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矢井田瞳「Look Back Again」歌詞解釈

これまであまり深く考えずに聴いていたけど、改めて歌詞を吟味しながら聴いたら矢井田瞳自身の表現者としての葛藤みたいなものを歌ってることに気づいてとても好きな曲になった。
Look Back Againって、和訳するともう一度振り返ってという意味らしい。サビのGo Look Back Againはさあ行こう、あの頃を振り返ろうみたいな感じだろうか。
で、振り返る対象は何かというと、おそらくサビの歌詞に出てくる後悔や罪や傷などのネガティブなものにかかってる。ヤイコはそれらを振り返ることで古傷のかさぶたをわざと剥がして、その痛みに悶えている。
なんでそんなことをしなきゃいけないのかというと、リッキーみたいに歌いたいから。自分の嫌な過去を是が非でも歌にしてやろうという意地そのものを歌った曲なんだと思う。
いい歌詞や曲を作るには自分自身の思い出したくもない痛い過去を再度引っ張り出してそれを歌詞や音楽として抽出するしかなくて、プロの歌手としてその苦しみの中であがいていたい。もちろん自分の記憶を掘り返さずに架空の状況を想像してそれに沿った曲を作ることもできるけど、できれば自分の記憶をベースにして実感を込めた歌詞やメロディを作りたいというポリシーがあるんだと思う。

作詞・作曲中のヤイコはこれまでの人生で経験した辛く悲しい記憶を呼び起こして歌にしようとするが、よく覚えている確かな記憶でさえ、うまいこと言語化してこれだ!という歌詞や音楽になかなか落とし込めなくて苦しい。そんな状況の中で優しい恋人が「側にいてもいい?」とか言って寄り添ってくれるが、これは自身の歌手としてこうありたいという生き様の問題なので恋人の存在をもってしても苦悩を取り払うことはできない。だから恋人には深く立ち入らずに扉の前でそっと見守っていて欲しい。
歌手として、もう思い出すのも嫌で仕方ない辛い記憶にあえて飛び込んであの時の痛みを呼び覚ましながら、良い歌を生み出したいという葛藤。
自分の嫌な記憶を材料にして作品を生むのは、かなり苦しい工程だろう。だけど、そうして良いものを生み出せたあかつきには、その忌まわしい記憶を愛せるようになるだろうと、そういうことを歌ってる。
向き合いたくない自分の嫌な面、あの時の後悔、胸を軋ませる悲しみ…誰しもこれまでの人生の中でできれば思い返したくないものを背負い込んでいて、普段の生活ではなるべくそれを見ないようにして生きているものだと思う。
ヤイコはそういう見たくないものに果敢に飛び込んでその時の感情を掬い上げ、なんとか歌として昇華したい。そうすることで自らの過去にある負の時間を抱きしめて、愛してあげたい。だけどそういった嫌な過去を思い出すことで生じる痛みの中でもがいている。

それらの記憶を視界に入れないようにして恋人の優しさで心を満たして有耶無耶にして生きていくこともできるんだろうけど、今はそういう救いの糸に甘えることなく過去と向き合っていたい。実体験を元にすることで切実な良い歌を作りたい。なぜならそうすることで過去の自分を救ってあげることができるから。

そんな歌なんだろうなと思いました。
上のPVでも最後歌手の矢井田瞳が幼少期の自分であろう女の子の隣で歌って励ましてあげてるのがとても泣けた。つまりそういうことなんだよ。巨大ヤイコが幼少期の世界を闊歩しているのも、現在から俯瞰で過去の嫌な出来事を振り返っているという表現なのかなと思った。人を助けたり、女の子に寄り添って遊んであげたり、あの時に戻れたらこういう行動するのにな…というのをシミュレーションしたみたいなPVなのでは。

自分の過ちから作品を生み出すことは孤独な作業だけど、苦しみの渦中にいたあの時の自分のことを他でもない自らの手で根本から救済してあげることができるから無敵の行為だなと思いました。

手に入れた糸に溺れてしまう前にって、もう自分が近いうちにそっちの楽な方へ行ってしまうであろうことはわかってるんだよね。でもその前にこれまでの人生で感じた痛み苦しみにけじめをつけておきたい。満たされて幸せになることは良い事なのに、それを溺れてしまうって表現してるのが幸せになる=歌手としての牙が鈍るみたいな危機感があるんだろうな。幸せになりつつある一方で、理想の歌手としての矢井田瞳に変化が来ていることに焦っているというか。ジレンマだよなあ。でも目の前の幸せには抗えないから、自分がその糸に手を伸ばして満たされてしまうことで作詞・作曲への姿勢が変わってしまう寂しさみたいなものも感じた。

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