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伝えるということ

人は思い(想い)や気持ち、考えを持つ生き物だ。

それらを秘したり、言葉や歌や絵にして表に現したり、ときに無きものとしようとしたりと、その時々、内容や相手、自身の力量によりけりで扱いを選択・決定している。


その中でもっともよくなされているのが

「伝える」

ということではないかと思う。


適切な言葉で、相手に伝わるように伝える。
このことを私たちの多くは日々の中で実践しようと努め、また相手にも求め、そして幼い人間にはそういった力の獲得を願い祈って関わっている。ことは多いのではないかと思う。

しかし最近、この伝えるということがどういうことか、という理解が乏しかったことを自覚させられた言葉がある。

それはある方のインプロワークショップの宣伝文にあった言葉である。そっくりそのままではないのだが、

伝えるということはただ言葉を送るということではなく、相手の行動を変える・変えたい、がためになされるものであると。

当たり前のようだが、今までの人生の様々な場面での自身の言動に、こういった意図があったと知らしめられ、一気に束ねまとめられたような感覚がした。


相手の行動を変える・変えたいと意図して言葉を贈ること、それが伝えるということ。

これはつまり、伝えた時に、あるいは伝えたけれど相手が変わらなかったら、あるいは変えられなかったら、それは思い通りにならなかったということである。

思い通りにならないとき、人は感情が強くなる。そして相手に強い言動をとってしまいがちになる。相手の行動を、気持ちを変えたくて。

これを必死と呼ぶことができるだろう。

しかし場合によっては、他者を思い通りに動かすことなどできっこないし、操作的かつおこがましいことを知らない人が続けてしまうやり方でもあろう。



私自身は、自分の想い・気持ちを伝えることは大事にしている。伝わって、それでその人自身が考えて、その結果として、自分の望んだ方向にきてくれたら、と小さく、しかし強く願いはしている。

あとは相手の人生だからと線を引き。

それ以上は干渉しない。


だって、その人の気持ちや意思に裏打ちされていない言動なんて 何も嬉しくないじゃない。って思うから。


そう。このことに尽きる。

相手の気持ちや意思を殺してしまわぬよう、抜け殻のような言動をさせてしまわぬよう。その人らしさを奪わぬよう。

あなたはどう?

の余白を奪ってしまわぬよう。

アイ(i/私はの)メッセージを大切にし、変化を小さくしかし強く願いつつ、叶わぬことが多いことも承知して、それでも気持ちや考えを言葉にのせて、伝えるということをこれからも続けていきたい。



ときにはあれこれ考えずに、ただただ気持ちのままに、欲しい結果を得るために、伝わって欲しいと必死になって、言葉を伝えたってもいいじゃん。と思いつつ。


じゃないと私は私を生きた心地がしないだろう。

大人になってまで常にお利口さんでいる必要は無いのだ。




宇多田ヒカル『ONE LAST KISS』の歌詞、「誰かを求めることはすなわち傷つくことだった」という言葉を思い出す。そして改めてかみ締める。

どうしても傷つくこのこころ・からだを、
そんな人生を、

終わりのない苦しみを、

甘受して、享受して、

明日もこれからも。


そしてこれまでのことも胸に抱いて。


いつまでも



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