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失われた時を 見出すとき - J.ブラームス

ブラームスが若き日に書いたピアノ三重奏曲について、ずっと不思議に思っていたことが、少しずつ明らかになってきた。

ブラームスは1889年、56歳の時にひとつのピアノ三重奏曲を書いた。
その作品は、21歳という若き日に書いたピアノ三重奏曲に手を加えたものだということで、作品番号がそのままop.8として出版されたために『ピアノ三重奏曲 第1番 op.8』(1889) としてのちの世に残されることとなった。

『ピアノ三重奏曲 第2番 op.87』(1882) と『ピアノ三重奏曲 第3番 op.101』(1886) の2曲よりもあとに仕上げられ、op.109と同じ年の円熟の筆致で描かれていることもあり名作の呼び声が高く、しかし同時にop.8という若い作品番号が与えられているために、かつてシューマンが1853年に『新しき道』として紹介した20歳の若き天才による出世作としても紹介・解説されるというねじれた現象がこの作品にはずっとついて回っていた。

そんな具合だから、『ピアノ三重奏曲 第1番 op.8』は1854年に書かれた作品に少し手直しがされただけだというくらいに軽く考えて、それ以上には興味を持つことがなかったというのが、数年前までの自分であった。

ある時、カフェ・モンタージュでブラームスのピアノ三重奏曲を3曲全て演奏するという公演が持ち上がり、急いでドイツのヘンレ版の楽譜を購入したときから、この話は勝手に動き出した。
届いたヘンレ版の楽譜は、大曲3曲が載っているだけあってとても分厚く重かった。でも、ヘンレ版につきものの補遺ほいが最後に載っていることに気が付いたのは少し後のことであった。

自分の勉強のために、ピアノ三重奏曲 第1番から第3番まで、音源を聴きながら分厚い譜面をめくっていたのだが、ようやく曲が終わった後、右手に残されたページの数が、普通ではないのである。
次のページをめくってみると、果たしてそこには"1854 Fassungバージョン"と書いてある。補遺というのは大抵は版の違いによる変更点だけを確認するという程度の、いわば付録の扱いなのだが、この"1854 Fassung"と書いてある『ピアノ三重奏曲 第1番』の楽譜は、はじめに聴いた『ピアノ三重奏曲 第1番』(1889)よりも分厚いくらいなのである。

「まさか… 全曲?」と思ったら、まさしくそのようで、最初は「少し (1889より) 音が多い?」くらいに思っていたのが、いつの間にかまったく知らない曲の中をさまよっていることに気が付いた。

「まったく違う曲だ…」

ブラームスほどの重要な作曲家のオリジナルであれば、もっと広く知られていて然るべき「知られざる大曲」がいま自分の手の中にあるという興奮が体中を駆け巡った。

「いつかこの作品を、カフェ・モンタージュで聴きたい!」

まともな作品解説も見つからないこの作品を、どのように紹介していいのか、数年にわたる長い長い勉強がようやく報われようとしている。

ヨハネス・ブラームス作曲:
ピアノ三重奏曲 第1番 op.8" 1854 Fassungバージョン"


続きます。


続編「はじまりの三重奏」はこちら


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2024年1月25日&26日 20:00開演
「始まりの三重奏」
メルセデス・アンサンブル
https://www.cafe-montage.com/prg/24012526.html


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