「スライム!日本社会!」――概要

「スライム!日本社会!」
ーー日本社会は流動性を失ったスライムだ!ーーー

概要


インターネット上の声を眺めていると―――声を眺めるというのも少し不思議な表現だ―――やたらと日本社会を憂う声が聞こえてくる。かといって社会を変革に導こうというわけでもないらしい。

どちらかというとただひたすらの憂いや嘆き、いわゆる不満であり、何かを変えようとする動きはあまり見られない。殆どの場合は自虐的にまたは落語的に社会問題は呟かれている。


特に取りだたされるのは「ブラック企業」といった文言ではないだろうか。



(中略)


日本社会を取り巻く現状や問題を考える時、私は日本社会のことをこう表現したい。「スライム」である。叙述的に説明をするならば「日本社会は流動性を失ったスライムだ!」ということである。


スライムというと思い浮かぶ概念が統一されないであろうから補足的に説明をすると、流動的であり固定的な物体、もしくはそれらの中間となる物体である。


社会という事象を捉えるにあたって、社会は人間の体のようなもの―――血液が流動し、常に循環している―――であるから、社会はそもそも流動的である。もし社会の流動が完全に止まるとしたらそれは人間における心臓が止まることと同義だ。


社会がスライム化しているということは人間でいえば血液がどろどろな状態や、本来の関節の動きができないといった状態である。まさに生活習慣病の一種のようだ。


しかし、これを社会の老化と捉えるかというと私はそうは思っていない。何故なら、社会は再生産可能であり、生まれ変わることができるからだ。これだけでは不死鳥のような印象を受けるかもしれないが、その解釈は一つの正解であり、もう一つの解釈を加えるとすれば、社会の寿命はとても長く、その長い命の短い期間においてたまたま社会が不調になってしまった状態とも捉えられる。


社会をどの周期で括って認知するかというのは一つの要点であるが、社会が流動性を失うということは一概に悪いことではない。流動性を失ったスライムが何らかの刺激により、内側から動作性を取り戻し活動化をするという事例もある。


例えば、日本の歴史を遡れば平城京から平安京への遷都というのは―――諸説あるが―――腐敗した政治を内側から活動化させ、動作性を取り戻した結果、再び流動性が生まれたといえる。


ここで更に詳しく、江戸幕府から幕末、明治維新から明治政府と社会が変化した流れを考察してみよう。


―(中略)―


動作性という観点から、生き物のような社会を遠目に観察すると、ときたま観察対象として興味深い動きをすることがある。

第一次世界大戦から、第二次世界大戦へとかつてのドイツ帝国、かつてのナチスドイツが歩んだ動き、更に時は進んで冷戦期、冷戦後、現在、とかつての東ドイツと西ドイツ、東西統一後のドイツ、ユーロ連合発足後のドイツの流れを観察―――まるで宇宙人が遥か彼方から地球を眺めているような…物語の作者が神の目線で読者に語りかけるような視点から―――してみよう。

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