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コンビニ小学生

舌に衝撃が走った。恐ろしいほどまでにパンチが効いたバター。BTSも驚くほどの口いっぱいに旨味の重低音を響かせ広がる「Butter」。口に入れて正直困った——。この世界にこんなにも美味なものがあったとは知らなかったのだ。

小学校低学年の朝食時のことである。母は健康志向であったから、リンゴやミカン、バナナ、キウイといったフルーツを細かく刻んでミキサーにかけ、特性のスムージーを作る。僕は毎朝毎朝、それを飲ませられていた。

フルーツたちがミキサーにかけられる音といったら、それはそれはうるさい。フルーツたちの悲鳴だ。雀の鳴く声で気持ちよく起きた日の朝も、好きな女の子と席が隣になって早く学校へ行きたくてたまらない日の朝も、ずっと楽しみにしていた遠足の日の朝も、ミキサーが立てる公害レベルの騒音は極めて耳障りだった。

それでも母は、「体にいいんだから」と言って色鮮やかだったフルーツの彩度がなくなったスムージーをテーブルの上に置く。フルーツはそのまま生で食べたほうが好きだったが、文句を言っていたら面倒くさく叱られるだけだから、何も言わずに黙っていただいていた。

そのスムージーに加えて出されたのは決まって6枚切りの食パン。トースターでよく焼いて、ブルーベリーのジャムを父にたっぷりつけてもらっていた。

つまり、朝はパン派の家庭で育ってきたのである。それでも学校がない土日はブランチでご飯とお味噌汁、卵焼き、納豆に焼き海苔、焼き魚といった「これぞ日本の朝食」といったものが出された。ゆっくりと食事ができる土日のブランチの時間がたまらなく好きだったから、当時はパン食よりも和食を好む傾向にあったのではないかと思う。

それでも、ある日そんな概念を覆す事件が起きた。朝、まだ開かない瞼をこすって居間へ行くと、そこには食パンではなく父の拳くらいの大きさほどある、ゆるやかに渦を巻いたパンが透明の袋に入ったままダイニングテーブルの上に佇んでいた。

その袋には「ネオバターロール」と表記されており、朝から目を丸くして席についた。母はいつも通り公害レベルのミキサーのボタンをこれでもかと、力強く長押ししている。その間、父がネオバターロールの袋を開けて、トースターに入れお皿や台布巾を用意してくれた。僕は、学校へ着ていく服に袖を通しながら、特に意味もよくわからず朝の情報番組を夢中で見ていた。

「できたわよ」

その一言で僕はダイニングの椅子に掛ける。いつも通り、何色とも言い難いスムージーに一口つける。絵具でこの色を出すのは大変そうだなと感じながら。

スムージーは、まずくも美味しくもない。生で食べたいなあと思いながら、正直な気持ちを抑制する。いつも通りのスムージーだった。

今度は初めて見たネオバターロールに手を伸ばしてみる。頭頂部の部分が禿げているおっさんたちとは対称的に薄っすらと黒く焦げていて、持つと少し熱い。熱さに怯えながら、おそるおそる小さくかじった。そのときは熱さしか感じなかったが、二口目はフーフーと自らの息で冷ましてかじった。その瞬間、あふれ出るバターが口へと流れてきて、これが「幸せ」かと小学校低学年ながら実感した次第である。今朝もうるさかったミキサーの騒音も、今なら無かったことに歴史修正できそうであるほどの美味を口いっぱいで感じた。

はじめてネオバターロールに食らいついたその日は、もう何事も上手くいく気がした。算数の計算だって、国語の音読だって、ネオバターロールがいれば百人力。アンパンマン、ごめんね。僕、一番好きなキャラクターはネオバターロールパンマンになったの(そんなのいない)。

それからというもの僕は母へもう一度朝食でネオバターロールを出してくれと懇願をしてみるが、僕がネオバターロールパンマンと出会えるのは本当に稀で、食卓に並ぶのは6枚切りの食パンマンばかりだった。僕は居ても立ってもいられなくなって、学校から帰宅してなけなしの金を寄せ集め、百円玉と数十円を手に握ってコンビニへと向かった。

お目当てはもちろんアイツだ。いや、「アイツ」なんて言ってはいけない。ネオバターロールパンマン様である。

しかし、たった一人でコンビニへ入ることは初めてであり、胸のドクドクのリズムが早まる。意を決して、いざ入店。店員さんの「いらっしゃいませ」というコールにビクッとし、高い棚に囲まれている姿はまさに四面楚歌。そこにはアウェー感が漂っている。

スーパーと比べて小さいコンビニなのに、パンコーナーがどこにあるのか見つからなくて右往左往していると、三人組サラリーマン集団の一人が僕に声をかけるわけでもなく口を開いた。

「すげー、今時の小学生って一人でコンビニ来るんだぁー」

僕のことを馬鹿にしやがって。おそらく感嘆していたのだと思うが、僕からすると嘲け笑っているようにしか見えなかった。それでも声を発したサラリーマンのてっぺんは禿げているように見えたから、僕だって心中彼を嘲笑していた。

ようやくネオバターロールパンを見つけ、もうこんなところさっさと出て行ってやると、足早にレジへ向かって重みのある百数十円を店員さんに渡した。店員さんは店員さんで、言葉遣いが丸みを帯び過ぎていて気持ちが悪い。

「すげー、今時の小学生一人で会計するんだぁー」

またあのサラリーマンがこちらを向いて同僚とみられる仲間に話している。僕だってコンビニくらい余裕だわと背伸びして思いつつも、この百円玉の使い道はこれで本当に合っていたのだろうかと疑心暗鬼になったものだ。

僕はネオバターロールを抱きかかえて帰路を歩む。返品やクーリングオフという概念をその時は知らないから、もう過去は変えられないと思っていた。そうなったならばネオバターロールパンを存分に楽しもうと心に決め、コンビニを振り返ることなく前へ前へと進んだ。

ようやく家へ着き、手を洗うこともせず自分の部屋の扉を閉めた。ネオバターロールパンの袋を一人開ける。鼓動が弾む。大きな口を開けてかぶりつく。ゆっくりゆっくりと咀嚼した。

柔らかなパンを噛み締める。何故か涙が流れてきて、少量の涙が床へと伝った。何かが違う。

そう思って袋の文字を見る。少量のなけなしの金で買ったネオバターロールパンは、ネオバターロールパンではなく、「ネオレーズンパン」だった。

それに、トースターを使わずに食べたから食感もバターの風味もあの時とは全く異なる。レーズンは嫌いではないけれど、思っていたのと違いすぎる。無地の白Tシャツを買ったと思ったらバックプリントがありました、みたいな。無香料のリップクリームを買ったと思ったら甘ったるい匂いの代物だった、みたいな。あのとき一人いただいたレーズンパンは、少しだけしょっぱかった。


✳︎

ネオバターレーズンパンを今でもスーパーでよく見かける。ネオバターレーズンパンマンには全く罪はないが、彼を見ると今でもこのことを思い出してしまう。弁護するなら彼だってトースターにかければ美味である。

まあ何れにしても、大人たちはコンビニに一人で来ている小学生に向かって「すげー、今時の小学生一人でコンビニ来るんだぁー」なんて言って焦らせないことだ。くれぐれも。

コンビニ小学生に向かって、「ねえ僕、小学生なのにレーズンパンの味がわかるのね!」と注意喚起してくれる大人が、本当のネオバターパンマンである。

そんな大人に。そんなネオバターパンマンに。コンビニ小学生を救うそんなヒーローに、僕はなりたい。


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