takk!を作って気づいた違和感と頼みごとボックスの使い方
ちょっと前にtwitterで流れてきて目に留まった『頼みごとボックス』の文字
5月の半ばくらいかなぁ。
『takk! 頼みごとボックス』
がTwitterで流れてきた。
登録してみるとほんとにシンプル
あっという間に設定完了
twitterでシェアするとこんな感じ
頼みごと、をオートマチックで書いてしまった時に感じた違和感
最初の頼みごとボックスに記入した時
なにも考えず普通に普段のサービス内容を書いてました。
それで、一度アップしてみる。
なんだろうこの違和感。
なんかもやもやする。
頼みごとを、できることをリストにして
わかりやすく視覚化してくれる
スペック的にはココナラみたいに思えるけど。
そう思って頼みごとボックスに書いたらすっきりしない
ちょっと調べてみよう。
するとこんなnoteがあった。
takk!を作った橋本真理さんのnote。
その中にこんな一節があって
サービスづくりに限らず、私たちはなぜこんなにも、悪い人を見分けて排除するために力を使っているんだろう。そう考えたときに、「私たちは傷ついているんだ」ということに気付きます
もう一節
実際にはほとんどの人がいい人なのに、1回傷ついた体験が苦しかったから「絶対に傷つかない方法」を探してしまう。そうすることで、いい人との関わりの可能性まで閉ざしてしまうことのいかに多いことか。
おまけにもう1節
「私に何ができるかな?」「こんなことできるよ」という発信は、そうした傷つきを受容したうえで発する「私は世界を信頼しているよ」「私に話しかけてくれていいよ」というステートメントです。
最初の頼みごとボックスを作った時に気づいた違和感の正体は完全にはわからないけど
今までやってきたこととか、マーケティングとかいったん横においておいて
もうちょっと素直な心に寄り添っていいのかなー
と思えた。
なので頼みごとボックスに
・カフェを始めたいのでとりあえず相談したい
追加した。
ちょっとだけすっきり。
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