見出し画像

プロメテウスの音楽とチェロ

まずは形なのである。
はじめに人形をつくり、その人形を人間にする。
ベートーヴェンの『プロメテウスの創造物』には、そう書いてあるそうだ。

プロメテウスは絶対神ジュピターの子である。

プロメテウスは泥から人形をつくり、その心に灯をともした。

ところが、泥人形が野蛮な動きを見せたので、プロメテウスは芸術神アポロンのいるパルナソス山に泥人形を同行させた。

アポロンは女神たちに泥人形の教育を任せた。

心の灯に情感を備えさせるため、女神たちはまず音楽と舞踏を泥人形に教え、そして悲しみを教えるために泥人形の目の前でプロメテウスを殺した。

悲しむ泥人形。

パーン神が登場して笛を吹き、プロメテウスは蘇った。

喜ぶ泥人形。

バッカス神が登場し、宴を催した。

泥人形は互いに愛する、男女ふたりの人間になっていた。


・・・

そのおよそ20年前、まだ24歳のゲーテが戯曲「プロメテウス」を書いた。
その中でプロメテウスは、絶対神であり父なるジュピターにはこの世の叡智の全てが集約されているというメルクールやミネルヴァの見解に対して、もしそうであるならば自分の存在はこの世に必要がないことになってしまうといって反発し、過去と未来をそこに見出す現存在としての人間を作った。

・・・

とにかく、プロメテウスは既存の絶対能力や絶対権威に対して、新たな「創造」を持ち出す存在なのだ。

ベートーヴェンがモーツァルトの最後の交響曲をジュピターの名前で認識したのがいつのことかはわからない。
「ジュピター」と名付けたとされるペーター・ザロモンは、もともとベートーヴェンの生家に住んでいたという縁もあり、10歳ころまでのベートーヴェンをかわいがっていたそうだ。
そのザロモンに呼ばれてロンドンにいったハイドンが、帰り路にボンに立ち寄って、ウィーンに連れて帰ったのが22歳のベートーヴェンだった。

ウィーンに来てたちまち評判となったベートーヴェンに、マリア・テレジアからはじめて託された仕事が、バレエ『プロメテウスの創造物』であった。
ときにベートーヴェン30歳。
プロメテウスと聞いて、即座にモーツァルトの「ジュピター」を思い浮かべたかどうかはわからない。ちなみに、先に書いた「泥人形」の台本を書いたのは、チェリスト・作曲家のボッケリーニの甥にあたるヴィガーノであった。ヴィガーノは18世紀におけるニジンスキーといっていいような、当時大きなセンセーションを巻き起こしていた舞踏家である。
ベートーヴェンとヴィガーノによるバレエ『プロメテウスの創造物』は評判となった。しかし、ヴィガーノがウィーンを去り、台本が失われてしまったため、音楽だけの幻のバレエ作品として長く忘れられることになった。

ベートーヴェンの「プロメテウス」が不滅のものとなったのは1804年のこと、交響曲 第3番「英雄」の発表によってである。『プロメテウスの創造物』では泥人形が男女の人間となり結ばれ、プロメテウスの創造の完成を祝うコントラダンスが登場するのだが、その低音を形どったモチーフが「エロイカ主題」と呼ばれて「英雄」の終楽章の冒頭を飾ることとなった。
ベートーヴェンが「ジュピター」の名称を知っていたかどうかの事実は知ることが出来なくても、モーツァルトの最後の交響曲の最終楽章 冒頭を飾る「ジュピター音型」に対応する、「エロイカ主題」はベートーヴェンの手による新たな"創造物"の輝かしい象徴であり、冒頭の主和音連打が「ジュピター」3回に対して「英雄」では2回とされていること、エロイカ主題がシンプルなジュピター音型よりもさらに単純なものであることを見ても、ベートーヴェンの言外の主張が伺い知れるように思う。(以下、譜例参照)

「ジュピター」と「英雄」の比較

・・・・・

モーツァルトが絶対であるとしても…
ベートーヴェンを「プロメテウス」になぞらえたとしても決して大げさではないような偉業を、ベートーヴェンは若き日に二つ達成している。

ひとつは、ボン時代の1785年に書いたとされる3つのピアノ四重奏曲である。これらの作品がそのジャンルの創始者とされるモーツァルトの作品におそらく先んじているということはもっと注目されてよいのではないだろうか。
もうひとつはより決定的で、それはモーツァルトが書かなかった「チェロソナタ」というジャンルをほかの誰よりも先に確立したことである。
op.5として出版された、音楽史上はじめてというだけでなくその素晴らしさによっても驚くべきこのチェロソナタは、果たしてどのようにして誕生したのだろうか。

ごく限られた資料から、ベートーヴェンが若きボン時代に二人のチェリストと親しくしていたことがわかっている。
そのひとりは作曲家として生涯影響を受けた竹馬の友アントン・ライヒャの叔父ヨーゼフ・ライヒャで、もうひとりは近代チェロの父としても知られるベルンハルト・ロンベルクである。

そして、ウィーン時代に訪れたベルリンで、高名なデュポール兄弟の弟
ジャン=ルイ・デュポールと親しくし、ベートーヴェンはこれまでに存在しなかったジャンルを創始した。それがop.5の二つのチェロソナタである。

ちなみに、モーツァルトもかつてベルリンを訪れたが、同じくデュポール兄弟の兄のほう
ジャン=ピエール・デュポールと良い関係を築くことは出来なかった。しかし、その時の名残りとして、ピアノのための『デュポールの主題による変奏曲』が残されている。
モーツァルトもベートーヴェンも、いずれもリヒノフスキー侯爵に連れられてのベルリン訪問であった。

ベートーヴェンの『プロメテウスの創造物』の中で泥人形に音楽の楽しさ、愛の情感を教えるため、オルフェウスの竪琴に合わせて演奏される楽器がほかならぬチェロであることをもって、今回の話はおしまいとしたい。

・・・・・

2023年6月25日(日) 20:00開演
「プロメテウスの創造物」
BEETHOVEN&MORE VOL.1

チェロ:金子鈴太郎
ピアノ:岡田奏

https://www.cafe-montage.com/prg/230625.html


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?