龍 敦

京都市左京区のコーヒーロースターcaffè micio主催。 https://lin…

龍 敦

京都市左京区のコーヒーロースターcaffè micio主催。 https://linkmix.co/1596827

最近の記事

ガザでみる夢、眠りの温度

いつからこの夢をみているのだろう うとうとと、まどろみに浮かびながら -遠くで大きな音がする わたしと世界のさかいめはあいまいで、ふれることとふれられること、与えることと与えられること、満ちることと欠けること、知ることと忘れることは同じだった -遠くで大きな音がする 時間がゆるゆる混ざるところ 体温がとけあうところ 想いがはじまるところ -遠くで大きな音がする いつもやわらかな光があった ほほえむと光もふわふわほほえんだ わたしはすっかりあたたまって、光にくるまっ

    • 東ティモールコーヒーと気候変動

      こう見えて本職のコーヒー屋です。 先日は認定NPO法人PARCICさん主催の、東ティモールの生産者さんを招いたイベントに参加してきました。 生産者さんに直接会える機会は滅多とないので、翻訳していただきながら、美味しいコーヒーを育ててもらっていることに感謝の意を、そして「皆さんのコーヒーは僕のお客さんを幸せにしてくれています」とお伝えしました。 この日のイベントは「コーヒーの未来」と題して、気候変動がコーヒー生産に与える影響についてお話を伺いました。 近年、日本でも雨の降

      • 誰かの希望であること

        仕事が立て込んでいてナーバスになっていたのだけど、道端でばったり友だちと出会って、わー久しぶり!どしたのこんなとこでー?とかほんのちょっと喋っただけで少し元気が出ました。 一人で黙々と作業をしてると気が落ちてきて、人生も半ばを過ぎたのに追いかけたことの大半が棚上げになってるよな、このまま何者にもなれず朽ちるのだろうか、この人生なんだったんだろう、なんてことを考え始めるものです。 忙しくても忘れちゃいけない。何者にならずとも、誰かを幸せにできるということを。 人は必ず誰か

        • 尊さとはお腹がすくこと、隣に座ること、小さな物語を紡ぐということ

          8月16日。 大文字山の麓にもう15年住みながら、片手間にしか送り火を見たことがなくて、前日に京都をかすめた台風が置いていったじっとりした空気を吸いながら、どこで見ようか?去年は、その前は、どうしたっけ、来年こそは事前に場所を選定して、下駄を履いてさ、などと話しながらぷらぷらとそぞろ歩いて、普段は人通りなんてまばらな住宅地にぞろぞろ人が歩いている奇妙さに、このうち何人かはこの世の人ではないのかも知れないな、なんて考えながら、赤く天にのぼる火の粉の一粒一粒まで視認できるような

        ガザでみる夢、眠りの温度

          モノが纏う記憶、世界に触れること

          先日おデートで街に出たとき、なんとなくドラッグストアに寄って排水口の水切りネットを買いました。 今買わなくてもどこでも買えるやん、とも思うのだけど、水切りネットを替えるというあまり気持ちよくない作業をする時、おデートの時に買ってもらった水切りネットよウフフ、と思えば少しは楽しくなるかなと思ってそうしたのだけど、事実、その度に良き記憶が再生されて、灰色の人生に少し色が差すような気がするのです。 今日は配達で日仏マルシェに行きました。 思いがけず知人が働いているHANDOVER

          モノが纏う記憶、世界に触れること

          京アニ事件、初公判に寄せて

          朝からヘリが飛び回っていた先週火曜日、京アニ事件の初公判が開かれました。 戦後最悪の殺人事件といわれるこの事件のことを考えると、当時現場にいた被害者が感じたであろう痛みや理不尽さや恐怖、遺族の怒りや苦しみが再生されて非常に辛い気持ちになるのですが、それでも考えることを止められないのです。 かつて僕はこの事件のことを「彼(被告)をほったらかしたのは誰だ」として、社会的包摂の無さが犯罪を育てるのではないか、という文脈でfacebookに問いかけたところ、加害者に寄り添うつもり

          京アニ事件、初公判に寄せて

          9月1日の君へ

          先日、靴を買いに街へ出て、溢れる人波を眺めていますと、こんなに人がいるなら僕はもういらないのかもしれない、という気持ちになってきて、周りの人人人全てが僕を指さして「お前だ」と退場を迫ってくるような、みんなの舌打ちが、ため息が聞こえるような気がして、申し訳なさでいっぱいになって息苦しくなってきたので、あーあかん奴がきた、と思って深呼吸をして、胸に手を当てて大丈夫、大丈夫、と唱えて、靴は諦めてさっさと帰宅したのでした。 誰だって生きていれば度々、死神が背後にぴたりと寄り添うのを

          9月1日の君へ

          旅のさなか手のひらにとどめて

          さっきから、お空がぐぐぐごごごと響きはじめて、アスファルトがぱたたたたたと鳴りだしたから。 手を伸ばしたのです。 ベランダから身を乗り出して。 つかまえたかった。夏を迎えた証を。 生まれ落ちた君たちを。 手のひらで弾けた粒は千メートル上からえいやっ、と飛び降りたH2Oで、それぞれの着地点でそれぞれの川を流れるはずで、でも同じこの真っ赤な空を眺めたのだろう。 数億の旅路に幸あれ。 僕はここで、しかと見た。

          旅のさなか手のひらにとどめて

          コーヒーとG7と

          一部の国だけ集まって、世界をどうこうしようと画策するG7を皮肉った【最後のG7】うまくできてるなぁ。 犬ジャパンは汚染水を振る舞ってます。 キリストの位置にいるアメリカ(アンクルサム?)はトイペでドル札を刷ってます。 G7が始まる少し前に出た画像なのでゼレンスキーはいないですね。いたとしたらアメリカの足を洗っていたのだろうか。 報道では「広島の地で平和外交が行われて意義深い」とされてるけど、東側から最後のフロンティアたる「グローバルサウス」を奪って、西側で配分する代理戦争

          コーヒーとG7と

          春分の日はスピノザを

          春分の日というのは自然を讃える日だそうなので、神すなわち自然と説いたスピノザについて学ぶことにしました。 恥ずかしながら読書習慣が全く無いので、数年前に初めて「エチカ」を手にした時は一行たりとも理解できず、図書館で震え上がり妙な汗をかいたものです。 ということで、ぬるくて甘いカフェオレのごとくマイルドな解説本をチョイスしました。 ところで、昨年からたびたび弊社焙煎所に来て聖書について教えてくれるおじさんが今日もいらして、悪がはびこる人間世界を浄化する「大いなる患難」が間

          春分の日はスピノザを

          映画「エゴイスト」を観て

          与えることは奪うことでもあって。 無償の愛を注ぎたいといつだって願うけど、お互い無傷のまま愛し愛されることなんてできるのだろうか? 誤解を恐れず申し上げるなら、欲望に忠実な者だけが、世界に触れることができるのだと思います。 わがままになりきれない者は自身も他者も傷つけないけど、何かを得ることもないでしょう。 なりふり構わず手を伸ばすこと。それは、この残酷で美しい世界を丸ごと「引き受ける」ことなのかもしれません。 傷の痛みが互いの重みを教えてくれる。だからせめて共犯者であ

          映画「エゴイスト」を観て

          許そう。人間でありたいなら。

          人間よりAIの方が優れている時代に、人間はどう生きればいいのだろう? といったことを考えるときに大事なキーワードの一つが「間違える能力」だと思っています。 AIやbotなら絶対間違えない。ミスがあるのは生身の人間が手作業でやっていることの証明です。 もうひとつ、人間にしかできないのは「間違いを許す」こと。 間違いを指摘して直させるのはAIの仕事です。AIは絶対許してくれません。 そんなことを考えていると、カオス性と恒常性のダイナミズムがサスティナビリティを生む動的平衡チ

          許そう。人間でありたいなら。