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ある青年と言う記事の書きかけを読み返して

過去の書きかけの記事を読み返して

ご両親を亡くし、自分を責め悲しんでいる彼と、両親を捨て、いつ死んでも全く悲しくない私。

とても複雑な気持ちだ。
どちらにしても辛いのだ。

悲しめる程愛された彼は幸せだけど、苦しんでいる。

悲しめないほど嫌っている私も苦しんでいる。

愛された彼は今、孤独で。
孤独だった私は今、孤独ではない。

何が幸せで、不幸なのか、本当にわからない。

-----ここまでが以前の書きかけ-----

私にとっては大きな変化

こうして見ると、人って気づけば変わっていくもんだなって思う。
もう2度と会わないけれど、父サイドの身内は相変わらず嫌いだし許せない。

けれど、母の幸せは心から願っている。
母にはもどかしさと、苛立ちとすれ違い、そして自ら不幸な選択ばかりをする母に対して怒っていたんだって事に気づいた。

私がここにいることを、どんな酷い父であろうと、両親に感謝できるようになった。

そうなると、世の中や全ての事に愚痴っぽかったりイライラ、怒りやすかった私だったのが、それが減ってきて、1日の終わりは必ず「いい1日だった」と締めくくり終われる。

以前は父母と呼ぶのも書くのも嫌だった。
それもない。
生きているので色々あるし、当然しんどいですが幸せです。
ありがとう。

これだけは心から言えるし、夜寝る前に感謝や母へ、今はどうか幸せにと言葉に出して言える。

親を恨んで否定する事は、どんなに酷い親でも、この世に自分を出してくれたことだけは感謝出来ないと、自分を否定し、自分に関わってくれている全ての人を否定する事になる事に気づいた。

それが心から分かると「感謝」の本当の意味がわかる。
何十年も「子供をこじらせて」自分の悪い所、上手くいかないところは確かに根っこは親や育った環境、経験だけど、後ろばかり見て恨むことで誤魔化して、何に対しても言い訳する癖が長い年月をかけて付いて。

また年季物だから、上手く誤魔化せてしまうので、余計に自分は悪くないと。
そのメッキを剥がしてくれたのは、今年さよならした猫。

あまりの辛さに
心がボロボロで
不安定で
剥き出しになって。
誤魔化しきれなくなっていたんだね。

そこに厳しい言葉をかけてくれた天使先生。
でも今度は天使先生に親として依存するようになっていた。

見捨てられ不安がいつの間にか出てきて、ちゃんとしなきゃ。
間違えちゃいけない。
怒られたくない。。

偉大な親の前で畏敬の念を抱き、嫌われたくない。
見捨てられたくない。
その一心で不安で不安で、言動の選択がおかしくなる。
そして、大好きで尊敬している人生の先生を恐れるようになってしまった。

そして、「怖いと」言って傷つけてしまった。
本当に私は人の心がわからない。
いくら親しくても、それぞれの距離感、選ぶ言葉、話す内容を選ばなければならないのに。
自分の怖い。
嫌われたくない。
の弱い心が勝って、大切な人に対する思いやりがなかったんだと、今までで1番反省した。

今度は、大好きな優しい天使先生に依存しない、もっと安定して、大人になるまで会わない。

会いたくても会わない。と決めた。

やっと、長年の分厚い鉛のような殻が剥がれて、外の世界を年相応の視点で見ないわけにはいかなくなった。

私はいつか全ての殻を脱ぐ。
幸せのために。


最後に

今私のように親を憎み続けて苦しんでいる人がいると思います。

自分が何十年かけて親を憎み続けた側だから言わせてください。
どうか、初めは上からでもいいです。

「クソJJIクソBBA、産んでくれたことくらいは感謝してやる。」

毎日、寝る前に、心に思ってなくても声に出して言って寝てみてください。

必ず変わります。
そして、色んなことから解放されます。
こんなに簡単なことだったのだと気づきます。
人への感謝の重みが変わります。
そして、「1日1いいこと幸せ探し」をしてください。
ご飯が美味しい!それもいい事、幸せカウンターは回ります。
愚痴っぽかったり怒りっぽい…不満が減ります。

きっと、今より幸せになれます。
私が1ヶ月強、続けて変わったのですから。

一緒に幸せ探しましょう!