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にっこり笑ってフリージャズ その20

9月9日ということで、阿部薫本(文遊社 2020年)のために書いた没原稿を載せます。あまりに極私的な内容になってしまい「一応お送りしますが掲載しなくて結構です」と編集者に伝え、その通りに不採用となりました。元原稿を一部手直ししてありますが、ご了承ください。

1997年春、書籍の活動記録で知っていた1971年の演奏が突然CD化された。『阿部薫 1971』三部作。リーフレットには東北の仙台、一関、秋田、それぞれの場所での演奏に至る経緯などが克明に記されている。
仙台は10月31日で、CDタイトルは『アカシアの雨がやむとき』。この日は日曜日で、東北大学大学祭の期間中だったという。2週間後の11月14日には、のちに私がアルバイトし大学を中退して勤務することになるジャズ喫茶が開店する。演奏会場の東北大学教養部教室とは川内キャンパスのどこだろう。
沖縄「返還」前で学生運動が盛り上がった時期、前述の11月14日には仙台市内で二千人を越える激しいデモがあった。翌年の国立大学学費値上げ(月額1000円が3倍に)発表への反発もあり全共闘系の運動が激しくなる一方で、党派闘争も始まる。翌年1月にはストライキ中の教養部講義棟で一部党派がバリケードを築き、3月に機動隊が導入され学生は期末試験ボイコットで対抗し留年率7割、という顛末。そんな時代。
教養部2年生だった私はその10月末の日曜日には大学の学祭には行っていないはず、日共=民青系の大学祭には興味なかったので。ジャズ研でギターを弾いていた同期の友人が、講義棟の中庭で教養部ストライキ・ライヴをやったのはこの頃だったはず、でも記憶は曖昧なまま。
入学して間もなくジャズ喫茶に通い、フリージャズも聴いてはいたが山下洋輔ぐらい、「阿部薫」という名を知っていたかどうか。学内の政治ビラに紛れて大学祭ライヴのチラシが貼ってあったのだろうか。当時の仙台にジャズ喫茶は4、5軒ほど、主催者はチラシを置きに行ったのだろうか。授業をボイコットしてクラス討論、ビラまき。放課後には集会や街頭デモ。そんな当時の大学祭でこのような演奏があったと知った時には驚いた。
この演奏の2年後に「インスピレーション&パワー in 仙台」なるコンサートがあり、初めて生で聴いた阿部薫のアルトサックス・ソロは「激しいけれど意外に音がきれい」という程度の記憶しかない。残念ながら。終了後には私の働いているジャズ喫茶に出演者が来店、すでに伝説の人であった阿部薫本人は寡黙な人だった。
あの日、CD化された演奏の現場に私が居たらどう受け止めただろう。音に入り込むのか、拒絶するのか、音楽に奥手だった私には手に負えず理解不能だったか。そして50年ちかい時を経たいま。細々と鍛え続けた私の耳に、その録音は強靭かつ繊細な想いを優しく丁寧に伝えてくれる。ヒリヒリと生々しく。その後も次々と世に出ている未発表録音と同じように。

というのが没原稿でございます。この1971年のライヴを主催したOさんとは何度かお会いしていますが、天才や猛者がずらりと揃っていた一学年上の先輩でした。
※当時の東北大学は、はじめの2年間「教養部」として川内キャンパスで基礎学問を学び、3年生からはそれぞれの学部に移って、というシステムでした。教養部という学部がある訳ではありませんが、他の学部の友人もできて有意義な時期を過ごせました。ま、中退しましたけれど。

阿部薫没後44年

締めには原稿で取り上げたCDの演奏を


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