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遠征と不意の「はじめて」のワクワクを浦和と共に味わう幸福

都内某所に生まれ育ったわたしは,
生来の気質か,あるいは早生まれのせいか,
スポーツは全般的に不得手の,基本インドア派.

「典型的な都会育ち」と,環境のせいにでもしておこうか,
普段身体を動かせる空間が近所にあまりないこともあって,
親に言われるまま,水泳やテニスの教室には通ったものの,
自発的にやるには,いまいち気乗りがしなかった.

運動神経はなくても4年に一度のオリンピックは楽しみなイベント,
そして夕食時のテレビには野球中心のスポーツ中継が流れていた.
近鉄の伝説のダブルヘッダー,さらに元号を跨いだ歴史的な優勝が
今でも強い記憶に残っているような学生時代を過ごし,
一流選手達が競うTVでのスポーツ観戦は好きな人間が醸成された.

そして,平和な日本ではあったけれど,
時代が,世界が,国家が揺れ動いた昭和末期の幼い自分に,
ワールドカップという存在を教えてくれ,
視線の先に世界を感じさせてくれた存在がキャプテン翼だった.

年齢の近い小学生だった頃の翼くんや岬くんに
マンガとアニメでリアルタイムに触れ,わりと簡単に感化された.

リアルなサッカー観戦については,スポーツ好きの親の気まぐれで
天皇杯決勝に一度連れて行ってもらった記憶のせいか,
薄く好きと言うレベル.

それでもJリーグ開幕は大きな話題になったこともあり,
気まぐれに応募してみたら,チケットが当たってしまったため
6万人弱を集めた人気クラブ同士の開幕戦を,青い方の席から見守った.



そして20世紀も終わりが近づく頃,昔の友が連絡をくれた.

「浦和レッズの試合を見に行ってみない?」

彼女は同じ研究室で学んだ同期で,オフィシャルサポーターズクラブを
他の同級生と結成していたような記憶がある.
どうやら社会人になってからも熱心に足を運んでいたらしい.

その日,彼女に導かれた場所は駒場のバックスタンドの暗い1階,
一見に近い我々が一人分の座席を取ることですら困難を極める.
そのことは今なら良くわかるが,当時は理解不能だった.

何とか階段の上の方に腰を下ろせるスペースを確保し
某選手のファンだったもう一人の友と前後並んで試合の展開を見守った.

試合内容の記憶はおぼろげで(結果は確か引き分け),
あいにく浦和サポの応援に心を持って行かれるような劇的瞬間もなく,
3人で浦和駅まで淡々と歩いた気がする.

それがわたしのとっての「はじめての浦和レッズ」.

大学卒業から数年後,20代後半のことである.



時を経て,はじめて自分の意志で浦和戦のチケットを買った試合は,
霞ヶ丘の国立競技場での鹿島戦.

サイドスタンドですらそれほど混んではおらず,
バックスタンド寄りの空いた隅っこで,一人佇んでいた.

名も知らぬ周りの誰かと微妙に距離を取りつつも,
ゴールの時には一緒に喜び合う瞬間があり,
たまに霞ヶ丘で開催される浦和の試合に
都合が合えば足を運ぶようになった.

浦和が本拠地を狭い駒場から巨大な埼スタに移してくれたおかげで,
浦和戦のチケットが手に入りやすくなったことが,
わたしにとって大きな追い風で,観戦の回数が飛躍的に増えた.

さらに数年後,実家を出て人生初の一人暮らしをはじめると,
親の目の届かないところで気兼ねなく浦和に足を運んだ.

浦議やサポーターのブログなどで情報を集めることがひたすら楽しい時期,
ネットをきっかけに知り合った友と語らう機会ができた.
自分だけのTVとレコーダをはじめて手に入れ,スカパー!も契約.
こうして試合の日以外でも浦和と過ごす時間が少しずつ増えていった.

そして出張と組み合わせ,はじめて向かった遠方のアウェイ遠征.
敗戦という結果ながら,退場する選手たちを頼もしく思った.

ホテルに帰ってきて夕食を食べに再び街に出たとき,
居酒屋の前で出会った初対面のピンサポと誘い合って入店,
試合やサポートについて飲みながら話し込んだ.

何を話したかは全く覚えていないのに,
ただひたすら楽しかった記憶だけは忘れられない.

浦和レッズという沼に落ちた瞬間は特になかったと思うけれども,
もともと旅行好きだったことも手伝ってか,
浦和+遠征の組み合わせが魔境過ぎて,
遠征沼には確実に,どっぷりと全身沈んでしまった.

何よりも浦和の試合が観戦するものから参戦するものへと変わった,
そんなエポックメイキングな遠征だった.

そこからは遠征と称した旅行計画づくりに夢中になった.
遠征熱が高まりすぎたあげく

「あそこのクラブがJ1にあがればあの都市に行けるのに!」
「いや,普通に旅行しようよ!」

と友達と笑い合うこともあるけれど,
浦和の遠征だからこそ楽しい旅もあるのだ.

ただ,はじめての遠方アウェイから数年後,オーストラリアのシドニーに
大きくて深い「ACL遠征底なし沼」が潜んでいるとは,
当時知るよしもなかった.



こうしてはじめての浦和の友達,はじめてのアウェイ遠征から,

はじめてのシーズンチケット

はじめての決勝戦

はじめてのタイトル獲得の瞬間

はじめての戴冠

はじめての全試合参戦

はじめてのACL,というかはじめての海外遠征

はじめてのアジア制覇

はじめてのCWC

はじめての「職業:サポーター」ビザ ......

気がつけばわたしにとっての"はじめて"が,
いつしか浦和にとっての"はじめて"とシンクロしてきて
わたしの人生そのものが浦和になってしまっているではないか.

けれども,そこで何が起こるかわからない,
とりわけACLの試合と組み合わせた海外遠征旅の麻薬のような楽しみは
身体が続く限り一生止められそうにない.

それを幸せと思えるのだから,まあいいか.

いいことにする.



友がはじめての浦和レッズをプレゼントしてくれた日から20年以上が経つ.
サポーターズクラブの旗が部屋に置いてあった大学の研究棟も
だいぶ前にリニューアルして,当時の面影はもうない.

浦和に足繁く通うようになってからも,
人生や日常生活での辛い時間があったり,
スタジアムそのものに嫌気が差す事件がなぜか起こったりもしたけれど,
「もうサポやーめた!」とはならなかった理由は,
浦和を通じてできた人間関係が幸せであること,
浦和と共にある国内外の遠征が極上に楽しいこと,
そして不意に訪れる「はじめて」のときめきが浦和にはあったからだ.

人生の折返し地点を過ぎて,体力も記憶力も下り坂のわたしに,
今なお「はじめての何か」を浦和レッズは常に与え続けてくれる.

次の「はじめて」は一体何だろう.

ワクワクするね.

ドキドキしたいね.

まずは3週間後にはじまるACLの新シーズンに向けて,
Here we go!


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