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『体育教師を志す若者たちへ』後記編12 水泳は「学校の先生には教えられない」?

 水泳授業の民間委託が急速に進められつつありますが、ネットニュースを見ていたら埼玉県の坂戸市が来年度から全ての小中学校の水泳授業を市内のスイミング事業者に全面的に委託すると発表したとのこと(2月19日付)。このニュースに目を通して驚いたのは、坂戸市の石川清市長が「(水泳は命に関わるが)学校の先生には教えられない。一年中できるようにして、子どもの命を守るために始める」と述べたというのです。「学校の先生には命に関わる水泳は教えられない」と公然と言われてしまいました。これを学校の先生方はどう受け止めるでしょうか? 
 小学校の先生方で水泳の授業が苦手だという方は歓迎なのかもしれませんが、今回は中学校も民間委託に加わります。保健体育を専門として免許を持っている先生方はどう受け止めるべきなのでしょうか。私の意見は坂戸市長とは全く逆です。民間委託では水泳授業は任せられません。その理由について、現段階では次の3つのことが重要だと思います。

 まず、現在の学校教育では異質集団による協同学習が進められつつあるのに対して、スイミングスクールの指導者たちはそうした教育理論や実践を学んでおらず、能力別でしか指導した経験がないのではないかということです。水泳授業だけは能力別でよいのかという問題です。戦後これまでに何度か習熟度別個別化学習が批判されてきて、ようやく「協同学習」の意義が実践的にも明らかにされてきている状況の中で、「個別最適な学び」の名の下に、再びそれが習熟度別へと逆戻りしていく危険性が出てきているのです。
 中学校学習指導要領の保健体育編には共同学習の観点が次のように書かれています。「体力や技能の程度及び性別の違い等にかかわらず,仲間とともに学ぶ体験は,生涯にわたる豊かなスポーツライフの実現に向けた重要な学習の機会であることから,原則として男女共習で学習を行うことが求められる」。インストラクターの方たちはこうした授業をどのように構想するでしょうか。「個別最適な学び」が習熟度別に陥っていく危険性について他教科においても危惧されるところです。
 
 第2に重要なことは、毎時間の授業は前時における子どもたちの様子や反応を見て新たに組み立てられていくものだということです。そのための情報は授業中の子どもたちの様子からだけでなく、授業後における子どもたちの会話や日記などからも得られます。しかし民間委託における水泳指導はその場限りの指導です。子どもたちの願いをくみとって一緒に授業を進めることができません。それは授業とは言えないでしょう。そうした問題を指摘すると、「教師が子どもたちの声をインストラクターに届け、一緒に授業を進めていけばよい」という意見が出るかも知れません。しかしながら今の学校現場はそんなやりとりをしている余裕はないのです。1時間の授業のために指導関係者で1時間の準備ミーティングがとれるなら分かります。しかしそんなことができるはずがありません。結局インストラクターの指導計画のベルトコンベアーに子どもたちを乗せて流し、落ちこぼれていく子どもたちは下のランクに落として拾い上げていくという、とても授業とは言えない能力別指導が行われていくことが危惧されます。そして怖いのは、そうした「授業」に対する違和感がしだいに薄れていき、それが当たり前だという考え方に教師が変わっていってしまうことです。

 3番目に重要なことは、学校の教師は指導者であるとともに、つねに研究者としての側面をもっており、様々な発達状況にある子どもたちと出会う度にその指導法や原理を研究して実践で明らかにしてきているということです。私がこれまで紹介してきた学校体育研究同志会の「ドル平」がまさにそうであり、そのドル平指導の在り方は他の近代泳法との関係や安全教育、そして水泳文化の発展としての視点からつねに修正、発展させられてきています。
 それに対して民間の水泳指導は水泳連盟の水泳指導教本に従い、指示された指導マニュアルに従って進められます。自分で研究して別の指導を試みることは許されないでしょう。学習指導要領に忠実に授業が進められていく教育の国家統制が危惧されるのと同様に、今度は水泳では水泳指導教本に忠実に(学習指導要領の考え方を取り入れながら)進められていくことになるのです。今後民間委託の水泳授業が研究授業として取り上げられることも出てくるでしょうが、その際の主要な研究テーマは、脇役としての教師がどうインストラクターと連携していくかということになるのではないでしょうか。水泳連盟の指導法を批判的に議論していくことはまずできないでしょう。こうした点を教育学の観点から問題にしていきたいものです。

 

「ドル平」は学校の先生方が考え出した泳法で誰もが泳げるようになる基礎泳法と考えています。

 今回、「学校の先生方は命に関わる水泳指導はできない」と言われてしまいましたが、現在の学校の先生方は救急救命法の講習を必ず受けてきており、スイミングスクールのインストラクターも同じです。違うのは教員の劣悪な職場環境で、教師が30人を越える子どもたちの命を1人で守らなければならないという授業実態です。子どもの命を守れないのは教師の指導力の問題ではなく、指導体制の問題のはずです。問題をすり替えてはいけません。この指導体制の問題は、教師の指導力を発揮するためにこそ改善しなければならない大きな問題のはずです。

 残念なことに今回の坂戸市長の発言が出てきた背景には、水泳の授業研究に取り組めない多くの教師が苦手意識から水泳授業の民間委託を歓迎してしまっている状況があります。プールを改修してもらって自分たちで水泳授業がしたいということが教職員組合の要求にもならないのです。そして行政としては教育にはお金をかけたくない、民間委託の方がプールの改修よりも大幅に節約できるというそろばん勘定があります。坂戸市では市内小中学校のプール改修をせずに民間委託すれば5年間で4億円の経費節減になるとのことです。そんなそろばん勘定を喜んでいいのでしょうか。
 教員だからこそいい水泳授業ができている、そんなニュースが出てほしいものです。


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