと願いさえすれば、幸せが手に入るというのにそれを逃しているんですから。

でも、よく考えてほしいんです。幸せを感じる分、私は美味しいとか気持ち良いとかを感じているわけで、それらが「幸せ」に塗り替えられるのはそれはそれで悲しいことではないでしょうか。他により適切だと感じる言葉があるのであれば、別に幸せな事が幸せ以外で表現されたって良いでは無いですか。
幸せって少し引いた目線で感じられる感情である気がします。幸せと感じなかった時はもっと肉薄した表現が良かったのかも知れません。どうせ幸せを感じるならば、他の感情では表せない思いで感じたい。本当の幸せを手にした時に日々の幸せで感覚が麻痺していてはそれこそ勿体無いでしょう?

幸せを沢山感じられないのはもしかしたら感性が乏しいという不幸なのかもしれません。でも、これは幸せ以外の何物でもないと思える時のため幸せをとって置いても良い。そんな気がしました。


中大二劇2023年度春公演
『幸せはいつも小さくて東京はそれよりも大きい』
作      広田淳一(劇団アマヤドリ)
演出   師岡亮

〈日程〉
6月29日   17:00
6月30日   18:00
7月1日   13:00/18:00
7月2日   13:00

〈会場〉
APOCシアター(千歳船橋)

〈チケット〉
前売り 1000円
当日券 1500円
詳細・販売はこちら

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