とある蒼空のフロンティアのために書いた話(虹創作扱)


 海抜高度2000メートル。一応、日本。
 ここは中空パラミタ大陸の、広大なヒラプニラ平原の片隅。さらにその脇にある、小さな湖の近く。
 空には間近に、大きな羊雲と太陽が大きく見えていた。
 平原は寒々しく、見渡す限り薄茶色をしている。
 肌に触る風は寒いのに、焼けるように太陽が熱いのはなぜだろう?
 砂埃すら舞わない枯れ草の平地を、濃い緑色の一台のトラックが走っていた。
 トラックにはホロがかけられ、中には厚手の制服を着た数人の生徒が入っている。
 一人の生徒が、ヒョッコリと荷台から顔を出した。ホロから覗く風景が、死んだ茶色からわずかに緑に変わってきたからだ。
「おお、なんと良い匂いの大陸だろう。ごらんよガブリエル、君もそう思わないかい?」
 多少劇画がかった身振りを交えつつ、ベレー帽を被ったセイバーの山形・ヒロ子は言った。
 ベレー帽と山形はホロの支柱にぶら下がりながら、大きく腕を振う。体重で支柱が軽くしなるが、当の本人はお構いなしだ。
「あとは筆とカンバスがあれば良いのだけど、今のあたしは筆でなく、この大きな剣を持っている。そうだ、今日のあたしは絵を外から描くだけではなく、絵の中の風景を自ら創ろうじゃないか!」
「まったくでございます、ヒロ子殿」
 同じく少し劇画調の返事を返したのは、ヒロ子のパートナーで僧侶のガブリエール・ブローニュだ。
 彼はトラックの台座に座ったまま、ヒロ子と同じ外の世界を覗いていた。
 トラックが小石に乗り上げ、ゴトンと揺れる。
 揺れで一瞬バランスを崩したヒロ子を、ガブリエルは軽く袖を引っ張って守った。
「……」
 一人、オドオドしながら周りの様子を見ている小さな子がいた。
『ね、ねぇソーイチさん。すごく、静かですね』
『そうだな』
 プーリストの水上千里は、アサルトカービンを持って隣に座っているペンギンのソーイチ・ピーイーに話しかけた。
 ソーイチは尖ったクチバシを、グルリと周囲に向ける。
 黒髪オールバックのローグ、王土・晴彦が隣の女の子……プーリストのラス・ルゴと何かで遊んでいる。
 たまに女の子が何かねだるような仕草をすると、オールバックは困りながらも嬉しそうに何かで応えた。
 その隣では、何か一癖ありそうな別のプーリストの向坂楊子が、一人でトランプを弄んでいた。
 ポーカーのディーラーをするようにカードをシャッフルし、自分で5枚のカードを持つ。
 そこを隣に座る、頬に3色のラインを引いたヴァルキリーのレナード・ヴァルフォアが楊子の手を軽く叩いた。
 イカサマだったのだろうか。トランプのカードが一枚、向先の裾元からハラリと床に落ちた。
「やめるんだ」
 イカサマカードに、3本ラインを軽く歪ませたレナードが楊子をたしなめると
「別にいいじゃない」
僧侶の紋章が刺繍された学生服の楊子は、悪げもなくまたトランプを切り始めた。
「……」
 そんな二人の様子を、同じ僧侶の紋章を持つプーリストの染川青嵐(そめがわ・せいらん)が見つめていた。
 不思議そうに自分を見てくる染川の視線。対して楊子は、トランプを切りながらめんどくさそうに応えた。
「なに?」
「僧侶は、清貧であるべしと、マスターに聞きました。あなたがやってるのは、賭け事のトランプです」
 染川の問いに、楊子は全くトランプを切る手を休めようとしない。
「……だから?」
 向先はまるで無関心の素振りを見せる。だがなぜか、隣に座る3本筋のレナードの方が染川を睨んでいた。
 一瞬、静かな荷台に緊張が走る。
 ペンギンが3人を見つめ、その後ろに小さな水上は必死に隠れようとした。
「賭け事は僧侶の忌むべきもの、とマスターの教科書に書いてありました。あなたは私の持つ教科書と、正反対の事をしています」
 染川は言いながら、自分の懐から一冊の手書きの冊子を取り出した。
 冊子には手書きのマジックで大きく『世界の常識』と描かれ、隅っこには小さく『そめがわ せいらん』と書かれている。
「……」
 染川の出した『手作り教科書』にキョトンとした3本線のレナードだった。が、染川の真剣なまなざしに楊子の方は小さく「めんどくさ」と返した。
「はいはーい。お三方、ここはパラミタ一番の商人(でローグ)の汀野・歌仙にお任せくださーい。染川様は、少し古い教科書を持ってらっしゃいますわね。その教科書にはたぶん載ってないとは思うのですけど、実は僧侶にも色々な宗派がございまして……」
 そう言いながら三人の間に入ってきた学生服の汀野は、一冊の黄色いガイドブック『パラミタの歩き方』を手に広げながら割り込んできた。
「……まぁ、簡単に言うと僧侶の新派ですわ。ええっと、楊子様、ですわね? はい、このレッドサファイアをおあげいたしますわー。はい、染川様にはこの新しい教科書を。どうぞー」
 言いながら汀野は楊子に小さな紅い石を手渡し、染川にはパラミタのガイドブックを手渡した。
 急に物を渡された楊子は、貰う体勢のままちょっとかたまってしまう。どうすれば良いのか分からないようだ。
「……楊子さんは、わたくしと同じ宗派の僧侶の方なのですわよね?」
 僧侶の向先は汀野に手渡されたレッドサファイアを見て、何か察したらしかった。レッドサファイアを握ったまま、目だけで染川に小さく「よろしく」と目礼した。
 対して染川の手には別に新しい教科書が持たれていた。だが、顔には「?」がいっぱい浮かんでいる。
「それは、どういう宗派ですか?」
「そうですわね。簡単に言えば、世界一『幸せ』が大好きな宗派ですわ。では楊子様は同じ宗派の方なので、特別価格で1000G。染川様には1200Gいただきますわ」
 汀野が値段を言った瞬間、楊子は素早くレッドサファイアを汀野の学生服のポケットに戻した。どうやら汀野のガメツさに気が付いたようだ。
「あーっ!? 俺のレッドサファイアが無いっ!! テメェッ、俺の魔石を盗んだな!?」
 今度は荷台の奥に座っていた一人の若いヴァンパイア、フリント・スナップハンスが紅い瞳を激しく怒らせて台座を立ち上がった。
「返せよ、俺の石っ!」
「まぁ待つんだ、みんな。ここは俺の顔に免じて争いごとは……」
 赤い瞳のフリントにビクビクしている水上を察した一匹のペンギンが、アサルトカービンを携えながら争いの中心に割り込んできた。
「いや、ここは私と妹の顔に免じて……」
 そこへオールバックの王土が、ニヤニヤしているちびっ子のラスに背中を押されてやってくる。
「せっかくですが、私にはマスターの教科書があるので……」
 さらに染川が狭いトラックの中で立ち上がった。意外と背が高い。
 さらに喧騒から楊子を守ろうと、今度は三本筋のレナードが立ち上がった。
 揺れるだけのトラックの荷台に、一瞬にして様々な姿格好の集団が出来た。
「……レイジさん? どうされたのですか?」
 騒然としている荷台の中心から外れた隅。一組の男女――ローグの藍乃・レイジとヴァルキリーのセレン・スカーレット――が、静かに台座の上で皆の様子を伺っていた。
 他の台座と距離を取るように、二人はわざと他の席との間に一人分の空席を持たせて座っている。
 二人の周りだけが、篤い荷台とは違うような。黒くかすむ、まるで小さな別空間みたいだ。
「……」
「レイジさんは、皆さんと一緒にお話されないのですか?」
「……」
「……わかりました。では、わたくしが皆さんと一緒にお話し……」
「立つな」
 セレンが席を立とうとすると、それを遮るように藍乃(レイジの名前)は腕を横に伸ばした。
「?」
 セレンが藍乃に遮られるままに台座に留まると……
「おおっと、あぶない! 急にトラックが止まったから、ついバランスを崩してしまったよ!」
 急停止したトラックと一緒に劇画調なベレー帽山形が、裾を引っ張るガブリエルを引きずって中央の集団に大きく突っ込んできた。
 ぐぅと皆が唸る団子の最下部は、アサルトカービンとペンギンだ。
 ペンギンは下敷きになりながら、落ち着きつつ
「ふっ、ここが戦場じゃなくて良かったぜ」
 と小さく呟き、一本の葉巻を取り出して火をつけた。
 次にガジャガジャと、無骨な金属音と共にトラックの丈が外れる。
 ギィと大きな音を響かせ、開いたドアの向こうに一気に蒼い湖と広大な建物が広がった。
 『湖畔に建つ』『美しく青い』『広大な敷地を持った』学園。日本上空に突如出現した新天地の、輝かしい人類の橋頭堡だ。
「ようこそ蒼空学園、溜池キャンパスへ! 君たち、蒼空の新しい生徒だね?」
 一緒に目に飛び込んできたのは、黒い執事服で身を固めた『カジさん』ならぬ、流すような髪をしたウィザードの杉浦・司郎だった。
 キョロキョロしている水上も、ちびっ子ラスも、トランプを持ったまま固まっている向坂も、藍乃とセレンも、一瞬自分がどうすれば良いのか分からないように団子と風景と教師の杉浦を見比べている。
「んー、どうやら道中はちゃんと楽しんでたみたいだねぇ」
 ムスッとした顔で崩れてく団子たちとは対照的に、教師杉浦の顔はニヘラニヘラと笑っていた。

「んー……んん? たしか今日来る生徒は14m……いや、13名と1匹だったよなぁ?」
 蒼空学園本校に戻っていくトラックを尻目に、杉浦は学生服の人数を指差しで数えた。
 生徒のほとんどが目立つ武器を持っていないのもあり。その上ゆる族で『中の人などいない!』の一人を『匹』で数える事になっているのもあり。妙にアサルトカービン銃が目に付く。
 そしてその『匹』の動きも、「中の人などいない」事を強調するように本物のペンギンそっくりに造られていた。
 丁寧にもクァクァとヒレまで動かしている。
「あれー。んー、あれぇ、どうしよ……」
 杉浦は不明の生徒を把握しようと、手に抱える教員簿をペラペラとめくった。
「先生。もしかして私のマスター、瀬川の事をお探しですか?」
「……おうっ。瀬川君か、彼はどこにいるんだい?」
「マスターなら、後から合流すると言ってました」
「後から? 本校から歩いてくるのかい?」
「歩きで本校から来る、か。だいたい100キロくらいか? クラスメイトの瀬川とやらも、初日からご苦労だな」
 講師である杉浦の代わりに『ご苦労だな』と、ペンギンが反応した。
「苦労? 100キロとは、そんなに大変な距離なのですか?」
 ペンギンの言葉が少し意外だったのか、染川は自分のポケットから一枚の地図を取り出した。
 周りの人間は『100キロ』の言葉に、ギョッとする。
「マスターは、少し遅れるだけで問題ないと言っていましたが」
「うむ。全速力で来れば、たぶん5時間もかからないだろう」
 ペンギンは、アサルトカービンを構えながら葉巻の煙を吐き出した。
 どうやら染川は、本校と溜池分校の距離がよく分かっていないようだ。
 クヮクヮしているペンギンの隣では水上が、ペンギンの後ろにある『何か』を掴んで縮こまっていた。
『100キロを5時間で歩く!?』
 その場にいる全員が思った事だった。
 その次に思った言葉は……『このペンギン、中身はどんな人なんだ?』だ。
「100キロは5時間で走れる距離なんですか?」
「うむ、若いヤツならできるだろう。ただの強行軍を走れば良いだけだ」
 ペンギンの言葉に『距離とランニングペース』を学んだ染川は、手作り教科書にまた何かを書き込んでいった。
 周りは引くばかりだ。
 初日からちょっとした問題が発生。教師の杉浦は慌てた。
「ま、まぁアレだよ。ここの溜池キャンパスは平和な所だから、別にそんなに急がなくてもいいと思うよぉ」
「杉浦先生! あたし、絵が描きたいわ! この壮大な湖畔のほとりに立って、美しい湖と緑の山々、沢山の動物たちを、あたしはこの目にしっかり焼き付けて行きたいの!」
 手を自身の胸に当てて、ベレー帽の山形はクルリとその場で一回転すると腰の剣を筆のように構えた。
 大振りに剣を校舎に向けた後、今度はピタリと筆線を立てる。
 ……画家? まるで何かの劇の人みたいだ。
 ベレー帽山形が剣でイメージスケッチを作っていると、スケッチの中の扉が開いた。中から小さなウィザード、名無しの・小夜子が走ってくる。
「スギウラー! ちょっとタイヘンなことになるんだけどー!」
「あー、今ちょっと生徒達と話してるから! えーっと、王土クン、だっけ? 君は何をしに溜池キャンバスに来たんだい?」
「私はこの近くに棲むドラゴンを狩るために来た! ドラゴンの革や角は、町で高く売れるはずだからな!」
 オールバックの王土は、大きく黒髪を掻き揚げながら自信満々にドラゴンハントを語りはじめた。
 だが、一瞬で隣にいるちび妹っ子のラスに可愛げに否定された。
「えー、ドラゴンさん殺しちゃうのぉ!?(むしろ返り討ちにされるんじゃないのォ?) そんなのドラゴンさんが可哀想だよぉ!(むしろテメーのオツムが可哀想だっつの!)」
 様々な思惑を全て笑顔に変換したラスの前に、シスコンの王土はあっさりと自分の意思を変えた。
「そうか、ならばやめよう。ではドラゴンが集めた宝のトレジャーハントにするか!」
「わーい! お兄ちゃんかっこいー!」
「……」
 杉浦は黙ったまま二人のワイキャイぶりを見ていた。
 ふぅと溜息をつき、複雑な顔をして、次の生徒に質問を続ける。
「あー。じゃあ、君はなんで?」
 今度はペンギンの隣にいる水上が、杉浦の白羽の矢に当たった。
 だが水上は全身でビクゥゥゥゥゥッ! となり、そのままかたまってしまった。
「……あぅ」
「……うん、何かゴメンね。次の君は……えーと、この中で一番まともそうなんだけど、何しに来たの?」
「わたくしは、ただドラゴンを捕獲しに来たんですの。生け捕りにしたドラゴンは、町では良い需要がありますから」
 杉浦の質問に答えたのは、商人風の女盗賊=汀野だった。
 その汀野は教師杉浦に対して『まるで当たり前』とでも言うようにドラゴン捕獲計画を語り、追加でおほほと笑った。
 逆に杉浦は、諦めのこもったため息をついた。
 ……搾取だ。
 皆はドラゴンを、権力と力に任せて搾取しようとしているんだ。
 最近の若いやつらは、みんなこんな感じなんだろうか?
 残りは良い感じにスレてる女僧侶と、流し目で他の生徒を観察してるシーフだ。
 両方とも、充分に根暗そうだ。
「スーギーウーラー! もうすぐたいへんなことになっちゃうよぉ!?」
 今度はすぐ後ろで、杉浦の袖を引っ張るちびっ子魔道師が若干変な日本語を話している。
 ここで俺は、この先ちゃんと講師をやってけるのか?
「……うん、よし。とりあえず平和が一番なのは人類共通のはずだ。みんなも大きな騒動は起こさないように、小さな騒動くらいでやめといてくれよ! 平和な学園生活を、これからもずっと続けてくれるように! 以上ホームルーム終わり! で、同志小夜子。これから何が起こるって?」
 教師杉浦は素早く長セリフを事務的に言い終わると、ポンと脇にいるチビ魔道師の頭に手を載せた。
 するといつもの柔らかい髪質ではない何か……プラスチックの、独特な硬く冷たい触感が伝わってきた。
「ごめん、もうおこる」
 チビ魔道師の小夜子は、なぜか笑顔で『安全』と書かれた黄色いヘルメットを被っていた。
 ん、なんだこりゃ?
 杉浦が小夜子の異変に気が付くのと同時に、流し目の藍乃も異変に気がついた。
 そしてすぐあとに、溜池キャンパスはぶっ飛んだ。

 コンクリート校舎の屋上に15メートル近いドラゴンが陣取り、地上に向かって炎を吐き続けている。
 燃え盛る植木。建物は内側から煙を吹き、扉という扉から様々な種族の生徒が飛び出してきた。
 悲鳴をあげ、押し合い、人の上に人が乗り上げ、中には3階や4階の窓から飛び降りる生徒もいた。翼が生えていたが。
「う、うわぁぁぁ! ……俺の溜池キャンパスがぁぁっ!」
 黒煙を上げる炎。湖畔の蒼く美しいキャンパスは、もう杉浦の前には無かった。
 初任地の溜池キャンパス。大きな中庭とベンチ。80円のバナナオレパックがおいしかった。
 そういえば俺、まだ給料貰ってない。むしろ今日って、講師も出勤扱いにしてもらえるの?
 様々な思いが脳裏をよぎり、つい杉浦はヒザを緑色の草につけてしまった。
「おお、これが世に聞く火炎地獄! あたしはついに、ヒロシマナガサキと同じキャンバスを、この眼と無限のカンバスに描くことができたわ!」
「これは、大きい! 無事に楊子を守りきれるかどうか……」
「あら、意外と大きいですわね。これなら大人5人と荷物くらいは載せられそうですわ! 『ドラゴンで飛ぶシャンバラの旅』、夢じゃありませんわね」
 ベレー帽山形と、3本筋レナードと、商人汀野が同時に感想をこぼした。
「うむ、小銃1個小隊かな。剣士なら2個小隊。制空権が無いのが致命的だ」
「ばんばんメテオとかをうっちゃうのだーっ!」
 ペンギンは葉巻を指ではじき飛ばし、隣にいるチビ魔道師小夜子は大はしゃぎだ。
 一方。
「めんどくさ……」
「山形様、援護ならお任せください! 微力ながらもこのわたくしめが、ヒロ子殿を全力で支援いたしますゆえ!」
「これも、平和な学園生活の一つなのですか?」
「あ、あぅぅ……」
 本気でめんどくさそうな向先と、自信満々に禁猟区(自らの張ったエリアに侵入した敵を察知する魔法)の準備をするガブリエル、手書きの教科書に新しく何かを書き足す染川にオドオド水上が、それぞれの反応を示した。
 校舎では生徒達が、大混乱を起こしてる。うちの集団の一つが、自分たちを見つけて一斉に走ってきた。
 その数、約1クラス分。2ダースくらいか。
 地上を走る生徒の集団に気が付いたドラゴンが、不気味に屋上から飛び上がった。
 ドラゴンの翼と影の先を見た向先が、小さく指を向ける。
 ペンギンも手に持ったアサルトカービン銃をコックする。
 生徒達が、教師の杉浦を残して一斉に散った。
 ただ水上が不安げにとどまったので、ペンギンだけが戻ってすぐに水上の手を引っ張って進んだ。
 残ったのは、ひざを付いてる杉浦。未だにワキャワキャしてる王土兄妹。なぜかジッとドラゴンや校舎を見続けてる藍乃たちだけだ。
「あの、先生?」
 自分のマスターである藍乃と講師の杉浦を交互に見比べつつ、ヴァルキリーのセレンは目の前にいる小さな講師に声をかけた。
「わたくしたちも、今すぐ何か動いたほうがよろ……」
「……絶っっっっ対に、許さーん!!」
 ヴァルキリードレスのセレンが声をかけ様とした瞬間、唐突に杉浦は拳を握りながら立ち上がった。
「俺のキャンパスライフをメチャクチャにしやがって! あいつ、絶対ぶっ殺す! バラバラにして焼肉屋にグラム10円で売りさばいてやる! お前ら、近くに教導団の生徒が野戦訓練で来てるから、やつらから装備品を奪いに行くぞ! 我々はファシスト派ドラゴンと戦い、完全なる勝利をするのだァ!!」
 杉浦はどこからともなく赤いヘルメットを取り出し、自身の頭に被せた。
 なぜかヘルメットには黒テープで『革命』と描かれていた。
「目標、教導団簡易武器庫! 我々は自衛手段の一環として、教導団からありったけのミサイルを借り出す! お前ら、しっかり俺について来い!!」
 小さなダメ教師から一気に過激先生に変貌した杉浦に、ヴァルキリーのセレンは純粋に驚いた。
 バビュンと走り去る杉浦。呆然と後ろ姿を見送ってからセレンは、後ろにいるマスターの藍乃を見やった。
 ムッツリ藍乃も、セレンと同じように驚いているようだった。
「レイジ(藍乃の名前)さん……?」
「何か、おかしいな。セレン、少し杉浦について行って様子を見ましょう」
「はいっ」
 藍乃とセレンは、すでに遠くなってる赤いヘルメットを追うように走った。
 その場に残ったのは、今度はシスコン王土と妹っ子ラスだけだ。
「あ、お兄ちゃん! みんなもうどこかに行っちゃってるよ!(てゆーか早く気がつけこのヤロー!) あたしたちも早く行かなきゃ!」
「うむ、そうだな! では私たちも、彼らの後を追うことにしよう!」
「そうだね! 一緒にがんばろうね、お兄ちゃん!(頭おせーよ! ズッシリ構えすぎだコノヤロー!)」
 遠くに見える赤い杉浦と他の二人の後を追う王土に、ラスは笑顔で追従した。心の言葉を激しく吐きながら。

『うひー……。溜池キャンパス、さすがに遠すぎじゃね?』
 蒼空学生服を脇に抱え、セイバーの瀬川・陣は妙にかわいらしいフードを被ってトラックの轍の残る草原を走っていた。
『捨てネコなんか拾うんじゃなかったぜ……。チクショー、あのネコのせいで! ネコのせいでっ。ネコ……うう、かわいかったナ。チクショー……』
 走りながら瀬川は心の中で思い、泣いた。かわいらしいフードは、捨て猫の里親から貰ったものだ。
 瀬川は泣きながらフードをはためかせ、ズボンの後ろポケットをまさぐりながらスキットル瓶を取り出した。
『げっ、水がもう空じゃん!! ん、確か、他のポケットに別のスキットルがあったよーな?』
 思いながら瀬川はあちこちのポケットをまさぐり、ガムテープと『ミルク』と書かれた一本のスキットルを発見した。
 ミルク入りスキットルは、瀬川の熱でほんのり温かい。
『うげ、ネコ用のこれしか残ってない。……っつかさー。俺って、今どこ走ってるの?』
 瀬川が絶望気味にスキットルを持って走ってると、前方に武器を持った二人組みと一匹の小さなドラゴンが足止めを食らっていた。
 どうやら小さなドラゴン……ドラゴンパピーがイヤイヤをして、二人の手綱を逆に引っ張ってるらしい。
 瀬川は思い切って二人組みに、ランニングの足踏みをしながら溜池キャンバスまでの道をたずねる事にした。
「あのー、すいませーん」
 急に話しかけられた事になぜかギョッとした二人組みは、シャンバラ教導団の制服を着ていた。
 一人は長歯の綾刀を持ち、一人は旧式なトミーガンを携えてる。しかも二人は、いきなり武器をこちらに向けてきた。
 教導団は物騒なところとは噂で聞いてはいたが、どうやら本物は噂以上に物騒らしい。瀬川は儀丈用の小さな護身刀しか持っていなかった。
「ええっと、すいませんマチガエマシタ……」
 恐ろしや教導団。
 つかコエーよ! ヘタしたら射殺されちまうぜ!?
 引きつった笑顔のまま瀬川は走り去ろうとすると、なぜかその後ろをドラゴンパピーが、教導団たちの手綱を引っ張りつつ追いかけてきた。
 コラー! とか、そっち行くな! とか言いながらも、ズルズルと教導団の二人はドラゴンパピーに引きずられる。
 そんな彼ら2人と1匹に気が付いた瀬川は、ランニングの足を止めた。
 クーク! クーク!
 ドラゴンパピーは、瀬川の手に持ってるミルクのスキットルに興味深々だ。
「……なんだ、お前腹減ってるのか?」

「たすけてぇっ!」
「きゃーっ!!」
 大量の蒼空学園の生徒が、キャンパスから走って遠ざかろうとしてた。
 いくつかの集団。中には服や羽の一部を焦がしてる生徒もいる。
 そんな走る生徒たちの前を、オレンジの鱗をはやしたドラゴンの巨体が塞いだ。
「……!!」
 絶句する生徒たち。
 生徒たちの中から一人のヴァルキリーが歩み出て、武器を持たない腕をドラゴンに向けて広げて対峙した。
 後ろには、名も知らない女生徒が座り込んでる。どうやら二人は主従関係のようだ。
「グゥゥゥゥゥゥッ!!!」
 ドラゴンはヴァルキリーが自分を挑発をしていると思ったのか、口の周りから小さく炎を漏らした。
「ごらんよガブリエル! あれは従者が主人を、自らの命を賭して守る姿じゃないか! おお名もなきヴァルキリーよ! お前はどうして、自ら奈落の火焔を求めるのか!!」
「まったくでございます、ヒロ子殿」
 瓦礫に身体を隠してるガブリエルとは別に、ベレー帽のヒロ子は立ち上がったまま劇画調に腕をさしのべた。
 その脇では教科書を持った染川が、手を額にかざしながらすぐ脇にいる生徒たちの様子を見ている。
「しかし、あのままでは女性の方もバルキリーの方も、一緒に燃やされてしまうのではないでしょうか?」
 染川はドラゴンと生徒たちの様子を見ながら、隣にいるガブリエルに質問した。
「ヴァルキリーは、元々何かを守ることをしない種族なのでございます。ですがこうやって……おおヒロ子殿! お持ちになってるその石は、いったい何でございますか?」
「なんだいガブリエル? ドラゴンの絵を描くときには、やはり正面の顔もいるからね! デッサンの時には、立体的な被写体の情報がいるんだよ!」
 二人のやりとりを見ながら頭の上に「?」マークを浮かべてる染川の前で、ベレー帽のヒロ子は小さな石を持って立ち上がった。
 染川は、ヒロ子が何をしようとしてるのか分からない。
 しばらくじっと様子を見ていると、急にポケットの中に入ってる携帯電話が激しい音を鳴らしはじめた。
 染川はビックリした。
『もしもーし、染川か!? ちょっといい人に会ってな、予定よりだいぶ早くそっちにつきそうだゼ!』
「あ、陣(瀬川の名前)さん。今ちょっと取り込んでるところでして。バルキリーのお嬢さんが……あ、ああ! お嬢さんたち危ないっ!!」
 染川が電話越しに瓦礫の影から覗いてると、ドラゴンが今にもヴァルキリーと女生徒たちに炎を吐きかけようとしていた。
 そこへ脇から、ベレー帽山形が石つぶてを投げようと走りよる。
 咄嗟にガブリエルは走った。
 ベレー帽山形の思わぬ石つぶてに、拍子抜けしたドラゴンは炎をキャンセルした。振り返ってドラゴンは、改めてベレー帽山形に炎をかけようと振り返る。
 するとドラゴンの尻尾が、前方にいる生徒たちの集団をヴァルキリーごとなぎ払おうとした。
 思わず染川は携帯電話を投げ捨て、ヴァルキリーを押しのけようと手をさしのべた。
 しかし次の瞬間は、染川には何が起こったのか分からなかった。
 ヴァルキリーは染川の手をどけ、振り下ろされるドラゴンの尻尾を全身に受けたのだ。
「っ!?」
 染川は勢いをつけ、激しく転んだ。
「い、いったいなぜ?」
 見ればヴァルキリーは、尻尾の衝撃で遠くに吹き飛ばされていた。
 後ろにいた他の学生たちは一瞬で散り散りになったが、一人の少女が吹き飛ばされたヴァルキリーに駆け寄っていた。
 ドラゴンはガブリエルとベレー帽山形を追い、もう目の前にはいない。
 また少女もヴァルキリーに何かしら話しかけ、肩を貸し、すでにどこかに行ってしまっていた。
 その場に残ったのは、呆然としている染川だけだった。
 近くで染川の教科書が、炎の昇熱風でページを大きく動かしている。
「……もしかしてあの方は、後ろの少女や生徒を守るためにわざと攻撃を受けたのか?」
 瀬川の教科書には『子供や女性は、命を賭してでも守るべし』と書かれていた。
 でも目の前の女性は、守ろうとした自分の手を退けた。自分の身体を捨てて、他の生徒を守ろうとした。
 ヴァルキリーは、何も守れないのではなかったのか?
「陣……。私は、どうすればいいのでしょう?」

『ああ、お嬢さんたち危な……ガガービーガガガ!!』
 教導団の生徒から借りたバイクの瀬川の耳は、携帯電話の向こうで叫ぶ染川の声と雑音でつんざかれた。
「うぉ!? もしもーし! もーしもしもしもし!? 染川ーっ!!」
 電話の向こうに声をかけるが、雑音以外に染川の返事はなかった。
「……まぢで!? 今、女の子「たち」危ないって言った!? よーし、エンジンフルスロットル! ピンチの女の子たち、待ってろよ! ヒーローって、遅れて現れるものじゃん!?」
 そう言って瀬川はバイクのギアをトップに入れた。
 ちなみに教導団の生徒は瀬川に、ドラゴンパピーをおとなしくさせてくれたお礼として偵察用バイクを貸してくれた。
 貸しながら「非常時以外は絶対にギアをトップに入れるな」と忠告してくれたが、瀬川に言わせれば「今がその非常時!」だった。

「ちっ、どうやら皆とはぐれちまったようだな」
 アサルトカービンのマガジンを慣れた手つきで替えながら、ペンギンは後ろにいるはずの水上に話しかけた。
「……」
「残弾25……ん、どうした?」
 ペンギンの後ろには、誰もいないようだった。
 一瞬驚いたペンギンだったが、眉間にしわを寄せるような仕草をすると「なんだ、隠れてるのか」と呟き、カービン銃の安全装置の「safety」を指先で確認した。
 水上は光学迷彩で隠れていた。
「……ソーイチさん、怖いです」
「それは、正常な意識だ」
 光学迷彩の影を小さく揺らしながら、水上は瓦礫の上にちょこんと座り込んだ。
「ボク、ホントは男の子なのに。みんなと一緒に戦えないのが、ちょっと情けないです……」
「なら俺の武器を使うか? 予備のグローブはないが、緊急だから仕方ないだろう」
 ペンギンは銃の安全装置をもう一度確かめ、水上に無造作に銃を手渡した。
 水上が瓦礫の上で光学迷彩を解除し、少しずつ細い体躯と顔が現れてくる。
 水上は、銃を受け取らなかった。
「ふむ」
 ペンギンは差し出した銃を引っ込め、代わりに座り込んでる水上の隣の瓦礫にペタリと座った。
「ボク、やっぱりみんなと友達になれないのかな」
「戦場で仲良し友達なんかできない。作れるのは『いつでも死ねる』仲間だけだ」
「……そっか」
 俯いて暗くなる水上を隣に、ペンギンはどこからか二本の葉巻を取り出す。手に取った二つの葉巻の片方を無造作に、火を噴いて熱くなってる銃口に押しつけた。
 最初葉巻は何も変わらなかったが、だんだん小さな煙が立って、最後には小さな赤い点がついた。
 ペンギンはおもむろに火のついた葉巻をくわえ、思い切り息を吸った。
 遠くでドラゴンの咆哮が聞こる。同時に生徒たちの悲鳴も響く。
 ヤツめ、少し離れたな。誰かが囮でもやってくれてるのか?
 一瞬ペンギンはドラゴンの方に顔を向けたが、すぐにまた水上の方に戻した。
「お前にはこれをやろう。戦場の男のアイテムだ、かっこいいぞ」
 ペンギンは、手に持つもう一本の葉巻を水上に手渡した。
 すると水上は苦笑いしながら
「ボク、タバコ吸えないんです」
と答えた。
「いいから持っとけ。血と泥と鉛の地獄を生き抜いた男の証だ」
「持ってるだけでいいんですか?」
「吸った方が男だな」
 ペンギンの言葉に一瞬水上は何かを考えたが、葉巻を口にくわえて
「ボク、タバコすいます! 今からオトコになるんです!」
と宣言してきた。
 よしきたと思ったペンギンは、身体のどこかにあるポケットをまさぐった。お気に入りのジッポライターを探してるのだ。
 しかし、ライターは見つからなかった。
「……」
 いつものひ弱な水上が、真剣なまなざしで自分のことを見つめている。
 少し『男』の単語を使いすぎたか? 火がないと付けられないな、どうしたものか……。
 いろいろ考えたペンギンは、諦めたように葉巻をくわえながら顔を水上の前に差し出した。
「……?」
「俺の葉巻の火で火をつけるんだ。いいか、火をつけるときは思いっきり息を吸うんだぞ」
 いきなりの顔面接近シチュエーションに、水上は一瞬だけ戸惑った。
 頬を赤らめたが、何かの覚悟を決めたようにペンギンに言われるままに口元の葉巻をペンギンの葉巻にくっつけた。
 近づくペンギンの体温が、くちばしを伝わってくるような、伝わってこないような……?
 水上の葉巻に火がつき、一瞬でむせた。
「どうだ、うまいか?」
「ごほっ! ごほごほっ! ……ボク、ちゃんと『オトコ』になれたんでしょうか?」
「ああ。戦場と葉巻がすごく似合ってるぜ」
「みんなと一緒に戦える?」
「んー。おまえ、確かヒールが使えたろう? おまえは前線じゃなくて、負傷者が集まる衛生隊で戦うのが似合ってるな」
「エイセイタイ?」
「だいたいは赤十字の建物なんだが、今日みたいな緊急時は目立つ木の下とかに集まることが多……」
 ペンギンが話していると、少し遠ざかってたドラゴンの叫びが方向転換して湖の方に向かった。
 湖にはたしか、溜池キャンパスのマリーナとボートの格納庫しかなかったはずだ。
 生徒の悲鳴はだいぶ減っている。確かに誰かが、囮作戦で学園からドラゴンを引き離してるみたいだ。
「よし。今から瓦礫の下敷きになってる生徒がいないか、学園探索といくぞ。集合場所はある程度目星がついてる。残存学生を一点に集中させ、そのままドラゴンを学園から叩き出すぞ」
 ペンギンはカービン銃を瓦礫に立て、一気に下に降りた。
 最後に煙を大きく吸うと、ペンギンの葉巻はポトリと地面に落とされた。
「はいっ! ボク、がんばります!」
 ピョンと水上も瓦礫から下に降り立ち、ペンギンの真似をして葉巻を地面に捨てた。
「では水上二等兵、我々は今から負傷学生の探査及び救出任務を開始する。返事は?」
「さー、いえっさー! でもソーイチさん?」
 テコテコと歩き出すペンギンの隣を一緒に歩きながら、水上は不思議そうにペンギンの背後を覗き込もうとした。
「ん?」
「ソーイチさんの中の人って、やっぱり男の人なんですか?」
 言われてペンギンはハッとして跳び退き、慌てて背中を水上から隠そうとした。
 ガンベルトが重そうに揺れる。ペンギンは、どもりながら水上に答えた。
「な、中の人などいない……っ!」
「ふーん、そっか。よかった♪」
 水上はなぜか小さく笑い、その後を小さなペンギンがついて行く。
 燃えさかる校舎には煙が立ちこめ、瓦礫の上には二本の葉巻が仲良さそうに落ちていた。

「楊子、確かにこっちであってるぞ!」
「……」
「ホントだなレナードさんよ! かぁーっ、いいねぇ昼間から空を飛べる人ってのは!」
 空に昇って学園全体の風景を見渡していた3本筋のレナードが、地上を走ってるネクラ向先とヴァンパイアのフリントの元に降りて告げてきた。
 3人が向かう先は、比較的建造物が少なくて大きな建物があるところ……すなわち湖畔に建てられた溜池キャンパスのアリーナだった。
「学園の被害はどんななの?」
「ほとんどの校舎から煙が出てる! 生徒はちょこちょこ集まってるが、とにかくあっちこっちにバラバラだ!」
「さっきまで一緒だった人たちは?」
「ペンギンたちが一番大きく生徒を集めてて、赤い誰かが近くの森に入っていった! 芸術家みたいな二人はドラゴンに追いかけられてたが、急にアリーナの方に向きを変えた! 名前が分からない小さな魔女みたいなヤツはずっとドラゴンの周りを飛行艇でグルグル回ってて、いい足止めになってくれてるみたいだな!」
 頬3本線のレナードがする戦況報告に、自分の主の(自称商売人)汀野が入ってないことにヴァンパイアのフリントは一瞬だけ俯いた。
 フリントは、実は汀野にある密命を受けていた。
 あまりにも壮大で、身勝手で、それでもうまくやらなきゃいけない。
 もし失敗したら汀野に『ヴァンパイアの牙、見かけ倒しでございますわね』と言われることを思うと、フリントはイライラした。
「なぁレナードさんよ!」
「なんだ?」
「今この中で空が飛べるのは、ヴァルキリーのあんただけだ! 俺と向先さんは建物の中に残った生徒を追い出すから、あんたは他の場所に集まってる生徒たちをペンギンのところに廻してやってくんないか? その方がドラゴンも襲いにくいだろうしな!」
 大嘘。
 単にアリーナに誰にも来てもらいたくないだけだ。まるでジジィが昔言ってた、何百年に一度棺桶から起きてつく嘘を言うみたいだ。
 どもらなかったし、我ながらうまく言えた方じゃないか?
 だがレナードはそんなフリントの言葉を、大きな声で「断る!」と即答した。
 さすがにムカッとする。
「で、でもよぉレナードさん……」
「いえ、確かにフリントさんの言うとおりかもしれないわ。あたしは校舎の中に閉じ込められてる生徒を助ける。レナード、小さくまとまってる生徒と一緒に、あたしが外に連れ出した生徒をペンギンさんの所に連れていってちょうだい」
 お、良い所に助け船だぜ。向先さん、あんたは良い人だ。
 ヴァンパイアのフリントが黙ってる間、ネクラ向先は的確な言葉で連れのレナードに指示を出した。
「し、しかし楊子(向先の名前)。もしドラゴンがあなたの元へ向かったとき、私は……」
「大丈夫」
 頬3本線のレナードが抗議の声を出そうとすると、向先は腕を使ってレナードの口を塞いだ。
「あたし、めんどくさい事は起こさない主義だから。二次災害で誰かが死んでもめんどくさいしね。それにあなた、騎士道がどうのって前に言ってなかったっけ?」
 ネクラ向先が言う『騎士道』に、3本線レナードは素早く反応した。一瞬考え、そしてキッと向先の目を見つめる。
「もし何かあったら……」
「その時はしっかりあなたの名前を呼ぶわ。行って」
「はっ、御意のままに!」
 向先の言葉に素直に従う3本線のレナードが、素早く翼を翻して空の向こうに去っていった。
 二人の動きに「信頼」が感じられた。
隣にいるだけなのに、なぜかフリントは自分と主の汀野とを二人に重ねた。
 信頼ねぇ、なんだか羨ましいぜ。
「……なに?」
「いや、あんたらお互いを信頼しあってるんだなぁってな」
「それが普通じゃないの?」
「普通、ね……」
 フリントにはあの汀野に『普通』があるとは思えなかった。
 信頼……むしろ俺って、汀野に一方的に調教されてるじゃないのか?
 色々考えつつ走ったら、フリントの頭から煙が吹いた。
 煙で思い出した。俺、汀野にヴァンパイアの証のレッドサファイアを貸しっぱなしにしてるんだっけ。
「そうだ向先さんサ。俺、ちょっと汀野に用事があるから、このままアリーナの方に向かうわ。アンタはとりあえず、ここら辺の校舎に残されてる生徒を助け出すようにしてくれ」
「……? あたしは、アリーナの近くに残ってる生徒を避難させるつもりなんだけど?」
「!! 待った、それはやめてくれ!」
 お互いに走ってる途中だったので、フリントは半ば強引に向先の肩を引き戻した。
 いきなり肩を引かれたのにビックリした向先だったが、スレたような顔と口元は相変わらず。見た目は細いのに、触れば意外としっかりした肩だった。
「だめだ向先サン、あんたは絶対にアリーナに近づいちゃいけねぇ! アリーナの生徒は俺が誘導するから、アンタにはここらの生徒を任せたいんだ! あんたが良い人ってのを見込んでなんだ、頼む!」
 いきなり目の前で赤い瞳のフリントが真剣に『良い人』と自分を呼んできたのに、向先はビックリして足を止めてしまった。
 ポカーンとフリントを見つめてると、向先の心を知ってか知らずか「じゃ、よろしく!」と言ったままフリントはそのままアリーナのある方向へ走り去っていったてしまった。
 フリントの後ろ姿を見送ってその場に立ち尽くす向先。すると遠くのドラゴンの声が、また方向を変えてだんだんこちらに近づいてきた。

『良い人? あたしが?』
 フリントが去った後を見つめながら、向先は自分の手のひらを見てみた。
 傷だらけ。デコボコ。とても16歳の女の子の手には見えない。
 そう言えばこの大陸にくる時だって、盗みを働いて追いかけられて、川辺にいる時にレナードに助けられたまま来たんだっけ。
 家には弟がいたけど、きっと兄さんがあたしの代わりに育ててくれる。そう思って、思い切ってパラミタには来てみたけれど。
「……あたしが良い人? そんなわけないわ」
 向先は軽くフンと鼻を鳴らし、脇に建ってる校舎を見渡してみた。
 窓はいくつか割れてるが、そんなに煙の量は多くない。教室のドアも開け放しにされてるが、まだ何人かの生徒が逃げ遅れていそうだ。
「…………!!」
 誰かと誰かが遠くで声にならない声を叫びながら、ドラゴンと一緒にこちら側に走ってきていた。
 まだ小さな姿しか見えないが、片方は商人の汀野と、片方はベレー帽山形を担いだガブリエルみたいだ。
 ドラゴンが跳躍するように二人を追い、さらにその周りを小さな飛行艇が飛び回っている。
 ドラゴンたちがここを通過するのは時間の問題かも。その前には校舎内の逃げ遅れを確認しなければいけない。
 向先はいったん学生服の襟を締め直すと、ほとんど割れてる窓から廊下の中に身体を縮めて飛び込んだ。
 向先は何回かこのような軽業をした事があった。おかげで割れたガラスの破片には、全く身体を当てずにすんだ。ホーリーローブの裾もしっかり掴んでたのもよかったみたいだ。
 廊下には、無数のがらくたが散らばってた。
 鉛筆、ペン、ノートの切れ端にカバン。どれも向先には今まで縁がなかった物だ。
 かすかにかすむ煙に、学校独特のにおいが混ざる。そういえばあたし、学校に入った事がないんだっけ。
 散乱した学校道具を踏みながら向先は廊下を進むと、廊下のすぐ先に男子用トイレがあった。
 中にはかすかに、人の気配がする。ドアを押しても、なぜか開かなかった。どうやら中から、つっかえ棒か何かがされてるらしい。
 思い切ってドアを蹴倒してみると、案の定トイレの中には数名の男子生徒が閉じこもってた。
「う、うわあっ!」
「ひぃっ!」
「静かにっ!」
 急に現れた向先に一瞬パニックになりかけた男子生徒たちをなだめ、クイクイと指先で避難先を指示した。
 男子たちは向先の指した、出口すら見ようともしてくれない。みんなが向先の顔だけを注視してる。
 ドラゴンの足音が近い。早くここを脱出しなければ。
「さぁ、急いでここから出るわよ」
「い、いやだ! 俺はここから出ないぞ!」
「そうだそうだ! 何かあったらトイレの中に逃げた方が一番安全なんだぞ!」
 男子生徒たちは、まるでなにかに取り憑かれた様にトイレに固執してる。
 一人の生徒に至っては、床に座り込んで目をつぶってた。
 白濁したガラスがトイレを外から覗く視界を遮ってるが、あと数秒もすれば一帯は炎で埋め尽くすはずだ。
 部屋は狭い。コンマ数秒も満たずに数千度に焦げるだろう。
『なんてめんどくさい……』
 向先は思った。
 あたしは落ち着いて避難の指示を出してるのに、目の前の男子はもうパニック寸前だ。
 パニックになってる人間を、お互い安全な場所へ連れて行くには?
 荒療治だけど、あの方法が一番だ。
 向先は黙ったままツカツカと二人の男子生徒に歩み寄り、いきなりみぞおちと首筋を殴りつけた。
 急所を殴られた二人は瞬間、地面に突っ伏す。
 とどめの後頭部刀打。力加減はしたが、何の騒ぎもなく男子二人は撃沈した。残るはしゃがみ込んでる生徒だ。
 無言で男子二人を殴打する向先を、男子生徒は震えながら見ていた。
 少し涙目だった。
「ひっ人ゴロシ……!!」
「手加減したから、まだ死んでないわ。あなたも痛い目に遭いたくないなら、早く二人を運びなさい」
 向先の無言の威圧に、男子生徒は大げさに首を縦に振って応えた。
――ギュオァァァァァァッ!!――
 ドラゴンの咆哮が、さっきよりかなり近くなってる。
「いい? 大声を出したり走ったりしたら標的にされるわ。静かに、慌てず急いで!」
 二人を抱えた男子生徒に出口を指し示し、向先はヒールの呪文の準備をした。
 廊下伝いに炎を吐かれたら、あたしたちは確実に焼き殺される。こんな荷物持ちで、本当に校舎を逃げられるのかしら?
 パラミタに来て、今日は初日よ。ほんとにもう……やれやれだわ。

「やれやれどころじゃないですわよっ!!」
 札束を散らしながら、汀野は走ってた。全速力で。
 そのすぐ後ろを、ベレー帽山形を担いだガブリエルが追従する。
「おおガブリエル! これが、死と恐怖の隣に居合わせた者たちの心なのね! ごらんよ、私たちのキャンパスを映した湖が、奈落の炎のように燃えているじゃないか!」
「まったくでございますヒロ子殿!」
 実際に3人が向かう先の湖は、赤々と燃えるような光を放っていた。
 ただしその正体は芸術的な何かがどうのなってではなく、純粋に『湖畔の溜池アリーナが炎を出し始めてるから』だった。
 ドラゴンは学園を燃やし尽くしてはいるが、まだアリーナの方には行ってない。
 炎の犯人はドラゴンではなく、汀野の密命を実行しているヴァンパイアのフリントだった。
 フリントは汀野の命令通りに、一番大きな格納庫以外すべてに火をつけたようだ。炎の大きさを知った汀野は、ドラゴンが追いかけてきている現状とは別にニヤリと笑った。
 一方ドラゴンは建物の屋上を素早く飛び渡り、容赦なく逃げ惑う3人に炎を吐きつけようとした。
 しかしドラゴンが炎を吐きつけようとした瞬間、目の前を小型の飛行艇が飛びすぎる。操縦主はちびっ子魔道師の小夜子だった。
 ドラゴンが飛行艇に気をとられた瞬間、汀野たちはうまく建物の影に隠れたり、また別の方向に走り出したりした。
 しかし3人の目指すゴールは決まってる。ベレー帽山形とガブリエルは炎の攻撃を受け付けないはずの湖、汀野はフリントを待たせてる湖脇の格納庫だ。
 ちなみにちびっ子魔道師の小夜子には目的地がない。純粋にドラゴンの炎を飛行艇の機動飛行で避ける『逆シューティングゲーム』を楽しんでるようだった。
「まったくもうっ! なぜ山形様方は、わたくしが隠れる方隠れる方に来られるのですかっ!?」
「おお麗しき汀野よ! 汝は今、なんと美しい言葉を創らるるか! 『道を進むと、そこに貴女がいた』! 過ぎゆく焔! 迫り来る恐怖! 悲しいかな、刻み続ける今をデッサンするには、この剣はあまりにも小さく、そしてあまりにも幼い!」
 ガブリエルの肩に小さく乗ってるベレー帽山形は長ったらしい台詞を、『全くつっかえずに』しゃべった。剣を振う動作も忘れない。
 ドラゴンがまた、近くに建つ建物の屋上に飛び移る。すると建物のコンクリート片がこぼれ、窓が激しい音を鳴らして割れた。
 一瞬だけ、建物の中に潜んでるネクラ向逆たちの影が見えた。が、ドラゴンにとっては隠れてる影よりも、目の前で存分に目立ってるガブリエルと山形がうっとうしいようだ。
 ドラゴンは、目の前にいる二人と汀野に大きく炎を吐きかけた。
 吐かれた炎を何かの舞踏劇のように、ガブリエルたちはノラリクラリと避ける。すると吐き出された炎の一片が、近くにある蒸気式空調機を直撃した。
 激しく爆発。爆発に巻き込まれた汀野が空を大きく飛ぶと、また懐から何枚も何枚も札束が落ちた。
「あああっ、わたくしのお金たちがっ!?」
 落ちた札束を拾い返そうと汀野が後ろを向くと、ちょうど束がほどけて札が空に飛んでいくところだった。
 大量の1万パラミタG札(非・日本1万円札)が、まるで蝶のように燃える空に舞った。
「あ、ああーっ。わたくしのぉっ! わたくしのかわいいお金たちがぁーっ!!」
「汀野殿! そんなところに座っておりますと、ドラゴンめの炎に跡形もなく燃やされてしまいますぞっ!」
 走り寄ってきたガブリエルが汀野を担ぎ、それでも汀野はジタバタとガブリエルの腕の中で暴れた。
 しかし、2人も余計に抱えて走り続けるガブリエルは強かった。
 芸術は、金に勝るのだ。
『キーッ! せめてこの美形マッチョがいなければ、わたくしの「ドラゴン捕獲計画」は完璧だったのに!!』
 「ドラゴン捕獲計画」とは、かねてから汀野が溜池キャンパスでしようと思ってた計画である。
 ライバルどもを蹴散らし、隠れ身スキルで自らドラゴンの囮になり、ドラゴンを湖畔アリーナに誘い込んでヴァンパイア兼従者のフリントに噛みつかせ、手なずける。
 手なずけたドラゴンを使ってさらに他のヤツらを蹂躙し、搾取し、ライバル無きフロンティアと新商売の土台の上で今後の人生はウハウハ……
 ……のはずが、いつの間にかベレー帽山形率いる美形ガブリエルと一緒に全力マラソン大会をしていた。
 おかしい。計画的にはあまり大きなズレはないはずなのだが、でも何か間違ってる気がする。
「……!!」
 そうこうしているうちに汀野一行は、湖畔に広がる巨大なアリーナに到着した。
 激しく燃えてる格納庫群。
 かねてよりの打ち合わせ通り、フリントはしっかり小格納庫だけに火をつけてくれてたみたいだ。
 残るは中央にある大格納庫のみ。あの大きさなら、空飛ぶドラゴンも中で足止めする事ができる!
 汀野は懐から一本のケーブル付きダガー(リターニングダガー)を取り出し、近くを飛ぶちびっ子魔道師小夜子の小型飛行艇に投げつけた。
「!?」
 驚いたのは小夜子だけではない。
 機体下部フックに、うまくリターニングダガーとケーブルは絡まった。
 それらをたぐり寄せ、汀野は同時にガブリエルたちを湖に蹴り飛ばす形で腕の中から脱出した。
 蹴り飛ばされたガブリエルとベレー帽山形はバランスを崩し、そのまま湖の中に激しく落ちた。
 その瞬間にドラゴンが炎を吐きつけ、先ほどまでガブリエルたちの足場とコケの部分をカラカラに焦がす。
「ふふん、地獄の沙汰も金次第、でごさいますわ。命拾いしましたわね」
 小さく炎を上げる湖岸から少し離れたところに、ずぶ濡れのガブリエルとベレー帽の山形が羨ましそうに頭を覗かせる。
 その上を小夜子の飛行艇がちょうど通ったので、ケーブルにぶら下がりながら汀野は去りがけに札束を下に落とした。
 芸術が、金に負けた瞬間だった。
「ねぇ、ちょっとーっ! オバさんすこしおもいのだー!」
「ムカッ! ロリの分際でこのわたくしを重いなんて言……おっしゃらないで欲しいですわねオーホホホ!」
 操縦しているちびっ子小夜子の下に、ケーブルにぶら下がった汀野がくっついてる。
 飛行艇は搭乗率200パーセントのまま、徐々に湖に向かって高度を落とした。
 小夜子が慌てて体勢を立て直そうと、飛行艇のフラップを全開にする。
 すると飛行艇は余計にスピードが下がり、エンジンを吹かすとさらに機体は不安定になった。
 ケーブルでぶら下がってる汀野のつま先は、すでに足先が湖面を走ってる。
「キャーキャー! 何してんのよロリ、さっさと飛び上がりなさいって!(アクシデント続きですでに口調が変わってる)」
「ちょ、オバさんほんとにおもいのだ……」
 エンジンとフラップとを全開にする飛行艇は、湖の上を頼りなくフラフラした。
 そんなフラフラペアを格好の餌食に見たのか、レッサードラゴンは前鈎をむき出しで猛然と二人の飛行艇に飛びかかった。
「うわ、うわうわわ……オバさんごめん!」
 ちびっ子小夜子は何を思ったのか急に飛行艇のフラップをたたんだ。
 機体を真横にしながら、同時に素早くエンジンも切る。
 飛行艇は横滑りのままきりもみ状態に入り、ぶら下がる汀野は激しく水面に叩きつけられた。
「ぶっ…………!!!!!!!????」(言葉のない叫び)
 落ちた時に発生した予期せぬ様々な衝撃で、汀野は手に持ったケーブルを手放してしまった。が、それでも小型飛行艇がクラッシュする衝撃には十分の超過負荷だったようだ。
 真横に湖に落ちこむ飛行艇の翼端を、さらにドラゴンの後ろ足がかする。
 横に回転しながら飛行艇は小夜子を振り飛ばし、機体とチビ小夜子は大きく水面に落ち込んだ。
「がぼっ!! ブクブクブクーッ…………!!!!!!」
 ちなみにチビ魔女小夜子は、飛行艇の墜落を事前に予想できていた。
 鼻を指でつまむ。練習したかい(?)があったみたいだ。
 一方。
 先に墜落した汀野がやっとの思いで湖岸にたどり着くと、そこへ心配そうな顔をしたヴァンパイアのフリントが駆け寄ってきた。
「な、なぁ。歌仙(汀野の名前)、大丈夫だったか?」
 一応ヴァンパイアのフリントも、汀野のある程度のアクシデントは予想していた。が、実際に主人の身に何か起こると、さすがのフリントも心配した。
 しかし。
「……こぉの馬鹿フリント様ぁっ! あなた様まで、わたくしの計画を台無しにしてくださいますの!? いいからとっとと配置に、つけーっ!!」
 ずぶ濡れのまま黒髪を全身に貼り付け、ものすごい形相で睨む汀野は怒った。
 まるで本物のサダ子……いや、怪物みたいだ。
 異形に見えた汀野の姿に、ヴァンパイアのフリントもさすがにビビった。
 どう見ても普通の人間には見えない。
 身を挺した汀野の捕獲計画と執念に、フリントは引きながら「わ、分かった」と言い、また大格納庫の方に戻っていった。
 ちなみに走り去りながらフリントが「守銭奴こえぇ……」と小さく呟いたのは、汀野の耳に聞こえてたかどうかはよく分からない。
「あんのクソドラゴンめ! とっ捕まえたらグラム20円でサーカスに売り飛ばしてやる!!」
 汀野は、目標を完璧に見失っていた。
 ゆっくりと空を旋回するドラゴンから逃げるように、今度は水面に浮かぶ飛行艇を押しながらちびっ子小夜子が湖岸に戻ってきた。
 黒い魔法衣はずぶ濡れ。ヘルメットから覗く長い金色の髪からも、ポタポタと水が滴ってる。
「うわっふ、ようふくがビジョビジョになってしまったのだ……」
 まるで何かの亡霊のようにドラゴンを睨む汀野とは対照的に、ちびっ子魔道師小夜子は純粋に身体が濡れた事を残念がってた。
 ジャージャージャジャーン♪ ジャカジャカジャーンジャジャーン♪(大岡越前のテーマの着信メロディ)
 突然、濡れてるはずの小夜子の携帯電話が鳴り出した。
 大岡越前のテーマは、杉浦からの着信専用の着メロだ。どうやら携帯電話は、お互いの強い絆で無事に壊れないでいてくれたらしい。
「もしもーし、なんだスギウラか? いま、ちょっとだけいそがしいんだけ……」
『小夜子ォ! おまえ今どこにいるっ!! 今すぐ東の森に来いっ、教導団の武器庫を襲撃するぞォ!』
「お? なんだスギウラ、もうギャザリング(スキルの一つ。怪しいドリンクを飲んで一時的に魔力を上昇させる)モードなのか?」
『ちっがーう! 我々はファシスト主義ドラゴンに正義の鉄槌をくだすべく、自由と平和の共通思想の元に革命的行進を断行中なのだ!』
「……ほんとかスギウラ!? いまいく! すぐいく! すごくたのしそうだから、ちょーとっきゅうでいくのだ!」
 しょげた顔から急に元気になった小夜子はピンと背筋を伸ばし、携帯電話をポケットにしまった。
 飛行艇のエンジンを軽くチェックし、一気に離陸体制に入る。
「ワン、ツー、スリー!」
 小夜子がかけ声を挙げながら離陸手順を取ると、飛行艇は一気に上昇を開始した。
 熱くて煙いジェットが汀野を襲い、思わず汀野は顔面を覆ってしまう。
 次に腕をおろした時、さっきまで目の前にいた生意気チビ魔道師は、汀野の遙か頭上を飛んでいた。
 汀野の濡れた服が、小夜子の吹かした飛行艇のジェットで少し乾いてる。
 髪に至っては完全に乾き、少しだけ残るジェットの渦流に小さくなびいてた。
 全ては、10秒以内の出来事。
 あまりの自由軽快な小夜子の姿に、汀野は空を見ながらしばらく呆けてしまった。
「なんだか、まるで鳥みたいに自由な子ですわね。お金に必死になってるわたくしが、バカみたいでございますわ……」
 湖の遙か遠くでドラゴンが咆哮をあげ、ゆっくり回頭しながらふたたびこちらに向かっていた。
 今度は傾斜してる船着き場に二人の影……ずぶ濡れのベレー帽山形とガブリエルが登ってきた。
 そうだ、計画はまだ生きてる。もしこのままドラゴンを放置したら、きっと校舎は全部破壊されてしまう。
 こうなったら、あの二人とも協力してドラゴンをなんとかしないと!!
「お二人とも、先ほどは大変失礼いたしました! お怪我はございませんでしたでしょうか?」
 ずぶ濡れのまま二人は汀野の腕に引っ張られ、燃え残ったコケに足を取られながらも水平な波止場の上に立った。
 陸に上がってしばらく二人は、そのまま疲労困憊の表情をしていた。
 必死にゴミや札束の破片を、汀野がきれいにし始める。そんな汀野の姿を見て、芸術家の二人の表情は徐々に変化していった。
 ベレー帽山形とガブリエルがお互いの顔を見て、不思議そうな顔をしている。今度は、ゴミを取り終わった汀野も二人の異変に気がついた。
「……なんですの?」
 汀野は正直に疑問の言葉を二人に投げかけた。しかし二人は質問に答えず、
「ねぇガブリエル。この絵は、キャンパスに全てを描ききることは絶対にできないね……」
「まったくでございます、ヒロ子殿」
と、二人で一つの言葉を返してきた。
 不思議な瞬間。
 芸術とお金が、お互いに少しだけ歩み寄った瞬間だった。
※(副題:遅れすぎのヒーロー)
「やべ、ブレーキが効かね……うぉぉぉぉっ!?」
 バイクのギアをトップに入れたまま、ネコ好き瀬川は溜池キャンパスの塀に時速100キロでぶつかった。
 当然バイクは大破し、衝突寸前に身を投げた瀬川も激しく地面で転がった。
「チックショー、教導団のボロバイクめっ! だからトップギアに入れるなって言ってたのか! 誰が入れるか! ってゆーかぜってーバイクなんか借りてやんねーじゃん!!」
 バイクの後輪がカラカラと空回りし、燃えかけのガソリンが小さく煙を出してる。
 しかしそれ以上に後ろの学園が炎と大きな煙をあげており、瀬川は自分の起こした事故はそんなに重大じゃないような錯覚を覚えた。
「い、いったい何が起こってたんだ!?」

 森の中で赤い杉浦一行……シスコン王土と妹っ子のラス、流し目の藍乃とヴァルキリーセレンたちが見たものは、大規模な教導団宿営地ではなくただの小さなキャンプ跡だけだった。
 軍隊の野戦訓練のように跡地を偽装するわけでもない。小さなたき火跡と小さな仮眠所跡がまだしっかり地面に残ってる。
「おかしい。教導団の武器庫と弾薬庫と燃料庫と装備品庫と生徒たちは、いったいどこに消えたんだ?」
 赤いヘルメットを被った杉浦はバール『のような物』を片手に、周囲のクマザサの藪をかき分けていた。
「たしかに今朝の職員室には『教導団、東の森にて作戦行動中』って書いてあっ……んー、なんだこりゃ?」
 何かの証拠物を探すように杉浦は一本の太い木の根元の雑草をかき分けてると、木の幹に大量の爪痕が残されてるのを見つけた。
「……クマ?」
「見てみろスギウラ、どうやらたき火は二人しかしてないみたいだぞ」
 赤ヘルメットの杉浦が木の幹を観察していると、すぐ後ろからシスコン王土が燃え残ったたき火の跡をかがみ見ながら声をかけてきた。
「薪の数が少ない。足跡も二人分しか見えないから、たぶん教導団は二人だけだ」
「すごーい! お兄ちゃんってそんな事も分かるの? すっごい、まるでスゴ腕探偵さんみたーい!」
 黒く焦げた裸地をかがみ見る王土の後ろで、少し大げさ気味に妹っ子のラスが王土の視線の先を一緒に覗いてた。
「ふふ、これはただのトレジャーハンティングの基礎なのだよラス。トラッキングと言ってな、本当は地面に残った動物の足跡を見て遊ぶただの遊技なのだ。ほら、ここにあるのは狸。こっちはドラゴンの足跡だ。ドラゴンはたぶん……この形はレッサー種かな?」
 王土がたき火の脇に落ちてる枯れ葉を指先でなぞると、今まで見えなかった様々な足跡が地面に浮かび上がって見えてきた。
「すっごーい!(今さら狸の足跡かよ! 全然すごくねーよ!) お兄ちゃんって何でもできるんだねーっ!(っつーかトレジャーハントに基礎知識なんかあんのかよ! 足跡なんて誰でも見つけれんじゃねーかよ!)」
 様々な腹中の毒をすべて笑顔と妹属性に変換したラスの前に、シスコン王土はかなり無力だった。
 褒めちぎるラスに応える形で王土は自慢げに、自身の黒髪を大きくかき分け「お兄ちゃんはスーパーヒーローだからな」と言った。
 一瞬、ラスの笑顔の向こうで小さな舌打ちが聞こえたような気がした。
「しかしなぜこんな辺境の溜池キャンパスに、わざわざ教導団が、しかもたった2名だけで来てるのだろう?」
「確かに……妙ですね」
 木の幹を見つめてしゃべる杉浦や、たき火跡でかがみ込んでる王土たちの後ろ。ずっと黙ってた流し目の藍乃が、急にしゃべりはじめた。
「兵力維持のための訓練にしては、キャンプの造りがあまりにもお粗末です。少ない兵数に、ドラゴンの足跡。しかもまさにこのタイミングで、ここにあるなんて。すべてを『偶然』の一言でまとめるには、少し無理がある気がします」
「……」
 ヴァルキリーセレンは、黙ったまま藍乃の顔を覗き続けた。
 いつもの知的なレイジ(藍乃の名前)さん。いつもの顔に、いつもの言葉だ。
 いつも私はすぐ近くにいるけれど、これ以外のレイジさんの顔を私は知らない。
 じっと考え込む藍乃の顔を見つめる、セレン。しかし藍乃はそんなセレンの視線を全く気にしないまま、今度はキャンプ地全体を流し見して言葉を続けた。
「何か、とてもクサいですね。もしも仮に、教導団がここにドラゴンを連れてきていたとするなら。王土さん、足跡のもっと詳しい事は分かりますか?」
「ん、そうだな。まず、教導団の足跡もドラゴンの足跡もほとんど形が崩れてない。数時間前までここにいたんだろうな。あと、このドラゴンの足形は……たぶん、生後間もない幼体の物だ」
「おい見てみろみんな! この根っこ、誰かがロープで引っ張り続けた跡があるぞ!」
 シスコン王土が地面を必死に睨んでる脇で、赤ヘルメットの杉浦が幹の根元をかき分けながら大きく叫んだ。
 王土ほか全員が杉浦の元に集まると、確かに杉浦が見つけた木の根っこは一部分の皮が不自然な形で削れていた。
 誰かがロープか何かで、しつこくこすった跡のようだ。
「こりゃー決定的かな。教導団は、ここにドラゴンの子供を連れてきてた。その後、うちの学校にはドラゴンがやってきた。でもなんで教導団の生徒たちは、わざわざうちの学校の近くを通ったんだ?」
 杉浦はバール(のような物)を腕に抱え、腕を組みながら赤いヘルメットの向こうで小さく唸った。
「スギウラよ。俺は、この2人の教導団が正規の軍事訓練でここに来た訳じゃないと思うんだが、どうだろう?」
 シスコン王土がベッタリ隣についてる妹っ子ラスの頭を撫でながら、難しい顔をしている杉浦に言葉を投げかけた。
 見てて微笑ましいような、場をわきまえろと言いたくなるような。
 赤い杉浦は難しい顔をしたが、眼光鋭い藍乃もさらに表情を険しくした。
「っていうのは?」
 余談だが杉浦には、彼女はいないらしい。
「ドラゴンは自分の子供を教導団にさらわれて、ここにやってきたってのかもって事だ。ちゃんとした正規の訓練なら、もっと大勢で来ててもおかしくないだろう?」
「きな臭いね。非正規の略奪任務で来たんじゃないか、って事かな?」
「たぶん。本当は『教導団は溜池キャンパスを囮にするために、ここに一泊した』って付け加えたいんだが。ここら辺は彼らに問いたださなきゃいけない所だな」
「うーん。ってことは、今朝までここにいた教導団の武器庫と生徒たちがどこに行ったのかを探さないといけないねぇ」
 王土が改めて隣にいる妹っ子ラスの頭を軽く叩くと、杉浦の顔はいっそう険しくなった。
 妹っ子ラスも充分にロリだが、セレンに言わせれば杉浦が連れてる魔女っ子小夜子も同じくらいロリだ。
 シスコン王土と赤い杉浦が言葉にならない対立をしている時、隣では藍乃が小さく首をかしげて何かを考えていた。
「ふむ、もしかして……ここは何か、教導団に貸しを作るチャンスなのかも」
 シスコン、バール、流し目の3人がそれぞれの思惑を持って同時に「うーん」とため息をついた時。森の木々が大きくざわめき、枝の隙間から一台の飛行艇が小さな轟音を響かせて地上に降下してきた。
 所々焼けた白いボディに、大きく主翼が両面に伸びている。黒い魔道衣を来て機体を操縦しているのは、ちびっ子魔道師の小夜子だった。
「スギウラーっ! カクメイかっ!? カクメイ、もうおわっちゃったかっ!?」
 ホームルームの時からずっとつけっぱなしにしてるのか、相変わらず小夜子は『安全』の文字のプリントされた黄色いヘルメットを被ってる。
 ちびっ子な体型に、金髪と安全ヘルメット。アゴひもが小さな輪郭を縛ってて、すごくかわいい。
 改めて小夜子を見たセレンは、なぜか一瞬めまいを覚えてしまった。よく分からないが。
 対して杉浦は、赤く塗りつぶされたヘルメットに黒テープで『革命』と描かれた物を被ってる。無精ヒゲが少し気になるが、こっちの方は悪くない意味でアラウンドサーティだった。
「おお、良いところに来たな小夜子。おまえ、ここに来るまでに緑色のヘルメットを被った人を見なかったか?」
「ん、みどりいろのヘルメット? しろいヘルメットならみたぞ?」
「それはセクトが違う、小夜子。緑色は権力の権化、教導団のヘルメットだ」
「われわれは、ケンリョクにさくしゅされてるのだな! ついにブソウホウキするときがきたのだな?」
「……小夜子ぉ、お前はホンっっっトに良い子だなァ」
 杉浦が半分泣きながら黄色ヘルメットのチビ小夜子を抱きしめた。すると小夜子は、あからさまに嫌がり「オジさん、犯罪だぞ」と言って背中をのけぞらせた。
 小夜子は身体を杉浦から引き離し、今度は思い出したように
「そういえばさっき、みどりいろのバイクががっこうのかべにぶつかってたぞ?」
と、色々と意味がありそうなワードを言葉に表してきた。
 驚いたのは杉浦だけじゃなかった。隣でニヤニヤしてた王土たちの顔も一瞬で変わり、その隣では藍乃の中性的な顔つきまでが変わった。
 少し攻撃色を帯びた藍乃の顔。こんな顔の藍乃を、セレンは初めて見た。
 セレンは、ちょっとだけドキッとしてしまった。
「緑色のバイク?」
 セレンにかまわず杉浦や小夜子を囲ってた全員の目が一瞬で小夜子に集中する。それでも小夜子は怯まず、安全ヘルメットの向こうで朗らかに笑った。
「うむ。みどりいろだった、みたことないヤツがのってたゾ!」
「なっ!? そいつは、きっと教導団の生徒の片割れだな! そうだ、俺は思い出したぞ。俺だけができる、俺がここにいるからこそできる事を! 今こそギャザリング(魔女っ子小夜子が大釜を使って煮込んだ秘伝のスープ)ヘクスモードを使って問題を解決するのだ!」
 いきなり杉浦が怪しくローブのマントをひらめかせると、真っ黒な執事服の胸ポケットに銀色の小さな小瓶が覗いた。
「おおっ、スギウラ、ホントにのむのか?」
 杉浦は可憐に執事服の胸ポケットから小瓶を取り出す。まるでアリナミンVを飲むお兄さんのごとき指先マジックで、フタをキュポンと宙に飛ばした。
「うむ! いつも生徒たちに『頼りない』『昼行灯』『合コンに連れてっても大丈夫そう』などと呼ばれるのは悔しいからな! 精神一到気合ドリンク、グビリッ! ……少々ドロドロしてて、なんだかしょっぱいな。体中に力が、みなぎって、来たよう、な……? ふぉおおおぉぉおおぉぉぉっ!!??」
(杉浦、ギャザリングスキル発動。SPが7減少、残り22。魔力が27から50にアップ)
 突如、杉浦を中心に大きな旋風が巻き起こった。
 マジックローブは帯がとれて肩からはだけ、黒い執事服と白い学生Yシャツは盛り上がった筋肉で破れ飛び、流れるような細かいシャギーの髪型が一気に逆立って赤いヘルメットが宙に飛ぶ。
 瞳が、深紅色に燃えていた。
「我、ここにある! 故に我、ここにあり! 俺の永遠的居場所、永久革命、俺はついに我が居場所を見つけたりぃィィいっ!!」
 一面に映えてた細かい草や枯れ葉が舞い上がり、痛いほどセレンの顔や手の甲を打った。
 思わず腕で顔面を覆い守ってしまったが、一瞬だけセレンの視界に杉浦が「チェンジ・エキサイティング!」と言って人差し指を宙に高く掲げる姿が入った。
 しばらく経って、周囲が静かになった。
 森の上を覗くと、上空にはなぜか緑色の肌をした杉浦がスノーボード型飛行艇(注:スパイダーマンに出てくるグリーンゴブリンやグライダーとは全く関係ありません)に乗って高らかに笑っていた。
 いったい、杉浦に何があったんだろう?
 地上に残ったセレンたちは、なんとなしにお互いの顔を見合わせた。皆不思議そうな顔をしてたが、黄色ヘルメットのちびっ子だけは笑ってた。
「うむ、ものすごくたのしそうなことになってきたぞ! キミたちも、すこしギャザリングするか?」
「わ、私は普通に走る」
 シスコン王土は慌てたように、その場で急にストレッチをし始めた。
 前髪が慌ただしく揺れる。その隣で妹っ子のラスも、とってつけたようなストレッチをし始めた。
「そっか、ざんねんだなー。じゃあ、キミたちは?」
「いや、わたしも遠慮しましょう」
 藍乃はいつもの流し目を、半ばめんどくさそうな目に変えて小夜子に答えた。
 そして。
「……ふっ。みんな、楽しいものですね。」
「?」
 急に、藍乃が笑った。
 小さかったが、何の前触れもなく。
 いつも隣にいるセレンにとっても、藍乃が笑う顔は初めて見たかもしれない。
 しかし目の前にいる小さな魔道師の小夜子は、少し不機嫌そうにふくれっ面をした。
「なんだよー、わらうなよーっ!」
「いや、すいません。久しぶりに楽しかったもので、ついつい」
 いいながらまた、藍乃はクスクスと笑った。
 なんだろう。私の知らないレイジが、目の前にいる。
 いつもすぐ近くでレイジを見守っていたのに、なぜずっと「今の顔」を見れなかったのだろう?
「ん、どうしましたセレン?」
「いえ、なんでもありません、わ」
「……? そうですか。では私たちも、杉浦先生に遅れないようにキャンパス前に戻りましょうか」
「はい」
 まぁ、いいか。難しい事は、わたくしにはよく分かりませんもの。
 わたくしは、レイジのそばにいる。レイジさんの隣に沿って、わたくしも一緒に歩く。それがきっとレイジさんの本当の心を見るための、わたくしだけの道なんですわ。
 すでに元来た藪を歩き始める藍乃の後を小走りに追い、少し遅れてセレンは藍乃にピタリとくっついた。

 意外と知らない学校の校門をくぐるって、勇気がいる事かも。
 紫色の煙と炎を噴く校舎と校門を前にして、瀬川は改めて思った。
 チャイムとかあったらいいんだけど、どこ見渡してもそんなのないもんなぁ。
 入るか? 入らないで待つか? いやでも染川によると学校には、助けを求めるたくさんの女の子が中にいるらしい。
 中に入るか!? いやでもなぁ……。
「んー……。俺、どーすればいいん?」
 門の前をウロウロしていると、どこからともなく不気味な高笑いが聞こえてきた。
「ハッハァーッ!! キサマか、緑色のやつはぁっ!!」
「うい!? なっなななななな、空から緑のバケモノがッ!?」
「バケモノは貴様だァ、権力の緑め! くらえ、パンプキンボムっ!!(注:漫画『スパイダーマン』は全く関係ありません)」
 高笑いの主はスノーボード型飛行艇の上から、小さな緑色の球体を瀬川に向かってポロポロと投げてきた。
 驚いたのは瀬川だ。いきなり訳も分からないヤツにバケモノ呼ばわりされ、しかもいきなり先制攻撃を受けたからだ。
 瀬川は悲鳴を上げながら、飛んでくる緑色の球体をいくつも避けた。
 飛び退き、転がり、最後の一つは腰につけた剣で切り裂いた。すると緑の球体が激しく爆発し、中から黄色い中身が飛び散った。
『しまった、こりゃポイズントラップだ!!』
 全身を黄色いドロドロで塗りたくられた瀬川は、本能でこの世の終わりを察した。自ずとヒザの力が抜け、地面にへたり込んでしまう。
「ふっふっふふふ……見たか、俺の真の力を!」
 緑色に変色した怪物……杉浦が、飛行艇に乗りながら瀬川の近くに寄った。崩れる瀬川と距離をとり、それでも余裕の構えだ。
「お、お前は誰だ! なぜ俺を攻撃する!」
「知りたいか? それは、お前が俺の人生を奪ったからだ!(注:教導団に学校を燃やされたと思ってるだけ)」
「俺が、お前の人生を奪っただと……?(むしろまだ何もしてない)」
「今すぐ楽にしてやろう、名も知らぬ正義のナントカマン……。これで、貴様も終わりだ!」
 正義のナントカマン……。
 巨大パンプキンを持って自分に振り下ろそうとする杉浦を前に、なぜか瀬川は至高の喜びを感じた。
 ああ。俺はついに、正義のヒーローになれたのかもしれない。
 明日の朝刊には俺が載り、夕日には俺の姿が浮かぶだろう。
 銅像が建てられ、俺は未来の子供たちの童謡にも出るんだ。
 女の子がいっぱい、これは間違いない。
 あとでママに手紙書こう。
「スギウラーッ、なぁにやってんだーいっ!!」
 瀬川にパンプキンを投げようとしてたグリーン杉浦の横っ腹に、ちっこい魔法少女が渾身の跳び蹴りをくわえた。
「へぐっ!?」
 グリーン杉浦は、声にならない声を発しながら大きく吹っ飛んだ。
(杉浦のギャザリングスキル解消。魔力が1にダウン)
 瀬川がパンプキンの黄色い中身を食らってから、すでに30秒。未だ身体には何の異常も起きない。
 むしろ周囲の環境だけがめまぐるしく変化し、今度はちびっ子魔法少女が俺を助けに来た。
 種がいくつも服にこびりついてる所を見ると、どうやらパンプキンは本物のカボチャのようだ。
「おかえりなさい、陣。学校には今着いたんですね?」
 今度は近くの煙の中から、誰かが声をかけてきた。
 今度は誰だよ? めんどくさいなと若干思いながら横を見ると、煙の中から出てきたのは一冊の教科書と怪我を負った大勢の蒼空女生徒を連れた染川だった。
「おや、陣。なんだか騒々しいと思ってたら、女性に守ってもらってたのですか?」
「へ? いや、それもそうだけど。でもなんだよ、その後ろの女の子たち?」
「いえ、前に陣が教えてくれた『女性は守るもの』の言葉を実行してるだけなのですが?」
「にしては、ホントに女の子だけだな?」
「もちろん男性の方には、事情を説明して全員に帰ってもらいました」
「はぁ?」
「ペアは離れられないとか、守護者は主を守らなければいけないとおっしゃる方もおりましたが。事情を説明すると……」
「……説明すると?」
「皆さん、ちゃんと話を聞いてくれました」
 言いながら、染川はニッコリとほほえんだ。
 よく見れば染川の制服は焦げ色だけではなく、小さな血や土も沢山付いていた。制服のボタンは外れ、一部は派手に破けたところもある。
 周囲を取り囲む女生徒の視線が冷たい。むしろ痛い。
「バカヤローッ! お前、なにやってんだーっ!」
 ボガンとヒーロー瀬川が染川を殴ると、殴られながら染川はものすごく意外な顔をした。
「……いえ。何、と言うのは?」
「助けを求めるか弱い女の子『を』守るんだよっ! 俺たちゃヒーロー! 無理矢理誰かから女の子を引っぺがすな!」
「しかし、陣は前に他の男性と恋仲にある女性を助けようとしたのでは?」
「バッカヤローッ! それとこれとは別の話だーっ!!」
 瀬川のコークスクリューパンチが染川を襲う。
 バギバギバギっ! 染川にクリティカルヒット!! 瀬川は染川に45のダメージを与えた。
 こうかは ばつぐんだ!
 染川のHPは1になった。
 染川はパンチの衝撃で、脇に倒れるグリーン杉浦を見た。
 グリーン杉浦の攻撃!
「ふふっ、女は、強いぞ……ぐふぁっ!」
 グリーン杉浦は吐血した。
 染川の頭に『か弱い女性を守る』と『女は強い』の矛盾が生じた!
 染川は混乱した!
 そこへシスコン王土たちと流し目藍乃たちがやって来た。
 王土の毒妹、ラスの攻撃!
「うわぁ、おじさん大丈夫ですかぁ? すっごい怪我してますね。痛そうだから、ヒールで治してあげますねっ!」
 ラスはヒールを唱えた。
 染川のHPは12に回復した。しかし、ラスの黒い笑顔とヒールにSPを全て奪われてしまった!
 藍乃とセレンの攻撃!
「……」
「なんだか、すごく弱そうな方ですね?」
 藍乃は無言の冷たい視線を放ち、セレンは理不尽な言葉を吐いた!
 ステータスダウン! 染川は、全ステータスが1になった!
 染川はその場に座り込み、ひざを抱えて泣いてしまった!!
「それが、陣たちの望みなのですね……」
 満身創痍。染川は現実から逃げた! やった!
 ……いやいやいやいやいや。
「まぁ泣くなよ染川ぁ。男が泣くのはみっともないじゃん? これからまた色々勉強してけばいいんだしさー」
「わたしは、か弱い女性も守れない男です……」
「だからまた泣くなって! コノヤローッ!」
 瀬川はまた殴った。染川は11のダメージを受けた! 染川のHP、残り1。
「ま、まぁ待つんだ名も無きヒーローよ。キミは、染川クンの知り合いかい?」
 激しく吹き飛ぶ染川を脇に、今度はグリーン杉浦が口から血を吐きながらやってきた。
 顔になぜか、老人のようなしわが寄ってる。さっきより痩せて見えるのは、気のせいか?
「知り合いどころか、俺は染川の主人の瀬川だよ。アンタこそ誰さ?」
「俺かい? 俺はこの学園で美術の講師をしてる杉浦だよ。美術を教えながら、今日来る新入生のクラスを受け持つ事になってた。ぶほぁっ」
「え……オジさんそれ、マジ話?」
 瀬川の前で血を吐き、緑色の体をプルプル震わせてる杉浦に担任と名乗られ瀬川はすごく不安になった。
 頼りないどころか、この先色々な事がものすごく危なそうだ。
 小さな汗を浮かべながら瀬川が周りを見廻すと、他のみんなは半ば諦めたようにウンウンと頷いていた。一人だけ、ちびっ子魔道師は笑ってるが。
「じゃあ、改めてヨロシク瀬川クン。今日からキミは俺の生徒であり、同志だ。我々はキミを歓迎するよ」
 握手を求めながら、杉浦の目が深紅色に燃えた。
「は、はぁ……」
 瀬川は杉浦と固く握手した。ほぼ一方的に。
 もしかしたら俺は、色々間違えてしまったのかも。心の中で、瀬川は思った。
「あー。二人の結束を固めあうのもいいが、よかったらあのバイクをどこで借りたか教えてくれないか? 俺の目が狂ってなければ、あれは間違いなく教導団のものなんだが」
 シスコン王土が「緊急」の単語をしゃべりながら大破したバイクを指さし、オールバックの黒髪を大きく掻き上げた。
 はじめて実際に髪の毛を掻き上げる男を見たが、意外とムカつくもんなんだな。
 瀬川は男属性への新たな発見に驚きながら、さっきまで追ってきてたトラックの轍を指さして「この先5~6キロの所かな?」と答えた。
「そうか、まだそんな所にいたか」
「なんか、ちっこいドラゴンがすげー暴れてたぜ。教導団のヤツら、二人がかりで逆に引きずられてたもんな」
「なに、ドラゴンがいただと? 二人がかりで連れてるんだな? 二人は何の武器を持ってた?」
「んー、古っちいこんくらいの銃(目の前で腕を少し広げる)と……なんかのでっかい刀だったな」
 瀬川の言葉に王土は「よく分からない」という顔をした時、となりでずっと黙ってた藍乃がまた難しそうな顔をした。
「小銃か……? マシンガンと、刀か。難しいな」
「どうした藍乃。また何か分かったのか?」
 シスコン王土が、またアゴに指を添える藍乃に問いかけた。
 その王土の目に応えるように、藍乃は他に立ってる人間の武器に視線を流した。
「この中で唯一まともに戦えるのは、私のセレンと君の持つ光条兵器だけだと思います。皆の武器では、正規の戦闘訓練を受けた教導団と正面切っては戦えないと思うのです」
「スギウラが魔法を使えるであろう」
「……いや。よく見てください」
 藍乃に促されて王土が後ろを振り返ると、グリーン杉浦はヒーロー瀬川の肩に手をついてハァハァしていた。
 さっきまでの瀬川との死闘はどこにいったのやら。小夜子も隣でニヤニヤしてるだけで、なぜか瀬川が杉浦を介抱していた。
 瀬川は苦笑いした。
『なんか俺、すげー情けねぇじゃん』
 そんな瀬川の苦笑いを感じたのか、杉浦はプルプルと全身を振わせながら渾身の力を振り絞り
「いや、ワシは行くぞぉ。こればっかりは、講師たるワシの仕事じゃあ」
死にそうな歩みをトラックの轍に進めた。
 その足取りは、普通に歩く何倍も重く、遅い。
 杉浦の姿が5メートルくらい離れた時、シスコン王土も改めて自分の靴紐を結び治した。
 隣ではしゃぐ妹っ子ラスにも、落ち着いた声をかける。
「では、私たちも行くぞラス。光条兵器で戦う、またとないチャンスなのだからな」
「うんわかったー! あたし、お兄ちゃんのために一生懸命がんばるよ!」
「いや、光条兵器は俺が使う。ラスは遠くで隠れてるのだ」
「は? ……じゃなくって、ええと、お兄ちゃん、大丈夫? あたし、自分の事くらい自分で守れるよ?」
「今回は守る、ではなく、攻めるだからな。俺はお前を傷つけたくない。二度も、妹に死なれたくないからな」
「……あ、そっか。うん、わかった」
 急に大人しくなった妹っ子ラスに、シスコン王土は微笑みながらポンと手をついた。
「では、またランニング開始だ! 今度はちょっとハイペースで行くぞー!」
 王土が軽い足取りで緑の土を蹴ると、その下にクッキリと足跡が残った。
 王土の足跡を追うようにラスが走り去ると、今度は藍乃たちがお互いに小さく何かのやりとりをしていた。
「ん、あんた……えーっと、名前、まだ聞いてなかったっけ。あんた達はどうするんだ?」
「藍乃です、よろしく。私たちは、少しだけ回り道をしていきます。ちょっとしたスキルを持ってますから。君はどうするんですか?」
「お、俺だって一緒に行くにき……」
「あ、だーめだよキミ! それは、ぜーったいにダメ! ルールいはんだよ!!」
 急にちびっ子魔道師の小夜子が、ビシッと瀬川に向けて人差し指を立ててきた。
「ルールはぜったい、なのだ! たのしくあそぶには、ぜーったいに、まもらなきゃいけないことなのだぞ!!」
「な、何がダメなんだよ?」
「かみさまのじじょう、って誰かが言ってたのだ。とにかくセガワは、オンナノコたちと、ずーっといっしょにいなきゃダメなのだぞ!」
 瀬川に「かみさまのじじょう」とやらを語る魔女っ子小夜子。
 黒いフードをたなびかせ、チビ魔女は再び飛行艇に乗り込んだ。
 ワン(仰角確保)、ツー(点火)、スリー(噴射)!
 小気味よい噴射音を弾き、再び小夜子は大空に舞う。
 煙いジェットが舞った後、瀬川の周りにいた藍乃たちもどこかに消えていた。
 地面に王土より大きい足跡が残ってるのは、何かのスキルを使った証拠だろうか?
「あ、いっちゃった……」
「いっちゃった、じゃないわよっ!!」
「そうよそうよ! 私たちをこれからどうするつもりなんですか!」」
「ご主人様ぁ、怖いですよォーっ」
 小夜子達に気を取られてた瀬川は、改めて自分たちが若干危険な状況にいる事に気がついた。
 興奮した女子生達が自分を取り囲んでる。
 中には女戦士(ヴァルキリー)や仕込み箒を持ったメイド、なぜかダブルバズーカの機晶姫までいて、雰囲気的に瀬川のタコ殴りは必須だった。
「ちょ、ちょっと待った! 俺は何も悪い事してないんですって! お嬢さんたち落ち着……」
「問答無用よ! やれ!!」
 言葉にできないフルボッコ。
 消えゆく意識の中で、瀬川は思った。
『あー、こういうの「萌え死に」って、言うのかも……』

「あれか、教導団の生徒は! 確かにドラゴンを連れてるな!」
「お兄ちゃん。子供のドラゴンさんって、ホントに火を噴かないのかな?」
 湖から流れ出す川とその岸辺に繁る芦の茂みで息を整えながら、王土とラスは先にいる緑色の二人の影を見つけた。
 たしかに教導団の紋章の入ったワッペンと制服を着ている。見慣れない軍靴も履いてるし、ほぼ間違いない。
 瀬川には5~6キロ先にいると教わって轍をたどったが、教導団の一行はもっと先を歩いていた。
 しかも連れられる子供のドラゴンは、暴れてるどころか、たまに後ろを振り向く以外は素直に二人について行っているみたいだ。
「ではラス、行ってくる。光条兵器を渡してくれ」
「……お兄ちゃん。あのね、ラスね、少しお願いがあるの」
 手を差し出してる王土の手のひらに、ラスはゆっくり自分の手のひらをおいた。
 ラスの手は冷たくも温かくもなく、何かに触ってるという感覚すらあやしいくらいフワフワしている。
 なぜか急に不安な気持ちがして王土は振り返ると、目の前には確かにいつものラスがいた。
「お兄ちゃんは、あたしのこと、好きなんだよね?」
「当たり前じゃないか、兄が自分を慕う妹を嫌いでどうする?」
「ホントだね? ホントにホントに、あたしのこと、好きなんだよね?」
 おかしいな。
 含みがあってもいつも笑顔のラスが、急に笑顔じゃなくなった。強気で俺に色々命令してきたりするのに、なぜこんな時に『おねがい』なんだ?
「ラス、何が望みだ? いつもみたいに、ハッキリ俺に言うんだ。俺はお前の、自慢すべき兄なんだぞ?」
 言いながら王土は、じっと妹の目を覗き込んだ。
 すると妹で人間のはずのラスの瞳が見えた。
 丸いだけのはずの瞳孔に、とても小さな紋章がたくさんある。黒い瞳に、茶色だったり、灰色だったり、様々な色と形と大きさの何かのマークが浮き上がってた。
 王土は一瞬、ハッとした。
 初めてラスに人間以外の何かを感じた瞬間だ。
 恐怖じゃない、得体の知れない灰色の何かが心をかする。しかし王土はすぐに、いつもの心で灰色を打ち消した。
 確かにラスは、人間じゃない。
 でも、人間じゃなくたってラスは妹だ。世界に二人といない妹なのだ。
 その妹が今、目の前で泣きそうな顔をしていた。
「お兄、ちゃん?」
「んー、なんだ? またいつものおねだりか? 早く言うんだ、でないとドラゴンが遠くに行ってしまうからな」
「んーん、やっぱり、なんでもない」
「なんだー、ラスらしくないぞ? ちゃんとおねだりしないか、お前は私の妹ではないか」
「……うん、わかった。あのね、ラスの渡すコージョーヘイキはね、実はちょっとだけ高い物でお飾りしててねっ」
 ラスが、またいつもの含み笑顔に戻った。何か企んでるのか、上目遣いでニマニマしてる。
 担がれたり騙されたりしてるのは承知なのだが、相手がラスでは仕方がない。
 王土はいつも通り、熱心に兄の笑顔を演じた。
「うむ、うむ」
「それでねっ、お兄ちゃんがコージョーヘイキを使うとね、相手の人によっては、お飾りがすぐ壊れちゃうの。だから、できるだけ傷つけないように使って欲しいのっ」
 言いながらラスは、王土の手のひらに置いた自分の手から、薄い生地でくるまれた小さい何かを産み出した。
 王土が手のひらの中を覗くと、そこには結婚ブーケにくるまれた『何か』が、小さく、大切そうに置かれてた。
 何となく『何か』を王土は指輪に見たので、実際に右手の指にはめてみることにした。しかし指にはめても、白い花飾りブーケ以外を王土は全く感じられなかった。
「うーむ、中々大変なお願い事だなぁ。さすがのお兄ちゃんも、ちゃんとできるか自信ないなぁ。それにこのブーケだが、ちょっと派手だから戦闘になる前に外しちゃいけないのか?」
「絶対ダメだよ! もし破ったり燃やしたりしたら、絶交しちゃうよ! お兄ちゃんのパートナーだってやめちゃうんだからねっ!」
「分かった、約束しよう。お兄ちゃんは、ブーケの飾りを壊さない。お兄ちゃんとラスの、二人だけの約束だ」
 言いながら王土はラスの頭をブーケ付きの手でポンと叩いた。
 花装飾のブーケがラスの頭に乗り、まるでどこかの花嫁みたいだ。
 一瞬ラスの姿に王土は見とれてしまった。が、改めて遠くにいる教導団の二人を睨みなおして、王土は素早く芦の茂みから身を乗り出した。
 ラスは隠れながら、王土の走る先を見守る。
 緑色の二人が王土に気がついて慌てると、一瞬にして戦闘が始まった。
 軽い発砲音と、何重もの男の怒声。
 またラスが、寂しそうな顔をした。
「そっか。お兄ちゃんには、ブーケが見えたんだ。ホントは死んだ妹さんに、幸せな結婚をしてもらいたかったのかなぁ」

 戦闘を始めた王土には、相手に何が起こったのかよく分からなかった。
 使い方もよく分かってないまま王土は指輪をかざすと、なぜか教導団の生徒達は武器を構えたまま激しく動揺しはじめた。
「兄さん! ありゃ一体なんだい!?」
「うそだろ!? 騎士団旗に、聖なる甲冑と殿下がおられる! 亡きパラミタ王立騎士団が、どうしてこんな所にいるんだっ!?」
 兄さんと呼ばれた生徒は腕まくりした腕に綾刀を構え、王土には見えない何かを凝視していた。
 その隣では浅黒い頬にOD色のカラードーランを塗ったパラミタ人が、長身のトミーガンをこちらに向けつつ不安げにあたりを見回してる。
 指輪を構えながら、王土は悟った。どうやら二人は、指輪で作られた何かの幻視を見てるらしい。
『光でできた兵器か、さすがだな』
 試しに王土は、ゆっくりと二人に近づいてみた。すると教導団の二人は慌てて武器を構え直し、強い敵意と共に王土をにらみ返してきた。
「否、俺は見切るぞ! 喝ぁぁぁぁぁっ!!!」
 小さく刀を構え直した生徒が叫ぶと、同時にパァンとどこかで小さな風船が割れる音がした。
「兄さん!?」
「相手の正体は幻だ! 銃を構えろ!!」
「……!! ごめん見えない!!」
「俺の剣先だけを狙えばいい、ゆくぞ!」
 銃を構え直すドーランの生徒の射線に沿う形で、刀の生徒が突撃してきた。
 ちっ、少しめんどくさい事になったぞ!
 指輪をはめた手を引き戻しながら、咄嗟に王土はリターニングダガーを刀の生徒に投げた。が、ダガーはあえなく刀の一振りに弾かれてしまった。
 まずい、もう手元に使える武器がない! ダガーが戻るのには少しだけ時間がかかる!
 刀が横突きの構えでやってきた。王土は捨てる覚悟で防刃ベストの左腕を差し出した。
 斬撃の瞬間! ベストは耐えれるか?
 様々な思いが一瞬で通り過ぎた後、なぜか教導団の刀は腕を切り落とさなかった。
 代わりに銃を持った生徒の弾丸が腕の近くを飛びすぎ、衝撃波で王土の腕は身体と一緒に大きく吹っ飛ぶ。
「間に合いましたね、王土さん。良いタイミングでした」
 倒れながら脇を見れば、近くの藪から腕だけを伸ばした藍乃が別のリターニングダガーをワイヤー付きで投げていた。
 ワイヤーはうまく刀の生徒の腕に絡みつき、ちょうど刀が王土に振り下ろされる瞬間を捕らえたのだ。
「ちぃぃっ!」
「うわぁぁぁっ、兄さぁん!!」
 刀の生徒がワイヤー付きダガーの方へ跳躍すると同時に、王土の手には先ほど投げたダガーが戻ってきた。
 後ろではヴァルキリーのセレンが、もう一人の生徒の持つ銃を真っ二つに切り裂いてる。
 二人の教導団は、勝機を完全に失っていた。
 だが、刀の生徒だけは闘牙を納めなかった。
「おのれ、蒼空学園どもめ!!」
 刀の生徒はケーブルごと大きく藪を一閃し、立てひざで隠れてた藍乃は寸出の思いで地面に身を伏せて斬撃を流した。
 今度は王土の出番だった。
 立ち上がりながら王土はダガーを逆手に構え直す。刀を大振りする背後に忍びより、王土は一気に生徒の喉元にダガーを突きつけた。
「動くな教導団! 命が惜しくば、刀を捨てろ!」
「ぐ……ち、ちくしょうっ!!」
 言いながら教導団は、ケーブルの巻かれた腕から刀を落とした。後ろではもう一人の生徒も、ヴァルキリーセレンに剣を突きつけられて降伏の構えをしてる。
 ドラゴン奪回の戦いは、蒼空が勝った。

「お兄ちゃーん! すっごーい、みんなやっつけちゃったね! うわーっ、うわーっ! すっごくかっこよかったーっ!!」
 流し目の藍乃やヴァルキリーセレンと王土が教導団生徒たちのボディーチェックをしていると、芦の影から妹っ子ラスが小さく走り寄ってきた。
「お兄ちゃん、意外……げふん、すっごくかっこよかったーっ!」
「ふふん、どうだお兄ちゃんは強かっただろう? この通り、ラスから借りた指輪とブーケにも傷は付いてないぞ?」
 言いながら王土が、刀の教導団を後ろ手に締めあげながら何もない右手を自慢げにラスに見せた。
 ラスはどうだ? なんだか裏がありそうな笑顔で王土の指先を見て「つよーい! お兄ちゃん、ちゃーんと約束守ってくれたー」とわざとらしく喜んでる。
 教導団と言いこの二人といい、一体何を見てるんだ?
 藍乃は教導団の片腕に絡めたケーブルを解きながら、他の皆の様子もうかがった。
 銃を持ってた教導団にはセレンが、相変わらずすごい剣気を向けて威嚇している。
 そのセレンは剣を生徒の背中に向けながら、自力で生徒を手放しで連れてきた。
「レイジ(藍乃の名前)さん、連れてきました」
「ありがとう、そのまま動かさないでください。頼みましたよ」
 できるだけ落ち着いてる風を装いながら、藍乃はヴァルキリーのセレンに言った。
 セレンは小さく「わかりました」と言ってちょっとだけ剣先を教導団に触らせたが、教導団の生徒は可哀相なほど大きい身振りで両手を挙げた。
「ひっ! 助けてくれぇっ!!」
「大人しくしてください。いくつか質問があります、答えてくれますか?」
 藍乃は目の前にいる学生のポケットをいくつか探りながら、できるだけ感情を殺して問いかけた。
 しばらく二人の学生は黙っていた。が、ヴァルキリーセレンが剣を押しつけると、先ほどまで銃を持っていた生徒は激しく頭を上下に振った。
「話します! 何でも話しますから殺さないでぇっ!」
「な……!? この、使えないおしゃべりめっ」
 もう一人の刀を持ってた生徒が怒鳴る。
 しかし怒鳴られた方の生徒はビクビクしながら、何も聞かれてないのにOD色の頬を藍乃に向かって動かし始めた。
「おお俺たちはただ、あのドラゴンを連れて部隊に帰りたかっただけなんです! でもドラゴンは頭もいいし鼻もいいから、ドラゴンの巣がある場所に近い溜池キャンパスの近くに寄ってドラゴンの鼻をくらまそうと思っただけなんです!」
「教導団本校の指示はあるのか?」
「本校の指示は何もありません! ただ俺たちが所属してる部隊があんまり弱いんで、戦力強化がしたくて勝手にやっただけなんです!」
「その部隊の名前は何ですか?」
「き、教導団本校付き第2師団501機動猟兵中隊! 認識番号はGE01―3021024!!」
 流し目藍乃は何もかもを話す生徒が嘘を言ってないか確かめるために、生徒の背後にいるヴァルキリーのセレンに目配せをした。
 セレンは頷き生徒の背中に剣を強く押しつけたら、生徒は何度も大きく「本当です!」と悲鳴を上げた。どうやら嘘ではないらしい。
 遠くにはドラゴンの子供……ドラゴンパピーが自分たちの様子をうかがっている。どうやら急に人間が争い始めたので、ドラゴンはドラゴンで戸惑っているようだ。
 鼻先で臭いをかいだりして、何かにものすごく警戒の色を伺わせている。
「なんだ、おまえ達はドラゴンの巣から子供以外に何も盗まなかったのか?」
「へ?」
 突然のシスコン王土の質問に、教導団の二人は同時に顔を上げた。
「俺は本当はトレジャーハンティングがしたかったのだ。ドラゴンが守るものと言えば、普通は古代の宝物であろう? 盗まなかったのか?」
「いえ、私たちはそんなものは、全然」
「なんだ、使えないヤツらだな」
 そう言えばさっき、兄と呼ばれてる生徒がもう一人に「使えないヤツ」と言ってなかったか?
 突然の王土の批難に、目の前にいる教導団達は変な顔をしながら下を俯いた。
 ふと、自分たちに降り注ぐ日の光が一瞬遮られた。上空を、小さな飛行艇が飛んでいた。
「王土さん、とりあえず今はそこのキネヅル草で二人を縛っててください。私はドラゴンを捕まえてきますので」
「うむ、わかった」
 様々な思惑で皆はここにいる。そのことを感じた藍乃は教導団の二人をヴァルキリーセレンと王土(と、隣にいるラス)に任せ、自身は遠くに離れてるドラゴンの元に向かった。
「……!! グゥゥゥゥゥッ!!」
 藍乃が近寄るとドラゴンは、なぜか藍乃とその後ろを同時に警戒しはじめた。
『? 俺を警戒するのは分かるが、いったい他に誰を警戒してるんだ?』
 藍乃はドラゴンの様子も気になったがその視線の先も気になったので、ふと後ろを見た。
 相変わらず王土達が教導団の二人を野生のツル草で縛り上げている。
「お兄ちゃん! ねぇー、そろそろあたしのコージョーヘイキ返してよぉ!」
「おお、すまなかったなラスよ。お前の光条兵器にはとても助けてもらったぞ」
 言いながら王土は藍乃の目に見えない『何か』を指から外し、丁寧にラスに手渡した。
「……!? グギャアオ!! グガァォ!! ガアーッ!!」
 突然後ろにいた子供ドラゴンが騒ぎ出し、異常に気がつき振り返った瞬間の藍乃を思い切り突き飛ばした。
「ぐアッ!?」
 ドラゴンに何が起こったのか分からない。ドラゴンは全身に薄い光を帯びながら、なぜか藍乃に体当たりしてきたのだ。
「あ、お兄ちゃん……!!」
「むむっ!?」
 急に自分たちに突撃してきたドラゴンに、王土はラスを突き飛ばした。
 それでもドラゴンは、なぜか突き飛ばされたラスの方へ自身の走る先を変えた。どうやらラスを目標にしているらしい。
「このぉっ、お前に妹をやらせるか!」
 腕にうっすら血を流している王土が、ラスの前に構える。そこへ光を帯びたドラゴンが正面からぶつかり、王土を思い切り突き飛ばした。
「ぐふぁっ!?」
「王土さん!!」
 ヴァルキリーセレンが声を上げ、すかさず倒れた王土の元に走りよる。
「大丈夫ですか!?」
「俺は大丈夫だ。ど、ドラゴンと教導団は?」
 言われてセレンが辺りを見回すとドラゴンは小さな翼とかぎ爪を広げて威嚇の格好をしていたが、教導団の二人組はすでにそこにいなかった。
「グガャァーッ!」
 再びドラゴンが突撃してくる。
「ラス、逃げろ!」
 王土が叫ぶと同時に、ヴァルキリーセレンが剣を斜めに構えてドラゴンとラスの間に割って入った。
 セレンの構えは、女戦士(ヴァルキリー)族伝統『必撃の構え』だった。
 まさか、セレンは相打ち覚悟でドラゴンを撃ち取るつもりなのか? もしドラゴンの子供が死んでしまったら、溜池キャンパスの親ドラゴンが……っ!!
「駄目ですセレン! 引きなさい!!」
「……!!」
 藍乃が必死の思いで叫ぶ。しかしヴァルキリーセレンは小さく気を吐くと、突撃してくるドラゴンに素早く剣を振りさばいた。
キィィィンンンンンン!!!!
「なっ!?」
 ドラゴンの小さな鱗に澄んだ音が響き、セレンの剣がドラゴンから外れる。
 さらに次の瞬間、セレンは鳥の羽のように吹き飛んでいた。
「くっ!!」
 セレンがいなくなると、ドラゴンの前にはラス以外に誰もいなくなった。
「きゃぁぁぁぁーっ!!」
「ラァァァァスっ!!」
 地面にへたり込んだまま動かないラスにドラゴンが飛びかかったとき、またもや王土がドラゴンの前に躍り出た。
 王土とラスが、並んでドラゴンに弾かれる。その瞬間、ラスの手の中から『何か』が転がり落ちた。
「……?」
 急にドラゴンが突撃をやめ、地面に転がる何かのにおいをかぎながら首をかしげはじめた。
 いつの間にか、ドラゴンを包んでいた光のオーラも消えている。
「フンフン……クー? ククー?」
 色々においをかぎながら何かを確認しているドラゴン。
 そこへ、緑色でメチャクチャ不健康にやせ細った杉浦が身体をプルプルさせながらその場に合流してきた。
「おお、おまえらー。やぁっと着いたぞぉ。教導団の生徒達はどこじゃぁ……ごふっ」
 合流ついでに杉浦は、壮絶に血を吐いて倒れた。
「お、俺はもうダメかもしれない……。みんな、あとは頼……ガクッ」
「スギウラーッ! なーにやってるのだぁーいっ!!」
 倒れた杉浦の上に、なぜか飛行艇で急降下してきた魔女っ子小夜子が飛び降りた。
 その衝撃で杉浦の身体は、低反発枕のように大きくへこむ。
「しっかりするのだスギウラ! いったいなにがあったのだ!!」
 そのままチビ魔女小夜子が万年布団のように伸びる杉浦の上に馬乗りになると、今度は大きく杉浦の頭を揺すりはじめた。
「ぎ、ギャザリングヘ、ヘク……(注:小夜子の作ったギャザリングヘクスの副作用が祟った、と杉浦は言いたかった)」
「そうか、ボクのつくった『ニュー』ギャザリングがほしいのだな!? まってろ、すぐにドーピン……うん?」
 魔女っ子小夜子がローブをめくって何かを探していると、そのすぐ近くにドラゴンがやってきてクンクンと杉浦の身体のにおいを嗅いでいた。
「クー?」
「なんだ、おまえもボクのくすりがのみたいのか?」
「がお」
「おお、にんげんいがいがギャザリングをのむのは、なかなかめずらしいのだ。ホントにのむか?」
「うがーっ」
 小夜子に瓶ごとギャザリングの入れ物を渡されたドラゴンは、なぜかそのまま杉浦の口に瓶の中身を流し込んだ。
(杉浦、ギャザリングスキル発動。SP22から15に減少。魔力が1から60にアップ)
「……ふぉぉぉぉおおおおぉぉっ!? きたぞきたぞーっ、ついに俺の時代がきたぁぁぁぁっっ!!」
 死にそうだった細くて緑色の杉浦の身体が、急に健康的な地球人の体つきと肌色に「ボブン!」という効果音と共に戻る。
 そのまま信じられない腹筋(というか魔法)を使って、杉浦は直立姿勢のままその場に立ち上がった。
「きたかスギウラ! いまこそカクメイのときか!?」
 ピョンと跳び退き楽しそうな顔をする小夜子に杉浦の顔が引き締まり、一瞬だけ目が紅く燃えた。
 かと思うと、杉浦の顔は今度は一転してほほえみに変わる。
 でも、ちょっとだけ不自然だった。
 そして。
「いいえ、友愛です」
「!!(その場全員の意識)」
 ついに杉浦は、大変なことを言ってしまった。
 しかしこれはギャザリングによる精神混乱時の言葉なので、本人(もしくは神)の本意では『絶対に』ない。
 ちなみに杉浦は普段の食事にも小夜子のギャザリング(愛称は、じっくりコトコト煮込んだ小夜子のスープ)を混ぜられてるので、今までの変な行為も断じて杉浦(と神)の本意ではない。
 そこはしっかりご了承いただいてほしい。
「賊(この場合は親ドラゴン)には、民間人を交えた対話、金銭での解決、その他あらゆる非暴力的な行為で対応いたします。要求された身代金や現地法人の損害保証、他あらゆる必要経費が発生した場合は、お互いしっかり話し合った上での正当な金額を全額お支払いする準備がございます。しかし選挙や授業の中での全ての発言は、必ずしもマニフェストとイコールではありません。蒼空学園の存在は、私が民団と約束したものです。このフロンティアは、決して我々だけのものではありません」
(※杉浦は、絶対にこんな事を本気で思っていません。悪いのは全てギャザリングの副作用です)
 ギク、シャク、ギク、シャク。
 杉浦はとてつもなくぎこちない動きで、溜池キャンパスに向かって歩き始めた。
「ククー」
 ドラゴンもなぜか、杉浦の後をついて行く。
 その場に残った全員に、一抹の不安が広がった。
「……スギウラ、ごめん。ちょっとやりすぎたのだ」
 半ば呆然とした小夜子は小さく呟き、そっとポケットの中から紙束をとりだした。
「ニューギャザリングは、ちょっとだけキケン、なのだ……、と。でもなんでドラゴンはボクのビンを、スギウラにのませられたのだ?」
 流し目藍乃はやっとドラゴンに飛ばされた痛みが引いてきたので、ボヤく魔女っ子小夜子に足を引きずりながらも冷静に突っ込んだ。
「いや君、あれは『ちょっとだけキケン』の程度じゃないでしょう。かなり危険なのではないですか?」
「……たのしいからいいのだ。もうやっちゃったし、あとへはひけないのだ。ここまでやったら、めのまえのさいごまでつっぱしるしかないのだ!」
「……そうですか。では我々も、杉浦先生について戻る事にしましょう。教導団たちが落としていった武器も、後々何かで使えるかもしれません。持っていきましょう」
 藍乃は近くに倒れてるヴァルキリーセレンを助け起こし、近くに落ちてた刀と銃の残骸を拾い始めた。
 小夜子は小夜子で、何か新しいギャザリングスープのアイデアを考えてるらしい。
 そんな彼らの真ん中では、シスコン王土も他の彼らとは全く別の事を考えていた。
『スギウラのやつ、確かに「必要経費が発生した場合は全額払う」と言ったな? と言う事は、私たちの怪我代も請求書さえ書けば全額支給されるのだな?』
 王土は全身傷だらけの自分や涙目のラスを見て、目に見えない現金を妄想しながらほくそ笑んだ。

――世界はドロドロで、醜くて、どうしようもないくらい汚い。
 だから逆に汚れなきものが、輝く希望が、ちゃんと美しく見る事ができる。
 目の前で、自分と同じ年格好の女の子が元気に頑張ってる。
 彼女のポケットには、いつも札束がたくさん。
 あたしのポケットは?
 いつもガリガリ。絵の具のカスと、大きすぎるだけの夢。
 生きるのが楽しいなんて、誰が言ったのかしら。なんだか、とてもおなかがすいたわ。
 お金なんか、この世に生まれなければ良かったのに――
……と、ベレー帽山形は燃えるヨットを前に倉庫の隅に座り込んで、ポケットに入れてた雑筆ノートにエッセイを書いていた。
「うぅむ。我ながら今日は、良いものが書けたみたいだね」
 ベレー帽山形がいる場所は、アリーナに建つ1番大きなボート格納庫。
 屋根はトライアングル構造で構えられ、ちょっとやそっとの衝撃じゃ壊れない。格納庫の中に様々な大きさのボートが置かれ、格納庫の中は一種の迷路になっていた。
 そんな迷路の中に、先ほどまで一緒だった守銭奴汀野と一緒にドラゴンを誘導した。
 美しいくらいにお互いで協力し、ドラゴンを誘導した……ところまではよかった。
 が、なぜか守銭奴汀野はドラゴンを誘導し終わった後に「山形様はちょっとここでお待ちになってて」と言って、ベレー帽山形を格納庫の隅に置きっぱなしにしてどこかに行ってしまったのだ。
「暇だねぇガブリエル」
「まったくでございますヒロ子殿」
 隣では、ミケランジェロの像みたいなガブリエルが体育座りをしていた。
 実際には、庫内は全然暇じゃないはずなのだ。
 パラミタに基礎文明が進んでないからなのか、揮発性の塗料も燃料もそんなになさそうだった。
 燃えてる大半の物は船に着いてるゴムやプラスチック、たまに何かの部材の木が燃えてるだけ。
 他に燃えてる物と言えば、ヴァンパイアフリントが火付け役に使ったレッドサファイアの小さな欠片くらいだった。
「パラミタ大陸は魔法が生きてると言うじゃないか。ならばここでは、やはり空飛ぶ大きな船が、街と街の間を結んでいるのだろうか? そうだね、きっとその船の名前は『飛空船』とでも呼ばれているのだろう。ああ、なんと不思議で美しい魔法世界!!」
 ベレー帽山形が目の前で空飛ぶ船を妄想してると格納庫の中でドラゴンが尻尾を振り、本物のボートがごく普通に空を飛んだ。
「……まったくでございますヒロ子殿」
「んもぅ、アートの精神がないドラゴンだね。……でも考えてごらんよガブリエル! あたしたちは人間以外で、自分たちのような知能を持った動物を見たことがないんだよ? この大陸では人間ではないみんなが、あたしたちには出来ないような凄いことを、まるで普通にやってる! あたしはただの人間でただの画家だけど、ほら、君は傷を治す魔法が使えたり、身体の中から武器を出したりできるじゃないか!」
 言いながらベレー帽山形が目を輝かせてガブリエルを振り返ると、向こうではヴァンパイアのフリントがドラゴンに飛びかかって牙を立てようとしていた。
 だが、ガブリエルは見てしまった。
 確かにフリントは、思い切りドラゴンに飛びついて歯を立てた。
 しかしドラゴンの鱗がガギンッ! と鈍い音を出した瞬間、フリントの声が「いでぇっ! 歯が欠けたぁっ!!」という悲鳴を放ってきたのだ。
 そして見てるとフリントはまるで滑り台のようにドラゴンの背中を滑り始め、最後は「ベチン!」と大きな音を鳴らして床に落ちた。
 正直どこの世界でも、普通は普通、間抜けは間抜けだと思う。
 ガブリエルはそんな思いは心の中だけに押しとどめ、口の上では「全くでございますヒロ子殿」と答えた。
「うひーっ! うひぃーっ! 姉さん助けてくれーっ!!」
「なによフリント様、まるで役に立たない牙ですわねっ!! ヴァンパイアの牙、本物の見かけ倒しでございましたわ!!」
「う、うるいせぇっ!! 俺がこの世で一番嫌ぇなのは、歯が立たねぇヤツと守銭奴だっ!! うわーっ!!!」
 ドラゴンが自分の足下に炎を吹き付けると、勢いで炎の一部が危険物庫の一角に入ったようだった。
 段々真っ黒な煙がドラゴンやその周りを覆い出す。とんでもなく臭くて、目にしみた。
「うわあぁぁぁぁっ! 目がぁっ!! 目がぁーっ!!!」
 船と船の間に身動きがとれないドラゴンが足踏みをする下で、まだ生きてるフリントの悲鳴が聞こえた。
「ごらんよガブリエル! フリント君が叫ぶあの言葉は、伝説の滅びの合い言葉じゃないか!!」
「いけませんヒロ子殿! ここでその冗談は、きっと冗談にはなりますまい!!」
 そうかい? とベレー帽山形がガブリエルの顔を見た時、急に大きな音を鳴らしながら格納庫の扉が素早くしまっていった。
「早くシャッターを閉めるんだおまえら! ドラゴンはあそこだ、包囲機動!!」
「ソーイチさぁん、シャッターがすごく重いよぉーっ!」
 見れば何十人もの蒼空学生が、10メートルはある分厚い鉄のシャッターを勢いよくスライドさせていた。他の武器を持った学生は、何人もドラゴンめがけて突撃している。
 突撃部隊の先頭は、銃を持ったペンギンだった。
 なかなか動きが的確でかっこいい。でも気になるのは、なぜペンギンが、アサルトカービンでドラゴンに全力射撃をしつつ、『ドラゴンはこちら』というプラカードを首にかけているのか、と言う所か。
 今度は別の非常扉が勢いよく開いて、別の生徒の集団が武器を持って突入してきた。
 先頭は、杖を構えたネクラ僧侶の向先だ。
「待たせたわね、使える生徒を連れてきたわ!」
「楊子、あまり前に出ないでください! 私が守れなくなります!!」
「うわ、うわわわぁぁっ……」
 第二突撃部隊の二番手は頬に3本ラインを引いたレナード、3番手はなぜか子供用のランスを持った名も知らぬ蒼空学生のナイトだった。
 よく見てみれば、ずっと前にトイレから向先が助け出した生徒だ。
「ここよ、ドラゴンがいるのは! この二人、思いっきり放り投げてしまいなさい!」
「わっしょーいっ!!(女子生徒一同)」
 さらに今度は裏口から、御輿を担ぐようにバイクの瀬川と教科書の染川を持った蒼空の女子生徒が突入してきた。
 二人は完全に手放し状態。煙が蔓延する格納庫の中に、二人は仰向けのまま思いきり飛ばされた。
 余談だが瀬川と染川は女生徒たちにタコ殴りを受けており、両人とも残りHPは1だ。
「ぐえっ!」
「じ、陣……煙が、ぐふぁっ!?」
 くすぶる毒煙! 二人は1のダメージを受けた!
 瀬川と染川は、ここで力尽きてしまった。
 消えゆく意識の中で、瀬川は思った。
『俺、一体なにやったんだろう?』
 身体が浮かぶような感覚。
 時間が止まり、ラッパを持った天使が舞い降りて、二人は神の光に包まれた。
 同時に二人の耳に、名も知らぬパラミタの神の言葉が聞こえる。
『望みは叶えた。いいところまできて、おいしい所は持って行けないように。望み通り、私は全力で君たちをどついたぞ……』
 神の光に包まれながら、瀬川と染川は二人で微笑んだ。
『神よ、それは少しやりすぎです……』
『そうか、正直すまんかった』
(瀬川と染川、一時的に死亡。瀬川はチェルトメイスを物理的に落とした。しばらくしたら二人は、HPが半分の状態で校門前にて復活)
 瀬川と染川が天に召されると、再び戦場の時は動き始めた。
「気をつけろみんな! こいつは悪名高き、レッサードラゴンだ! ちょうど周りの船で動けなくなってるぞ! ヤツを討って、名をあげろっ!!」
 ペンギンが号令を出すと、周りに銃座を構える蒼空学園の兵卒たちが一斉に火を噴いた。
 鼓膜をつんざくような振動と、ひどい吐き気を催す硝煙。
 紫色の硝煙と真っ黒の毒煙が混ざって、空気の淀んだ戦場はとんでもない地獄になった。
「ゴホッゴホゴホゲホーッ! だ、誰かぁ、助けてくれぇ……」
 煙の一番濃いドラゴンの足下で、またヴァンパイアのフリントが声を上げたのが聞こえた。
 声から少し離れた場所、ペンギンのすぐ近くに立つネクラ向先を火の粉から守るように3本ラインのレナードが剣を構える。
 構えながらレナードは、消えそうなヴァンパイアのフリントの声に一抹の不安を覚えた。
「楊子……」
「大丈夫、言わなくていいわ。ねぇ、小さなナイトさん! あと、そこにいるちっちゃい女の子!」
「はっ、はい!」
「ふぇ? ぼ、ボクのことですか?」
 向先はすぐ目の前で構えながら機会をうかがっている、さきほど一緒に来た名も無き3番手のナイトとホワイトローブに身を包む男の娘水上に、向先は静かに声をかけた。
「あなたたち、確か『強くなりたい』って思ってなかった? いまから少し、あたしとちょっとしたゲームをしましょう」
「は、はぁ……」
 呼ばれて向先の話を聞く二人は、同時に声を出した。
「ルールは簡単よ。勝利条件は、ドラゴンをここから追い出すか、それとも倒すか。敗北条件は、あなたたちのどちらかが死ぬか、あたしが死ぬか。あたしはこれから、ドラゴンの足下にいるヴァンパイアのフリントさんを助けに行く。ドラゴンの攻撃はあたしの相棒が守ってくれるけど、やはりヴァルキリーの彼が攻撃を受けるだけっていうのは、どう考えても無理の事なの。だからあなたがたには、ドラゴンの気を引く形で別の場所からドラゴンを攻めて欲しいの」
「ええっ!! ドラゴンをやっつけるんですか!?」
 目の前にいる男の娘の水上と小さなナイトが、また同時に叫びながら一緒に後ずさった。
 二人は大きく動揺していたが、特に小さいナイトの方が一番動揺していた。
「ぼ、僕たちだけで? 相手はレッサードラゴンですよ?」
「何を言ってるの? 攻撃隊はあなただけじゃない、兵卒たちが銃で支援してる。その中に飛び込んで、ランスを突き立てればいいだけなのよ。簡単な事じゃない」
「で、でも……」
 小さな騎士が言葉をどもらした時、不意に男の娘水上が何かの覚悟をしたような瞳を向先に向けた。
 おや? オドオドしてたあの水上が、今は何かが違う? 向先は何か水上が気になった。
「分かった! ボクやるよ! 向先さんとこの人(小さいナイト)を一緒に守る。ボクは戦場のプーリストだもの!」
「あら、偉いわね。……あなたは?」
「……!! お、女の子が行くって言って、僕だけ行かないなんて、できないですよ」
 小さなナイトは男の娘水上を見ながら言った。
 あれ? この生徒は、水上を今「女の子」と言ったぞ? もしかして、何か勘違いしてるのかな?
 一瞬で様々なことを考え抜いた向先は、自分の懐に入れてたトランプのカードを取り出して二人の前にかざした。
「君たちにはこれをあげるわ。これは、絶対に勝負で勝つ魔法のカード。これさえあれば戦いでは、絶対に負けないの。最強の願担ぎ、いるかしら?」
 言いながら向先は2枚のトランプ……ハートと、スペードのエースをそれぞれ、男の娘水上と小さなナイトに手渡した。
 カードは使い古されてるはずなのに真っ白で、まるで真新しいように綺麗だった。
 そしてとても薄く、うっとりしてしまうような不思議な光沢を出している。
「ほわぁ……」
 男の娘水上は一瞬だけ向先のカードに見とれていたが、すぐにそれを胸ポケットにしまい拳をぐっと握ってみせた。
「ボク、がんばります! ボクはおとこのこなんです!!」
「うん、がんばって」
 改めて向先にドラゴン退治を宣言する男の娘水上と、水上の言葉を聞きながら自分もカブトの隙間にカードを差し込む小さなナイト。
 しばらくしてからナイトは、一瞬だけ変な顔をした。
「えっ、おとこのこ……?」
 ナイトの言葉を知ってか知らずか、水上は「がんばるぞぉ!」と言って銃弾と共に暴れるドラゴンの元に向かった。
 その後を慌ててナイトが追いかけるが、その後ろ姿をネクラ向先と3本線レナードは心に含みを持たせながら見守った。
「楊子。あのカードは、楊子のお守りなんじゃ……」
「ええそうよ。何か変だったかしら?」
「いや。もし本当に必勝のお守りにしてるのなら、わざわざ他人に持たせなくても……」
「レナードは勉強不足ね。あたしの必勝のカードは、52枚に2枚足した数だけあるの。必勝のカードがたった2枚じゃ、本当のゲームで勝てないじゃない?」
 必勝のカードが54枚? それはいかさまじゃないか。
 レナードは自分の主人を、ほんの一瞬だけ疑った。しかしついこの前まで向先が下界の暗い街を逃げ回っていた姿を思い出し、疑う心を訂正した。
 初めて会ったのは、どこかの川辺だった記憶がある。
 殴られた痕、傷だらけの服。あまり高級でない何かを腕に抱え、ボーッと向こうを見続けてた。
 必死に生きて、罪を犯し、それでも世界はめのまえの小さな子を押しつぶそうとする。
 そうだ、向先はこういう人間だったんだ。
『これはまたいつか、ちゃんとお説教してあげなければな……』
 赤、緑、白の3本の線を飾ったレナードの頬が、少しだけ苦笑いした。

 激しい銃火の前に、さすがのドラゴンの鱗もボロボロだった。
 さらわれた我が子を救わんと足跡のにおいを追い、やっと突き止めた建物。
 そこでわが子を捜していたら、いつの間にか今まで餌としか思ってなかった動物に殺されそうになっている。
 ドラゴンは、すでに瀕死だった。
「グゥ、ガァァァッ……!!」
 死にものぐるいで動こうとすると、周りの障害物が邪魔になる。
 炎を吐けば、自分のすぐ近くにも炎が広がる。
 激しい銃撃。見ればドラゴンの胸元は、怒り狂ったように真っ赤に燃えていた。
「げほーっ! ごほごほごほ……助けてくれぇーっ!!」
 ドラゴンの足下に、頼りなげなヴァンパイアの声が聞こえた。守銭奴汀野のシモベ、フリントだ。
「ごほっ、目が見えないぃぃ。姉さーぁぁん……」
 ドラゴンは声の有る無しに関わらず、煙の噴く先でも所かまわず火を吐き続けた。
 同時に、素早く足も動かす。
 しかし格納庫の中で暴れるドラゴンの足は、いかに人を狩る俊足の持ち主であっても、すべて人間の頭にはかなわなかった。
 その知識は、足下にしがみつくフリントも同じだった。
『足を殺された大型動物は、足下が弱点』
 これが、ドラゴン捕獲計画を立てた汀野の結論だ。
 だがこの知恵は、犬並みの知識しかない怒るドラゴンには理解できなかった。
「フリントさん! がんばって、今行きます! あれ、汀野さん!?」
「おーほほほ! 向先様、調子はいかがでらっしゃいます?」
 知識と計略をすべて金儲けに廻した結果、汀野は生きてるドラゴンの鱗や身体の一部を拾い集めるのに必死だった。防毒マスク付きで。
「突撃します! ソーイチ(ペンギンの名前)さんっ!」
「分かった、やるなら全力だぞ!? 荒事は俺たちに任せろ! 射手は間隔を詰めて火力を集中セヨ、てえーっ!!」
 黄色い閃光弾が突撃隊を覆う黒い煙を突き破る中、ドラゴンの炎が赤から蒼に変わった。
 ドラゴンの無限に近いSPが尽きる時、それはドラゴン自身の『死』を意味する。
 ドラゴンは空のSPを絞り出すように、最後の「蒼い炎」を吐き出していた。
 死ぬ。
 目の前は煙で学生たちは何も見えてなかったが、ドラゴンには何もかもがよく分かっていた。
『このまま、死んでたまるものか!!』
 ドラゴンは最後まで残していたSPを0に換え、代わりに激しい銃弾の雨の中でに小さく丸まった。
「うぎゃあーっ! つぶれる! つぶれるーげほげほげほっ!!」
 ドラゴンの足下で、ヴァンパイアのフリントが叫ぶ。
 ドラゴン最期の呪文。それは、周囲数十キロを無に帰す炸爆の呪文だ。
 唱える呪文に、言葉はいらない。あとは、体内の融合袋が破裂するだけだ。
 段々意識がぼやけ、眠くなってくる。
 近づくものは、しっぽで振り払うだけでいい。
 全身が青色に光りはじめる中、ドラゴンの動きは徐々に緩慢になっていった。

「ごらんよガブリエル! 微かに光って見える、あれは破滅の光じゃないか!!」
「いけませんヒロ子(ベレー帽山形の名前)殿! そのようなお戯れをこの世界で言ってしまっては!!」
 一人格納庫の隅でウズウズわくわくしているベレー帽山形は、声にしてない言葉で「ある言葉」を呟いていた。
「……!」
「ヒロ子殿?」
「……!!」
「まっ、まさかヒロ子殿!?」
「……バルースッ!! ああ、なんと無慈悲で罪深い言葉!! 世界中で戦う全ての戦士は、世界の終焉を告げるラッパと共に皆、永遠のヴァルハラに導かれるのね!!」
 ベレー帽山形がまさかの言葉を唱えた時、ドラゴンの尻尾が自身の近づく突撃隊を振り払った。
 まるで塵のように振り払われる突撃隊。中には、ネクラの向先や守銭奴汀野、他に小さなナイトも一緒だ。
「見ろ! 人がゴミのようじゃないかガブリエル!!」
「ま、まったくでご……ございませんヒロ子殿!!」
 どんどんとドラゴンの身体を覆う光が強くなっていく。
 と、その時。別方向にある鉄扉が勢いよく開き、新手の集団がやってきた。
「双方剣を引けーっ!! その戦い、勝負を付けてはいかーんっ!!」(王土の声)
「ドラゴン! おまえが探す子供を見つけてきた!! これ以上戦うのはやめるんだ!」(藍乃の声)
「いいえ、友愛です」(スギウラ)
「!!」(全員の心の声)
 集団の中で異彩を放つグリーン杉浦の言葉があってかどうかは分からないが、その後ろでは一匹のドラゴンの子供……ドラゴンパピーが、心配そうな声で鳴いていた。
「クー! ククー!!」
 聞き慣れた声。自分が大切に思っていた、探していた我が子。
 たった今我が子が、傷つきうずくまる自分の元に返ってきた!
 ドラゴンの意識はトロンとしながらも、踏み出そうとしていた自爆スキルをキャンセルした。
 急激に光が引いていく。
 ドラゴンの足下では、ヴァンパイアフリントに被さって守ろうとしてる水上の姿があった。
※(瀬川の帰還)
「あ、あたたたた……あれ? 俺ってば、いつの間にこんな所に?」
 神様の元へと旅だった後(1ターンがたった後)、バイクヒーロー瀬川と教科書染川の二人は校門の前に寝ころんでいた。
「おいっ染川……染川ってば、起きろっ!」
「う、ん……あと、5分……」
「バカ言ってんじゃねーって。いーからさっさと起きねーかよっ」
「……あ、陣。おはようございます。今日は、ずいぶんと変な夢を見ました。体中が、痛いです」
「そりゃ俺も同じだって。なんてったって女子数十人にボッコボコにされたんだもんな」
「……陣もそうだったんですか? 奇遇ですね、わたしも同じ夢です」
 染川は殴られた跡の残ってる自分の身体を見回しながら、「リアルでした」と言って小さなため息をついた。
 皮膚が紫色に鬱血している。しびれるような痛みもあって、妙にリアルな夢だ。
「あー、夢であってもらいたいような、夢じゃない方が良かったような。……今何時?」
「時計なんか無いですけど、もう夕方ですよ」
「うっわ、初日から最悪。っつーか俺、今日何してたんだろ?(注:何もしてません)」
 言いながら瀬川は立ち上がりながら、ポンポンと体中に付いた土埃を払った。
 様々な事が頭をよぎり、ちょっと頭がクラクラする。
 初登校でウキウキなはずの今日が、いきなり最悪な目覚めで始まった。
 これもそれも全部、最初の拾いネコのせいだっ! ……チクショウ。

 キャンパスの中は未だに大騒ぎだった。
 半壊の校舎。燃え残りのアリーナ。生徒たちは教師の指示に従いに材木を運び、一部はけが人の手当をしている。
 けが人を治している集団の中心人物は、マジックワンドでホーリーを振う男の娘の水上だった。
 脇にはなぜか『衛生隊はこちら』のプレートを首にかけたペンギンが立っている。
「……はいっ、これで治りましたよ!」
「……んあ、あんがと。嬢ちゃんのホーリーは、なんだか眠くなってくるなぁ」
 嬢ちゃんと呼ばれた水上は残り少ないSPを駆使して、何とかけが人の治療に専念しているらしい。
 ちなみに今治療を受けてるのは、守銭奴汀野の従者のフリント。水上に煙の中から光学迷彩で助け出されてから、髪型はチリヂリのアフロのまま治ってないらしい。
 一方緊急連絡用に設けられてる野外連絡機に向かって、大きく荒い声を叫んでる者もいた。傷ついた妹、ラスと自分たちの損害賠償を本校に掛け合ってるシスコン王土だ。
 後ろにはすでに小さな列が出来ており、その中には流し目の藍乃たちの姿もあった。
「ああっ!? であるからしても何もないであろう! 我々は教導団の生徒にやられたのだ! 証拠? やつらの持ってた武器が残してある! 武器には紋章は入ってないが、明らかに手入れされてて……あっ、コノヤロウ話の途中で切りやがった!!」
 シスコン王土が電話口から離れると、その後ろ姿を見ながら流し目の藍乃は小さく「交渉が下手だな……」とボソッと呟いた。その手にはなぜか、教導団本校に直通の連作先メモが持たれてる。
 しかし別の場所は、もっとカオスだった。
 汀野は様々な商売をするために風呂敷を広げており、怪しげな商品が並ぶその隣では燃える学園を背景に、ミケランジェロよろしく立っているガブリエルをデッサンするベレー帽山形がいた。
「はいはーい、汀野さん特性の傷によく効く薬、この機会に是非いかがかしらー」
「うーむ、この戦い終わった後の男の癒えない傷、いいね」
「あら、ドラゴンの鱗に目がいくとはお客さんも良い目を持ってらっしゃる! じゃあ少しお勉強して、これくらい、でよろしゅうございましょうか?」
「うん、ツバメも飛ばぬ戦場の跡。この一瞬をキャンパスに入れるには、例え1000万パラミタドルあっても全然払いきれないだろうね!」
 どちらかが何かを言うと、そのたびに片方が相反する言葉を呟く。
 お互いがお互いに逆の言葉を言っては、にらみ合い、結局最後は「フンッ」と言ってお互いそっぽを向きあった。
 また別の所では、「遺失物保管係」の看板を持っている杉浦が積まれた忘れ物を足下に置いてモヘーっとしていた。
 杉浦は、何事もなかったかのように最初に着ていた執事服を着ている。乱れたYシャツもギャザリングの副作用の雰囲気もない。もちろん白い革命ヘルメットも『今は』被っていない。
 その隣には退屈そうな魔女っ子小夜子と一緒に、ドラゴンパピーとドラゴンの親子も一緒に地面でゆっくりしていた。
「あー、生徒たちにこんなに任せちゃっていいのかねぇ?」
「とーぜんだ、スギウラ。それがセンセイ、ってやつなんだろう?」
「でもなぁ、なーんか納得できないんだよねぇ。俺は別に何もした覚えはないんだよね、普通に動いてたらいつの間にか身体が勝手に動いてさ。意識はあったけど、俺は何もした覚えはないんだよねぇ。まぁ、いつの間にか大変な事になってたらしいけど」
『かってに、ねぇ』
 杉浦のため息混じりの言葉に、ソレとはまた別に小夜子もまた別のため息をついた。
 たしかに一緒に遊んでて楽しかったが、それ以上に小夜子は杉浦についてくのが大変だったのだ。
 だが、結果として小夜子は楽しかった。100年生きてて片手の指に入るくらいの楽しさだったかもしれない。
『やりたい事はいっぱいあっても、全部を楽しむのは意外と難しいんだぞっ。まぁ、私は楽しかったけどサ』
 小夜子の頭の中に、急に漢字の使われた文字がポンポンと出てきた。
 まるで赤の他人が、小夜子の頭に言葉を送っているみたいだ。
 小夜子は漢字がいっぱい出てきた自分に一瞬だけ違和感を覚えたが、それも目の前に疲労困憊の瀬川がやってきたのですぐに忘れてしまった。
「す、杉浦センセ」
「うん? ああ、瀬川クンじゃないか。どうしたのかな、しばらく見えなかったけど?」
 校門から歩いてきた瀬川は、今まで起こった事を目の前に座ってる杉浦に話そうと思い、すぐにやめた。
 相手は『あの』グリーン杉浦だ。フラインググライダーに乗って俺にパンプキンボムを投げてきた、悪のヒーローだ。
 そんな悪役に、正義のヒーローの『俺』がやられた事を教えてたまるかよ。
 何も考えてなさそうな杉浦の笑顔に、結局瀬川は「やっぱ何でもないわ」という答えを返す事にした。
 隠し事を心に決めた瀬川の表情が、一瞬だけ小さく曇る。そんな若干の変化を、30歳の講師杉浦は敏感に感じ取った。
 どうやらこの生徒は、教師に本音を言わないらしい。
 杉浦は杉浦で瀬川と違う事を考え、ちょっとだけ悲しそうな顔をした。
 二人の間に、微妙な溝が浮かび上がる。
 断るが、二人の感じてる溝は完全にベクトルが間違ってる『勘違い』である事をご了承いただきたい。
「そういやセンセ、俺が落としたチェストメイル知らない?」
「……んー? ああ、これの事かい? ほら、もう落としちゃいけないぞー」
 一瞬だけ考え事をしてた杉浦は瀬川の言葉に一瞬遅れたが、すぐに落とし物の山の中から一つの鎖鎧を掘り起こしてくれた。
 瀬川に手渡しでチェストメイルが渡される。
 すると二人の動作に反応するように、ドラゴンパピー(ドラゴンの子供)が鳴きだした。
「クー! ククーク! クゥー!」
「おお? おまえ、あの時のドラゴンじゃないか。何でこんな所にいるんだ?」
「がお」
 瀬川がチェストメイルを持った手でドラゴンの頭を撫でようとすると、ドラゴンはまるで「この服は自分のだ!」とでも言うように瀬川のチェストメイルに噛みついた。
 グイグイグイッ。
 ドラゴンパピーがメイルを引っ張る。ジャラジャラと鎧がドラゴンの犬歯の中で音を鳴らすが、なんだかそれがドラゴンの何かの愛情表現みたいだった。
「お、おいおい! これは俺の鎧だゾ、こんなの食ったっておいしくないんだって! っつか、俺はあのミルク以外食えるモンなんか持ってないんだって! おーいっ、ドラゴン君ー……」
「ん? なんだ、オマエはこのドラゴンになにかあげたのか?」
 隣で親ドラゴンと二人の一部始終を見ていた魔女っ子小夜子は、自分の鎧をドラゴンに盗られそうな瀬川の言葉に一瞬の『変』を感じた。
 鎖鎧を引っ張る瀬川のポケットに、紅い夕日を光らせるスキットルが覗く。
 赤と銀色が綺麗に光って、小夜子は「ああ、このドラゴンは瀬川にミルクを飲ませてもらったのを覚えてたのか」と察した。そして数秒後に「ははぁ、だからドラゴンもスギウラに……」と、一瞬でドラゴンの観察力の凄さを見抜いた。
 ドラゴンは瀬川に、スキットルを使っておいしいミルクを飲ませてもらった。
 ドラゴンはここで「入れ物を使って中身を飲ませれば、相手は元気になる」と学習したのだろう。
 だから(瀕死に見えた)杉浦に、ドラゴンは小夜子のギャザリングのビンを飲ませた。
 中々頭の良いドラゴンに、なぜか瀬川はなけなしの初期装備を盗られそうになってる。
 本人は必死みたいだが、見てる分には結構平和的だ。
 小夜子はそんな二人の姿に、小さく微笑んだ。
『心閉ざす生徒が、唯一心を開くドラゴンの子供。ああ、なんて平和な世界なんだろう……』
 それとはまた別の方角から瀬川達を見守る(さっきまで激しかった)杉浦も、隣に立つ小夜子と一緒に微笑んだ。教師と魔女っ子、やってる事は違えども、平和を想う心は一緒なのだ。
 そんな平和的な杉浦たちのすぐ近くに、なにやら怪しい顔をした一人の女が一人の従者を従え抜き足差し足と忍び寄ってきていた。
「な、なぁ姉さんよぉ。生きたドラゴンから鱗を引っぺがすなんて、ンなのぜってー無理だって……」
「しっ! おだまりなさい、へたれバンパイア! いくらアナタ様の牙と根性が見かけ倒しでも、わたくしのダガーは札束200枚を貫けるくらい鋭いのよっ! ドラゴンの鱗くらい、簡単にはぎ取ってごらんにいれますわ!」
 へたれバンパイア……フリントの引け腰の姿に、守銭奴汀野はキッと鋭い視線を刺した。
 汀野が懐からリターニングダガーを抜いて用意してると、急に前方にいる瀬川たちの集団が騒ぎ始めた。どうやらドラゴンパピーが瀬川の鎖鎧を奪って走り出したようだった。
 慌てて瀬川が追いかける。その後ろ姿を追うように、親ドラゴンも首の先を持ち上げた。
『今よっ!!』
 汀野が親ドラゴンの首元に飛びかかり、極上の鱗と呼ばれる逆鱗に触れようとした瞬間……親ドラゴンは反射的に、ダガーを構えてる汀野を前足でガッチリ掴んでしまった。
 驚いたのは汀野だけではない。親ドラゴンも自分が何を掴んでるのか分からず、一瞬自分の前足と我が子のドラゴンパピーの両方を見比べた。
 しかしドラゴンは何を思ったのか汀野を爪に掴んだまま、我が子を追うように翼を広げて空へ飛び立ってしまった。
 ドラゴンも、意外とパニック感情があるみたいだ。
「ほーっほっほっほ! フリント様! わたくし、遂にドラゴンを捕まえましたわぁーっ!」
「ね、姉さぁーん! それは捕まえたというより、捕まえ、られ、た……ん、じゃないかって思うケド、なぁ……?」
 フリントは、あっけにとられて空を見つめた。
 空に、大きなドラゴンが飛ぶ。
 溜池キャンパスの生徒も、空を見上げる。
 紅い夕日の見える世界は、今日も平和な一日だった。

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