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「俳優が演じること」とは?...イラン映画『マリア』

【ちょっとネタバレ】
この映画は、28歳のメヘディ・アスガリ・アズガディ監督のデビュー作だが、なんとも老練さを感じさせる作品。他民族国家イランの複雑な社会状況を背景にした、凝ったつくりになっている。ちょっと遠回りのような気もするが、映画の根幹ともいえるので、イランを構成するひとつの民族の話からはじめたい。

イランはイスラム教の中で少数派の宗派、シーア派が多数を占める国。1979年のイスラム革命で樹立された政府もシーア派指導者が中核となった政治体制だ。

民族的にいうと、多数派のペルシャ人はシーア派。少数派のスンニ派(イスラム教全体では多数派)の民族もいくつかあり、そのひとつが、この作品で重要なカギになっているバルーチ人だ。

イランの南東部からパキスタン、アフガニスタンにかけて広がる乾燥地帯「バルーチスタン」に暮らす人々で、この3つの国ではいずれもマイノリティの存在だ。

特にイランでは、シーア派体制にしばしば反旗をひるがえしてきた異宗派のひとつ。イランの現イスラム体制にとって「まつろわぬ民」といった位置づけと言ってもいいかも知れない。

前置きがやや長くなったが、この作品に登場するバルーチ人たちはどんな人々か。元々イランのバルーチスタンに暮らしていたが、飢饉が発生したことから首都テヘランに集落ごと移住してきた、と説明される。伝統的な民族衣装を身につけ、都会に出てきても、強固な地縁・血縁の共同体を維持している。

ここからが、ちょっとネタバレ。そのバルーチ共同体出身で、ある映画の主役に抜擢された女優が、売春婦役を演じ、そのシーンの動画が流出してしまったことで、超保守的な共同体で大きな問題になってしまう。バルーチ人の長老でもある父親は「それが演技だろうがなかろうが関係ない」と言い切る。一族の名誉を汚した、という意味ではなんら変わらない、ということだろう。

スキャンダル沙汰になり、失踪してしまった女優の真意を探ろうとする映画監督。新婚ほやほやで結婚相手は、失踪した女優の代役になった女優というややこしい構図だ。

これ以上の説明は完全ネタバレにつながるので自制したいが、この作品のテーマは「映画とは、演じるとは何か」という、一種の映画論にあるように感じた。

俳優は、演技は演技として、人間とは全く異なる人物を演じる。優れた俳優であればあるほど、役になりきり、リアルに演じる。ただ、現実には、そうした架空を現実と取り違える人々もいる。イランでも、日本でも、そうした人たちはいるだろう。
そういう事態に陥った時に、俳優は何を考え、どう行動するか。俳優が引き受けなければならないこうした難題を、観客にも問いかけた作品といえる。

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