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にっこり笑ってフリージャズ その11


はじまりのライヴ・ライヴのおわり

ジャズ喫茶アヴァンの従業員時代はさまざまな店内ライヴを経験しました。そして1987年に初代マスター森健二郎さんに請われてアヴァン二代目に。レコードやCDは「ジャズ」にこだわらず、どちらかというとフリージャズ〜オルタナ系の選曲が多い店になりました。そして開店2年目にして初めての店内ライヴを催すことになります。宮城県出身(鳴子温泉川渡生まれ、仙台育ち)の梅津和時さんのツアーだったのですが、なんとまあ、シカゴAACMトロンボーン奏者、ジョージ・ルイスさん、スケルトン・クルーのチェリスト、トム・コラさん、のトリオ。

「明るい世紀末を迎えるために」1989年3月4日

(ライヴタイトル命名の理由は不明です、まあなんとなく)

これが私個人のライヴ主催第一回目でした。ちなみに著作権に気を使いすぎ、写真や録音など一切なし。勿体ないことをしました。アルバムジャケットなどで写真を見ていたジョージ・ルイスさんが太っていてびっくりした思い出が。

友人との共同主催はそれ以前にもありました。アヴァンを辞めて少し経った頃です。「にっこり笑ってフリージャズ はじめに」冒頭の画像は1983年10月30日、仙台市歯科医師会館ホールでの、どくとる梅津バンド(D.U.B.)のポスター。発売されたばかりのアルバム『ダイナマイト』販促ポスターを流用したものです。前座に出演した「てんからバンド」というのは、高木元輝 ソプラノサックス 安斉久 ベース の2人。実はその年に結婚したベーシストの安斉さん夫婦と私の夫婦が(結婚記念という名目で)共同主催したもの。「てんから」は安斉さんが当時経営していた居酒屋の屋号、「てんから」は宮城県で毛鉤のことです。釣り好きだった安斉さんらしいですね。主催は「安斉音楽事務所」名義。このコンサートでの高木さんはソプラノサックスだけ演奏しましたが何故か不調で、終演後に声をかけにくかったのを覚えています。

そしてアヴァンを自営しはじめた私はどんどんライヴをやっていきます。東京から呼ぶのは梅津和時さんを主に。月に一度の地元ミュージシャン・ライヴも始めましたが、こちらは4ビートのまじめな(?)ジャズを主体に。梅津さんは、トム・コラ、サム・ベネットとの「サードパースン」やウェイン・ホ―ヴィッツとサム・ベネットとのトリオ、ネッド・ローゼンバーグとのデュオをはじめ、D.U.B.(ドラムスだけ地元の熊谷清記)やシャクシャイン(ヤヒロトモヒロの代わりに金大煥が参加)、仙台のミュージシャンとのセッションを2回、など何度も来てもらいました。

そして1997年にアヴァンを閉め、しばらくはおとなしくしていたのですが、2001年に年下の友人と共同で企画をしました。ペルフル(Pere_Furu)勝井祐二・鬼怒無月デュオ。会場は仙台のブルース・シーンの拠点であるHEAVEN、これは良い条件の店が他になかったからだと思いますが。

言い出しっぺの共同主催Tくんがデザインしたチラシです。当時は「Pere_Fure」という表記でした。

連絡先が「UNDERGROUND CHILDREN」とあるのは、灰野敬二仙台ファンクラブというか灰野さんを仙台に呼ぶ団体の名称を拝借したのでしょう。私の店をずっと手伝ってくれていたIさん、灰野フリークのIくん、そしてTくん、その頃はメンバーが3人だったようです。そういえばTくんは「法政を辞めて仙台に行く奴がいるからよろしく」と前述のIさんに灰野さんから連絡があり、どんなヤバい人が来るのかと私たちをビビらせた過去があるのでした。

上のチラシには「何か文章を書いてください」とTくんに言われて書いた言葉遊びのひらがな文が載っています、ファンタジー風。

アヴァンを閉じてから、あちこちのコンサートやライヴの手伝いをやっていましたが、自分でも企画やツアー便乗のライヴなどを主催するようになりました。店をやっていた時よりも本数がずっと多くなっていきます、記録をきちんととっていませんが。しかし2000年代半ばを過ぎると親の介護という問題がおきてきて2008年春に休止します。たしか片山広明『Dust Off』カルテット(片山広明・立花秀樹・不破大輔・磯部潤)の仙台2デイズが最後でした。

それ以降は渋さ知らズをはじめ、いろいろなコンサートやライヴの手伝いをやりましたが、親が年老いて介護が必要な状況で自分が主催して、いざとなったら「ドタキャン」という訳にもいかず、裏方に徹して動いていました。が、2013年の暮れに梅津さんから連絡があり、年明けに仙台に帰省するので地元の人たちと共演したい、と。2011年の震災後に梅津さんが一人で仙台に来て地元ミュージシャンと共演する、というライヴがあったのですが、貧弱な音楽内容の地元勢を見て愕然としたものです。そんな事もあり、企画だけでも私が担当しようと動いて翌2014年1月4日にライヴが決まりました。主催もなんとなく私になってしまいましたが。

この頃は私の父の容態が悪く、医者に「年末年始は危ないかも」と言われていたので、念のために会場の店に必要なギャラを預けて大晦日に帰省し、新年3日に仙台に戻ってきました(幸い父は生き延び、その年の7月に92歳で亡くなりました)。そんな事情で私の企画・主催の最後のライヴはこの時になります。

○当日のセットリスト
梅津和時+菊地淳グループ
「Pop Up」(早川岳晴)
「1970」(梅津和時)
「ヴェトナミーズ・ゴスペル」(梅津和時)
「ウェスタン・ピカロ」(梅津和時)

梅津和時+インプロ・ジャム・バンド
「即興1」
「即興2」
「西日のあたる部屋」(梅津和時)

梅津和時ソロ
「Lover Man」(Jimmy Davis、Roger Ram Ramirez、Jimmy Sherman)
「東北」(作詞:おおたか静流 作曲:梅津和時)
「Not So Long Don」(梅津和時)

アンコール(梅津+井上 ds. 門脇 ds.)
「ハヴァ・ナギラ」(trad.)

今回の締めは、その2014年1月4日。仙台市サテンドール2000での梅津和時+インプロ・ジャム・バンドの動画を。仙台での即興系(不思議系?)ライヴとしてはかなり面白い内容だと思いますが。


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