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思い出は夢の中で #シロクマ文芸部「逃げる夢」


「逃げる夢がずっと続いていて、それで困ってるんです」
目の前の女が言った。歳の頃は三十前後ってところか。名は柄沢早苗と名乗った。
「夢の中で何かに追われるのかい」
だとしたら、それほど珍しかねぇ予知夢の類いだがな。
「いえ、そうではなくて、夢を見ようとすると、その夢が逃げて行くんです」
「夢が、逃げる」
「はい」
はい、じゃねぇのよ。
「するってぇとアンタは、夢を見たいのに夢に逃げられて、夢を見れなくて困ってるってことかい」
「はい」
なんでケンちゃん毎度こんなのばっか寄越すんでぃ。
「夢っつうのはアレだな、寝てる時に見るアレだよな」
「そうです」
もうこっちはパニックだ。夢の中に逃げちまいたいぐらいだね。
「そいつぁよ、夢に逃げられて夢が見れないっていう、夢じゃあないのかい」
「いえ、違うんです。信じてもらえないかも知れないですが、本当に夢が逃げて行くんです」
そりゃ信じるも信じないもわかりゃしねぇけどよ、少なくとも早苗さんが本気なのは伝わってきたよ。
「あぁ、とりあえず話はわかったよ。ちょいと考える時間をくれ」
先に医者に行ってくれとは言えなかったぜ。

夢が逃げるねぇ。呟きながら歩く内に、気付けば商店街の肉屋の前にいた。

「よぉ大将、今日もメンチカツが美味いねぇ」
ひと口齧ると肉汁ジュワッと口の中に幸せが広がんだ。
「アンタみたいな常連が飽きないように毎日試行錯誤繰り返してっからよ、うめぇに決まってんだ」
豪放磊落が服着てるような大将の、職人としての矜持ってやつだな。
「ところで大将、夢に逃げられたことはあるかい」と問うと「嫁にはしょっちゅう逃げられそうになってるよ」と大将ガハハと笑う。こりゃさすが質問が悪かった。
「まぁでもよ、疲れてるときゃ熟睡すっから夢も見ねぇよな」
「なるほどそりゃあ確かにそうだ」
土産のコロッケ2つ買って店を出た。

逃げる夢、逃げる夢…、また呟きながら歩く内、今度は図書館に着いた。
「よぉ兄ちゃん、夢のことを調べるにゃどの棚行きゃ良いんだ」
受付の黒縁眼鏡の兄ちゃんに問う。
「夢」
こっちを見ずオウム返し。一文字。
「あぁ、叶える方じゃなくてよ、見る方の夢でぃ」
「あっち」
またこっちを見ずに指差した。三文字。

指差された棚へ行くと、夢事典なる本があった。さて読んでみようかね。

(ゆめ)とは、 睡眠中あたかも現実の経験であるかのように感じる、一連の観念心像のこと。睡眠中にもつ幻覚のこと。睡眠中の脳活動にはレム睡眠ノンレム睡眠があり…

なるほどねぇ。他にもいろいろ書いちゃいるが、こっちの知りたいこととはちと違う。

「なぁ兄ちゃん、アンタ夢に逃げられたこたあるかい」
黒縁眼鏡の兄ちゃんにも聞いてみた。
「『私は何も発明していない。私の夢が発明したのだ』かのトーマス・エジソンはそう言っていて…」
なんぞ急にペラペラと話し始めやがる。が、こっちの聞きてぇのはそういうこっちゃない。
「いやそっちじゃなくてよ…」とこっちが言いかけると「大事なのは枕ら」今度は眼光鋭くこっちを見て言った。唐突過ぎるし『ら』も気にゃなるが、確かに枕は大事かも知れねぇな。

枕ねぇ、早苗さんにどんな枕使ってっか聞いてみっかな。ジージーとダイヤル回して電話をかける。
「やぁ早苗さんかい」
「はい」
「アンタ枕はどんなの使ってるんだい」
「枕ですか。実は枕はこの間、布団屋で新しいのを買ったばかりなんです」
「なるほどね。前に使ってたやつぁどうしたのかね」
「子供の頃ずっと使っていたんですけど、主人に『ボロボロだから新しいのに変えろ』って言われて、実家に送り返しました」
「ふぅん。そいつぁお気に入りなんじゃあないのかい」
「そうなんですが、主人が嫌がるもので…」
まぁ旦那の気持ちもわからなかねぇが、大事にしてるもんを取り上げるのはなんだかいけすかねぇな。

実家を聞くとそう遠くない。とは言え歩くにゃ難儀な距離だ。
「よぉ兄ちゃん、ちょいとチャリンコ貸してくんねぇか」
黒縁眼鏡の兄ちゃんに交渉だ。
「今日だけ」
こっちは見ず、鍵だけ渡された。四文字。
「サンキュー、コロッケ食いねぇ」

早速外に出て、チャリンコにまたがり、全力でペダルが漕ぐこと約1時間。早苗さんの実家に着いた。

「あぁ、あの枕のことですか」
対応してくれたのは、早苗さんの母ちゃんだ。
「あの枕はね、あの子の初めての枕なの。四歳の頃だったかしらね、アタシが手作りで作って、それから縫い直したり綿を入れ替えたりしながら、一人暮らしをするようになってもずっと使ってたのよね」
そんなに大切な枕だったのかい。
「入院した時だって持って行ったのよ。それが突然送って来てね、さすがにもう使わないのかと思って、残念だけど処分しようかって夫とも話していたところで…」
そういうことかい。
「お母さんよ、かくかくしかじかでさ、ちょいと手を貸してくれねぇか」
今回はお母さんしか解決出来ねぇ。
「えぇ、そういうことなら是非」
「そんじゃ、また明日来まっさ」

翌日、柄沢家に向かう前に、先に早苗さんのとこに寄った。用があるのは旦那の方だ。

「だからよ旦那さん、あの枕はさ、早苗さんにとっちゃあ体の一部みたいなもんなんじゃねぇかな」
事の次第を全部説明してやった。
「あぁ、そうだったのですね。早苗はそんなことひと言も言わなかったものですから。そんなに大切な物だったとは思わず、僕は酷いことをしてしまったのですね」
「まーな、知らなかったならしようがねぇよ。枕のことは理解してやってくんねぇかい」
「はい、そういうことでしたら」
「それでさ、旦那さんにも協力してもらいてぇんだがな…」

それから柄沢家に向かった。

「これでどうでしょうか」
早苗さんの母ちゃんに頼んでおいたのは、枕を使えるように直してもらうことだ。原型は残しながら、新品みたいに綺麗になってらぁ。
「バッチリだぜお母さん、これできっと早苗さんも熟睡出来るよ」
「アタシも縫いながら昔を思い出してね、なんだか嬉しくなっちゃって」
そう言ってお母さんにっこり笑った。

さて、後は最後の仕上げだ。

「後は頼んだぜ、旦那さん」
新しくなった枕はこっちで直接渡さず、旦那さんから渡してもらう。わだかまりも解かなくっちゃな。
「はい。いろいろとありがとうございました」

それから数日して、早苗さんから手紙が届いた。あの日の夜、旦那さんから詫びの言葉と新しくなった枕をもらってたくさん泣いたって。その枕で寝たら、自分が子供で両親と一緒に楽しく遊んでる夢を見て、ぐっすり眠れたし寝覚めも最高だったそうな。

夢にももう逃げられやしねぇだろうし、一件落着ってこったな。こっちも良い夢が見れそうだ。

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