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ダウンした時の話(後編)

私がどういう経緯で自律神経失調症の諸々を発症してしまったかのまとめです。前編はこちら。救急車で運ばれたところまで書きましたね、続きです。

救急病院では幸いにもあまり待たされず、点滴をしてもらい回復しました。が、ここから怒涛の問診 in ENGLISHが始まって、まだ働かない頭で英和辞典と和英辞典のアプリを駆使する羽目に。下痢(diarrhea)とか胃腸炎(gastroenteritis)とか普段全然使わないような英語が矢継ぎ早に飛んでくるので、いちいちアプリに打ち込んでもらってやり取りしてました。(笑)

病院では個室のベッドに通してもらい、点滴を打ちながら少しうとうと出来ました。そのうち大学の女性職員さんが駆けつけてくれて、一緒にお医者さんからの診察を聞きました。あれだけ熱が苦しかった(と感じていた)のに、36.0℃だったらしく(笑)身体には大きな異常がないから、精神的なストレスだろうと。精神安定剤を処方したいけどあいにく在庫がないから、とりあえず点滴が効いて元気があるうちに栄養を摂ってよく寝て、一刻も早く帰国するようにと言われました。

真夜中、職員さんが手続きを済ませてくれて病院を出ました。彼女を待つ間、「あの孤独な寮に帰らなきゃいけない、また具合が悪くなったらどうしよう」と考えたら涙と震えが止まらなくなり…でもこの職員さんにこれ以上迷惑を掛けちゃいけない、と必死に平静を装いました。しかし、「今日はうちに泊まっていいよ、一人は怖いでしょ?」と言われ、私はプツンと緊張の糸が切れて号泣。女神のような優しさで、家に連れ帰ってくれました。

私が急遽泊まりに来たはずなのに女神のお家は驚くほど綺麗に整っていて、モデルルームみたいにお洒落でした。ゲスト用のバスルーム(超広くて超綺麗で大きなジャグジー付き)とベッドルーム(完全にホテルクオリティ)を自由に使わせてくれて、新品の着替えまでおろしてくれて、フルーツやカモミールティーを出してくれて、アロマを焚いてくれて…天国かと本気で思いましたね。(この時の幸せな体験が強烈に残って、私は住み良い家・心地いい空間づくりを大切にするようになりました)。「不安になったらいつでも私の部屋においで。明日の授業は気にせずゆっくり寝てね」と声をかけられ、私は数日ぶりにやっとぐっすり眠ることが出来ました。

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彼女の家で。この恩は一生忘れない😢

翌朝もフルーツやクッキーと紅茶を出してくれて、大分回復していた私は美味しく食べることが出来ました。彼女も安心したらしく、私は彼女の出勤に合わせて大学に帰ることに。寮まで送り届けてもらって、私もその時点では「もう一人で大丈夫そう!」と心から思っていました(何なら早期帰国せず予定通り滞在しても大丈夫そうと思っていました)。でも、いざ部屋に帰るとまた不安感は襲ってきて、すぐに具合が悪くなってしまい…「2日連続で救急車に頼ることも、彼女に迷惑を掛けることも出来ない」という思いが前日以上のプレッシャーとなってしまい、みるみるうちにまた震えたり、涙が出たり、身体が動かなくなったりと、夜になる頃には衰弱した自分に戻っていました。

今日も女神の家で夜を過ごしたい...しかし彼女は私と同じ位の娘を2人持つお母さんで、「今日は遠くに住む下の娘が帰ってくるから、久しぶりに家族団欒ができる」と嬉しそうに話していたことを思い出しました。昨日迷惑を掛けたことを謝った時に、「たまたま家族が誰も帰ってこない日だったから何も問題なかったの。気にしないで!」と言ってくれていたことも。昨日お世話になれたのはたまたまであって、今日はそうじゃない。彼女に本当に感謝していたからこそ、そんな大切な日を邪魔したくありませんでした。

「もう迷惑かけたくない」vs「この状態で一晩超すのは無理」というせめぎ合いがしばらく続いていた中、まるで見透かしたように彼女からメールが届きました。「今夜も辛ければうちに来ていいんだからね。家族はいるけどみんなウェルカムだよ」という言葉が再び天国に思えて、「本当に本当に申し訳ないけれど、一晩越す自信がないから今夜も家に行かせてほしい」と素直にお願いしました。彼女の家に着くと、旦那さんや娘さんたちも一緒に温かく出迎えてくれました。美男美女で皆優しくて…迷惑を掛けた自己嫌悪がありながらも、本当に心が安らぎ、体調がすぐれない中でも無事に眠ることが出来ました。

なるべく早く日本に帰国しようと思い、翌日は諸々の手続き(これも誰かの役に立つかもしれないのでいずれ記事にします)に必要な診断書を書いてもらうべく、ロンドンにある日本人の病院まで片道1時間半のドライブをして向かいました(もう症状や事情を英語で説明する気力がなく、確実に日本語でやり取りできる医師を渇望していました笑)。そこで精神安定剤を処方してもらい、必要な書類をもらって早期帰国の準備を始めました。日本人と会えたことや薬をもらった安心感から体調は少し安定し、事務手続きと荷造りをして、寮で無事に最後の夜を越えました。

女神や友達にお礼とお別れを言って空港に着くと、残る体力で酔い止め薬を購入しに行き、長時間のフライトへの緊張で再び不調を感じながらも安定剤に助けられて、飛行機に乗り込みました。かなり警戒していたものの、幸いにも飛行機では大半の時間を寝て過ごすことができて、ほとんど辛い思いをせず帰国できました。

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1年後もまだ苦しんでいるなんて、この時には想像していなかった

「一時的なホームシックのようなものだろうから、帰国すればあっさり治るだろう」と信じて疑っていなかった私は、そのまま一人暮らしの家に帰りましたが、帰路でかなり具合が悪くなるのを感じていました。自宅に着いてもどんどん悪化する一方で、食事も全く取れず。それでも「まだ疲れているだけだろう」と思っていたのですが、ついにその日の夜中、イギリスにいた時以上に大きな発作を起こして救急車のお世話になってしまいました。

「帰国してホッとしたのに身体の症状が悪化するなら、やっぱり何か病気なのかもしれない」と思いましたが、救急病院ではまた大きな異常なし。ストレスだろうと言われたものの、この時はストレスを感じていなかったので、精神的な理由だとも思えませんでした(パニック障害を患った時はストレスの実感があったので、尚更信じられませんでした)。心の状態と身体的な症状が全く結びつかないことに混乱し、明らかに身体が苦しいのに病名と対処法がハッキリ診断されないことに絶望して、ここから私が身体と向き合う生活がスタートしたのでした。


…とっても長くなりました。(笑) 以上、私が発症した経緯をまとめてみました。その後私が経験した治療の経験なども、今後まとめていきたいと思っています。

異国の地でひとり、という状況が私にとってはかなり過酷でしたが、色々な方に助けられて何とか帰国できたことが本当に有難かったです。読んで下さった方は女神との出会いが私にとってどれだけ救いだったか分かってくださるかと思いますが、彼女の存在は私の人生観を180度変え、「愛に生きたい!」と思うきっかけとなりました。あの時の苦しみ全てに感謝できるほどまだ強くないけれど、彼女と出会わせてくれたことは心の底から感謝しています。

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