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地球は夜回っている

子供の頃、「地球が回っている」と聞いて、まったく信じられませんでした。
「だって地球が回っているなら、いつも揺れてるはずでしょう?」と思ったのです。

でも、ある晩、夜中にトイレに起きた時のこと。
布団から出て立ち上がった時、起き抜けで平衡感覚が狂い、足元がふらつきました。
そしてその時、幼いわたしは確信したのです。

「ああ! 地球は、回っているんだ!」

と。
私たちが寝静まった夜のうちに、こっそり地球は動いているんだ、だから一瞬ふらついたんだ、と。
しばらくの間、それで納得していた子供の頃のわたし。

その話を姉にしたところ、失笑しながらも自分も似たような経験があると言います。
姉の場合は、テレビの映像でした。
ある時、アニメ番組を見ていたら、丸い地球の海の上に船が浮かんでいる画像が映ったそうです。
「地球が回っている」と耳にした姉はその画面を見て、

「ああ! 船が海を渡って外国に行けるのは、地球が回っているからだ!」

と納得したそうです。
要するに、地球が回るので、船は海に浮かんでいるだけで別の場所へ移動できる、というわけ。

姉妹そろって、かなりズレた発想。
間違っているし、勘違いもいいとこです。
けれども、「地球が回っている」という信じがたい情報を受け入れるために、子供ながらに一生懸命考えたんだと思います。
「地球が回っている」という「答え」を前に、納得できる理由や例を、何とかして探そうとしていました。
たとえ間違った頓珍漢なお恥ずかしい発想でも、ものすごく自由に脳ミソを働かせていると思いませんか?

さて、大人になった現在はどうでしょう。
いまだに地球が回る仕組みはよく理解できていませんし、天体の不思議から世界経済にいたるまで、世の中の仕組みはぜんぜんわからないままです。
でも、大人になると「そういうもの」として、思考停止。
自ら納得できる理由や具体例なんて、考えようとはしなくなってしまいました。
「そういうもの」=「答え」だけを知識として集めて、わかったような気でいたりします。

子供の頃は、知らないことや不思議なことがたくさんあって、「なぜだろう」「どうしてだろう」という気持ちでいっぱいだったのに。
たくさんの「答え」を集めることよりも、この「なぜだろう」「どうしてだろう」から生まれる自由な発想の方が、ずっと大事なもののような気がします。
だって、そんな時、脳ミソがすごく柔らかく動いている気がするんです。

知識を語る話よりも、自分の体験から独自の発想を語る話の方が面白いし、何よりそんな語り手は、生き生きと魅力的に見えるものです。
たとえそれが、勘違いや間違いや空想の世界であっても。

それでは、大人の皆様に提案です。
珈琲を飲みながら、
「地球は本当に回っているのか」
「宇宙人や妖精や幽霊はいるのか」
「風が吹き、木々が揺れ、鳥がさえずるのはなぜか」
「恋はなぜ切ないのか」
「言葉は軽い想いを簡単に届けるのに、どうして重く深い気持ちほど伝えられないのか」

などなどなど、自由に脳ミソを動かして考えてみませんか?
たくさん集めた知識も、日々の懸案事項も、ちょっと忘れて。
正解なんてないし、あったとしても答えなんてどうだっていいんです。
独りで思いを巡らすのも、居合わせた誰かと語り合うのもいいですね。
わずかな時間でいいのです。

カフェって、そんな風に自由な発想を忘れてしまった大人が、子どもの心を思い出す場所でもあると思います。
できれば高原の森の中の当店へお越しいただきたいけれど、どこのお店でも、ご自宅でも、きっと大丈夫。
ほんのひと時の珈琲時間は、疲れた大人たちを子供の発想の世界に連れて行ってくれると思います。
「そんな呑気なことしてられない」という時ほど、ちょっとした魔法の時間をぜひ試して、重い荷物やがんじがらめの鎧から自分を解放してみてくださいね。

わたしも夜ごと足が攣る一年で一番の繁忙期ですが、「地球は夜回っている」説について、もう一度考えようと思います。

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