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音楽とお笑い。

音楽もお笑いも、私の人生に必要不可欠な、私を形成する重要な栄養素です。ダウンタウンとユニコーンがいなければ、もしかしたらもっと普通な人間だったかも知れません(笑)

昨日の記事にも書いてますが、今年のM-1グランプリで個人的に印象に残ったのが、「自分は好きだけどM-1向きのネタじゃない。M-1では厳しい」という審査員のコメントと、本命だったはずのさや香が、何故ファイナルであのネタを選択したのか、という2点でした。

コメントでも言われていたように、「4分間という時間の使い方」これに尽きるんだと思います。なので、間をゆっくり使うスタイル自体が不向きで、私の好きなカベポスターやキュウはそもそも「M-1向きじゃない」ということになるのです。「つかみ」で空気を掌握し、「ボケの数」は多めに。後半に「山を作る」のも重要。ある意味では、普段のスタイルをM-1用に変えて、アジャストしなければならないわけです。

私はバカリズムさんを敬愛しているのですが、やはり賞レース向きなスタイルじゃなかった。結果としてご自身からR-1には距離を置いています。審査員になってからは、その経験も踏まえたコメントをされていて、さすがだなぁと感嘆してしまいます。

しかしながら、型にはまらず大胆に間を使って爆笑をかっさらったコンビもいます。スリムクラブです。その登場は鮮烈でした。奇怪過ぎるボケに対して必要以上に間を使い、ギリギリまで溜めてつっこむ。いや、つっこんでないか、内間さん。完全オリジナルなスタイルです。数を捨てて一発の爆発力にかける、元気玉的な感じ?まぁ、あのお2人は「佇まいそのものがボケ」という、ちょっとズルいところもありますが(笑)

さて、音楽は賞レースはあまり無いですが、似たような感覚を感じたことがあります。

一つは複数のアーティストが出るようなイベントで、1組3〜5曲の持ち曲数なのに、全くヒット曲やらないバンドがいました。普通だと自分たちのファンじゃない客層に対して、良さが伝わるように有名曲が有れば必ず盛り込みます。けれど、そのバンドはファンしか知らないような曲だけを演奏し、そのまま終了。それ自体に何ら問題はありませんし何かこだわりがあったのかも知れませんが、明らかに演者と観客のすれ違いが発生していました。

また、自分たちのやりたい音楽の追求だけしてもセールスに繋がらないというのも、スタイルを型に合わせる必要性という意味では近い気がします。アーティストは結局需要が無ければ食えないし、趣味で長く続けるのはなかなか厳しい。大衆に届ける為にはどうしてもポピュラリティが求められる。そういう意味でさや香のファイナルのネタは、アルバム楽曲としては優秀だけど、シングルには向かなかった。

そんな感じで音楽とお笑いに類似性を感じたのでした。大衆芸能は難しいですね。

いろいろ情報を読むと、令和ロマンは普段からお笑いに真摯で、誰よりもM-1を研究していたと自負するほどだったよう。一番手は難しいというのもきっと折り込み済みで、だからせり上がりの時点でボケを入れて、観客に笑う準備をさせてたんだろうな。その発想自体が斬新。でも、いくら4分の使い方をわかっていたって、本当に面白くなきゃ勝てはしない。スタイルやシステムで笑いを取る漫才だと平場で上手く立ち回れなかったりするけど、彼らはそうではないから、きっとテレビでも活躍すると思う。

さて、また来年のM-1を楽しみにしましょう。

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