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人の顔が怖い話

予め言っておくと、この記事は読んでいてどんな反応があるのかあまり分からないと思っている。
同じような経験を持つ人が共感できて面白いのか、つらいだけなのか。
共感できない人は興味深く読んでくれるのか、呆れ返るのか。
それでも書いてみたかったのでここに残す事にする。



いつからか、視線に恐怖を感じるようになっていた。


元々人前に出る事は好きではなかった。
しかし何か能力を発揮して多くの人からの称賛を受けたいという欲求は、ずっとあった。
だから小学生の頃はそれなりに頑張ってはみたものの、いつも空回りして上手くいった試しがなかった。
恥をかくばかりだったのである。

私は人間関係を築くのもあまり得意ではなかった。
本当に人付き合いができない人からすれば、少ないとはいえ友人がいて上手くやれていたように見えていたかもしれない。
しかし完全に心を開ける相手は私の人生において殆どいないと言える。
内心はいつも怯えていた。

それは成長してだんだん人間関係が複雑になっていくにつれ加速していく。
中学~高校生の頃はそれなりに失敗もした。
修復できずそのまま去った相手もいる。
狭い世界だ、悪い噂・評判は簡単に広まるだろうと思った。
よほど親しい人間以外は全員自分に悪意を持っている、と思いながら廊下を歩いていたのだった。

大学生の頃には更に精神状態が悪化していた。
大勢がいる所で台本なしに発言するなんて当然できるわけがない。
外に出るとずっと周囲の人間が自分を見ていると思っていた。
視線を感じていた。目が怖かった。
遠くから聞こえてくる声が嘲笑に、すれ違う声は私への悪口を言っているように聞こえていた。
時々黒い影が見えるようにさえなっていた。
しかし日常を送れなくなるような完全な精神の崩壊までは至らず、ぎりぎりの所で自分を守れていたと思う。
幸い私には大切にしてくれる人がいたし、毎日のように日記を書いて感じた事の整理を行っていた。
おかげで視線も悪口も黒い影も、悪意などは全て妄想であると頭では冷静に考える事ができていたのだ。
感情が、感覚がついてこなかっただけで。


何が良い作用をもたらしたのだろうか。
時が経つにつれ、少しずつ少しずつ、回復してきていた。
実感したのは大学を卒業してから数年経った後だった。
話すという事自体に夢中になったり集中していれば、そこそこ視線は合っているように見えるようだ。
特に今の職場では手元や商品を見ていて作業しながら話している事が多いから、単純に目立たないだけかもしれない。
年齢を重ねて図太くなったからなのか、自分の納得のいく恰好ができるようになったからなのか、見られていると感じても「私が美人だからでは」などと思えるようになった。
……ポジティブになったものだ。

以前より随分マシにはなった。
普通に友人知人と会えるし、更に言えばオフ会やイベントなどにも行って楽しい時間を過ごせたりする。
しかし、今も少し視線は怖い。目が怖い。
意識すれば顔を見て話せない。
よく言われているような「眉間の辺りを見る」という事も、意識してしまうとできないのだ。
外を歩く時は目が合わないように、他人の顔を見ないようにしている。
防犯としては良くない事だけれど、少々遠回りしてでもできる限り人通りの少ない道を通る。
外出していなくてもそうだ。
私はゲームの実況プレイなど色々な動画を見るのが好きなのだけれど、リラックスできないので顔出しをしている方はほぼ見た事がない。
見るのは全く顔を出していない方か、現在ならVtuberが多い。


そんなものだから、写真アカウントをやっているくせにポートレートを見るのは苦手だ。
人がこちらを見ているものは特に。
子どもは何故か大丈夫。小さければ小さいほど、むしろ癒されるので好き。
大人でも後ろ姿や遠景など、"人の顔"がメインになっていない写真なら平気なのだけれど、そうでなければ申し訳ないと思いつつさっと流してしまう。


あと数年も経てば自然にもっと良くなるのだろうか。
それともきちんと対策を立てるべきなのだろうか。
もう大人なのだから、人の顔が怖いだなどと甘えた事は言ってはいけないのかもしれない。
でも今は"なんとかなっている"と思えるのだから、これからだってそうなのかもしれない。
答えは出ないまま、日々を過ごしている。




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