カカオ(you)

過去になる私から未来の私のために

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過去になる私から未来の私のために

最近の記事

Play a Life

日曜日。予定は無かったのだが、いてもたってもいられず午後から浜松町へ向かった。 毎日好きなことをやって生きていきたい。燻っていた気持ちが目を覚ましてしまった。 この歳で、こんな気持ちになることなんてないかもしれない。そしてこの気持ちは過去に一度経験したことのある気持ち。気持ちというより情動。これはまた同じような刺激を受ければ同じ鮮度で蘇る、一生消えないものだ。 カフェで今年の予定も含めた自身の舞台出演歴をまとめた。再挑戦してみたくなってしまった。とにかく目の前のことに一生

    • 生きているからこそ

      障害を持つに至った経緯と今について、詳細を書き残しておこうと思う。 今朝7:00前。目が覚めて、まだ意識がぼんやりする中、宇多田ヒカルのElectricityを聴いた。なぜかこの歌を聴くと無性に泣きそうになる。 その状態がきっかけになってか、ここ最近のことを連想している自分がいた。暖かい関わりをしてくれる人たちを想い出し、じんわりと温かい気持ちになった。今日も育休中の元同僚、その他の仲のいい元同僚たちとのランチの予定がある。 ふと、といっても頻回ではあるが、「あの時死ん

      • 移ろう香り

        季節の変わり目が放つ香りは、私にはいつも色濃く感じられる。 初めて購入した柔軟剤や香水を初めて使用した時のような、意識が夢現から現へとシフトするときのような、そんな感覚をもたらす。 四季よりも、四季の境目を愛してやまない。 私は、四季の境目に訪れる香りが器官を刺激し、そして生まれてくる気持ち・感覚を上手く言葉にできなくて泣きそうになる。泣くことでしか表せないくらいの気持ち・感覚なのだ。 そこに干したての洗濯物からの香りが混ざるとこれまたえも言われぬ気持ち・感覚になり、

        • 対人関係と自慢ごころ

          関東に来て9年目に入った。 もうそんなに経つのかと、時の流れの速さを、それすなわち命の短さとも言えることを、感じた今日この頃。 今日は仕事の後にこっちに来てできた友人と2人で観劇に行った。気心知れた仲と言いたいほど楽にいられる、特に貴重な友人だ。 居酒屋で舞台の感想を話し合い、料理やお酒が美味しいなんてことを口々にこぼし、プライベートな話も少しだけ挟んだ。 終電間際の電車に乗り友人とは別れた。その電車の中での帰り道、ふと自分は対人関係に恵まれていると感じた。 上京し

          内側が擦り減る靴

          自分が履く靴は踵が擦り減ることがない。 しかし、内側が擦り減る。 どういうことかと思う読者が多数だろう。 私は後天的な身体障害を左足に持っている。 骨が歪になってしまったため、履ける靴が限られる。 その限られた履ける靴はニューバランスの靴である。 元々矯正靴の製造メーカーという歴史があるためか、私の足でもなんとか履け、馴染むと楽なのだ。 そんなニューバランスの靴であるが、靴の内側踵部分が歪な踵の骨の部分と擦れてしまい、1ヶ月も履けば壊れ始める。 インソールも劣化しや

          内側が擦り減る靴

          片脚を(改訂版)

          最近、はじめましてで話すことが多かったり、元々繋がりのあった方々と改めてやり取りをする機会が多かった。こころが動く瞬間も多かった。 忘れたくないので書き残しておきたいと思う。 先輩の手伝い 先日記事にも綴ったことだが、住職をされている先輩のところへお彼岸の手伝いにいったこと。非日常的な場であり、人が人を想うことを少しだけ考える時間になった。また、『ふたりの墓』と書かれた墓石が印象に残った。死してなお共に在る。それが素敵なことに感じた。 死んでも人のこころに残る、影響を

          片脚を(改訂版)

          ポートレート撮影についての説明ページ

          ◾️挨拶と概要 駆け出しフォトグラファーのカカオ(you)と申します。 ご覧頂きありがとうございます。 ご提供する内容は、駆け出しフォトグラファーのカカオ(you)が、お客様がご指定する場所へ伺わせていただきポートレート撮影を行うものです。 駆け出しではありますが、撮影、作品にはこだわりを持っています。 できる限りご要望にお応えし、お客様のさらなる魅力を最大限引き出せるよう努めさせていただきます。 数は少ないですが、ポートフォリオ(作例写

          ポートレート撮影についての説明ページ

          孤独

          寂しさと同義で扱われることもある言葉。 孤独には、身体的孤独、精神的孤独がある。 私はそこに、知的孤独もあると感じている。 ここ数日気持ちの動きが多い。 先日、住職であり、心理の先輩でもある方の家のお彼岸の手伝いに行った。何度目かの手伝いだ。 その先輩は哲学にも精通しており、また仏教にも詳しい。 手伝いを終えて息子君たちと仲良くなったあと、先輩とふたりで飲み屋で語った。 その先輩は、私が同職に向けて真剣な問いを投げかけ、笑われてきたことを知っている。その先輩は笑

          表情

          こころの中の感情が顔に現れたもの。 自分の顔を肉眼で直接捉えることはできない。 すなわち、その時々その一瞬間、自分の顔にどんな感情が現れてしまっているのかを、直接知ることはできない。 私は誰の前でどんな表情をしているのだろう。 伝わって欲しい感情がそのまま表情として出ていればいいなと思う。伝わって欲しくない感情は出ていて欲しくないなと思う。 相手にどう伝わるかはわからないのが難しいところだ。 自分という観点から、他者に変えてみる。 その日その時々、私の目の前にいる

          勝手

          心臓が勝手に動く。 血は勝手に巡る。 肺は勝手に呼吸を繰り返す。 自律神経は勝手に切り替わる。 瞼は勝手に重くなる。 身体は勝手にお腹が空く。 瞳孔は勝手に開く。 唾液は勝手に溢れる。 汗は勝手に出てくる。 毛は勝手に生えて伸びる。 顔は勝手に赤面する。 食べたものは勝手に分解される。 毒素は勝手に分解される。 傷は勝手に修復する。 人が意識しない・できないところで身体は勝手に動いている。 自分をコントロールできている? どの程度のことを?

          泣いた理由

          仕事関連のことをいつもより少々盛り込んだ内容となる。 勤務先にて卒業式が行われた。その後、昼食を食べながら、最高学年の先生方の感想スピーチを職員で聞く機会が設けられた。 ある先生のスピーチから、私は静かに泣き出していた。 ぬぐってもぬぐっても、涙の轍に次から次へと涙が続いた。 その場で泣いていたのは私と他2、3名。あまり感動して泣くようなシーンでは無いし、私も感動で泣いた訳では無い。 終わり良ければ全て良し。 これまでの色々を帳消しにできてしまう。 といった言葉が

          泣いた理由

          話しやすさ

          「話しやすい」と言ってくださる方がいる。 「何でですか?」と訊ねられ、答えはしたものの自分の中で「はて、何でだろう」と思った。 意識はしてきていたので、「話しやすい」と言われるのはとても嬉しい。そうということを前提にしてちょっと考えてみたい。 病院勤務時代のことが大きく影響しているように感じる。 報連相をするためによく話しかけねばならないのだが、その時々の気分などで話しかけると嫌な顔をする人がいた。 内容を伝えてもその後は否定、叱責。 そもそも私が話伝えることは、

          話しやすさ

          気付き

          こんな実験があったらしい。 ラットに電極を取り付け、メトロノームの音が聞こえる状況に置く。そこから空腹状態を作り出し、その状況の中で餌を与えてみる、というものだ。 これでなにが明らかになったかというと、 餌を与えられるまではメトロノームの音の影響を受けていたため電極に一定の反応があったのだが、餌を与えられた瞬間から電極に反応がなくなった。 メトロノームの音が変わらず鳴っているにもかかわらずラットには聞こえなくなり影響を受けなくなったということである。 つまり、音の刺

          嘆き

          2年くらいか、密かに嘆いていることがある。 それは、物事への「思考が深まらない感じ」についてである。 以前は自分でも気持ちが興奮するくらい、とても身近なことについて 疑問を投げかけ考え調べ、自分なりな答えを見つけようとしていた。 最近はそれがめっきりなくなってしまったのだ。 きくということ みるということ はなすということ ひとりということ ふたりということ 誰かといるということ 待つということ 味わうということ 眠るということ 言葉とは何か わかるとは何か 理解とは

          ちゃんと怒れること

          怒りは大切な感情と言われている。 しかしなぜ大切なのか、どう大切なのかを説明する人に出会ったことはない。 怒りに関する本を読むが、ポピュラーなところの本には本質が書かれていないとも感じている。 私なりになぜ大切なのかを、過去を振り返りながら綴ってみたい。 まずもって今現在、私は以前より怒りの感情を感じることができ、そしてそれを話せる人に言葉で話し伝えきいてもらえる機会が増えた。またその場で感じた場合もその場で相手に言葉や態度で示せるようにもなってきた。 ここまで来る

          ちゃんと怒れること

          凡人なりの生き方

          私は凡人である。スポーツも勉強もその他のことも、何一つ秀でたものなどなく、人様どころか自分自身からも高く評価できたような好きなこともなく生きていた時間が長い。 黒い色がその少量で他の色に大きな影響を与えるがごとく、劣等感が何事にも影響を及ぼしていた結果であろう。 勉強、そもそもの知能指数、交友関係、学校からの評価、大人たちとの付き合い、習い事の野球、楽器のスキル、そもそもの趣味の幅、自分らしくという生き方など、何事も兄に敵うものがなかった。 気づいた時には劣等感というも

          凡人なりの生き方