見出し画像

「日本沈没」に惹かれる理由がある

19:40、加筆しました。


小松左京さんの「日本沈没」を初めて読んだのは、たぶん大学生になってからだと思う。
たまたま、移転前の県立図書館に行って、本棚をぶらぶらしていて、単行本の背表紙のタイトルに「えっ」と驚き、手に取って裏表紙のあらすじを読んで「なんて?」と思って借りた記憶がある。

それから5年か7年くらい経って、結婚して引っ越した先の市の図書館で、また小松左京さんの「日本沈没」と再会した。
まだ乳幼児の息子がいてじっくり読書できないのと、その時はまだ活字を読んでも頭に入る気がしなくて借りて読むことはしなかったように思う。

さらにそれから5年くらいして、本屋で文庫を見つけた。
そのときは「文庫があるんだ」くらいの感想だったと思う。

その後、日本沈没-2020-アニメをNetflixで見つけて、その日のうちにほぼ徹夜で完走した。
小栗旬さんが出られたドラマ版は毎週配信で見た。

そうして、わたしは小松左京さん版の原作をほとんど覚えてないことに気づいた。
数日のうちに本屋へ行き、小松左京さんの「日本沈没」文庫上下巻を買ってきた。
読み始めたら、なんだか読みにくくて、なかなか話が始まらないように感じて閉口した。最後まで読めないかもしれない、と思った。そのはずだった。
気づいたら、またもや睡眠時間を犠牲にして上下巻を読了していた。
そして、小松左京さんから受け継いで、その後の小野寺たちの物語があることを知った。
小松左京+谷甲州「日本沈没 第二部」上下巻である。
慌ててジュンク堂で探して買ってきて、また睡眠時間を割いて読んだ。
べらぼうに面白かったし、もっぺん読み返さなきゃなと思っているが、内容が内容だけに読むのに体力が要る。腰を据えて読み返したい。そろそろ大枠すら記憶が怪しい……。

そして2023年10月である。

ある電子書籍のプラットフォームで、うっかり漫画版を見つけてしまった。
ネトフリで観た「日本沈没」の漫画版(渡邉健一さん作)と、15巻もある漫画版(一色登希彦さん作)だ。

どっちも買って読んでしまった。お金ないのに。でも後悔してない。きっとまた読み返すので、買って正解だと確信している。

さて、なぜこんなにもわたしは「日本沈没」を手に取ってしまうのだろうか。
「シャーロックホームズ(以下SH)」のパスティーシュにもすぐに手が伸びるので、パスティーシュ作品自体が好きなのかもしれない。
ただ違う点といえば、SHのパスティーシュでシャーロックとジョンがいないことは許されないが、日本沈没のパスティーシュで小野寺と田所と玲子が揃っていなくても、その関係性が変わっていても、特に問題がない(とわたしは感じる)ことだ。
彼らは、物語に必要とされた役割を持つ人材で、キャラクターとか人間性のようなものはそこまでほりさげられていなかったのではないか。
少なくともわたしの感覚では、小松さん版の玲子は、007シリーズやインディジョーンズシリーズのヒロインみたいだなという印象がある。読み取れてないだけかもしれないけれど(第二部での活躍ぶりが際立つという意味で第一部の玲子はあの立ち位置であるべきなのかもしれないが)。
少なくとも2020(アニメ版)で小野寺は田所博士と合体させたようなキャラクターであったし、玲子は出てこなかったのでは……?(渡邉さんの描くコミック版では出てきた)
だから、SHと日本沈没ではパスティーシュの肝になる部分が大きく異なる。SHはホームズ、ワトソンを中心としたキャラクターと関係性がそうであり、日本沈没は「日本が沈没する」ということがそうであるのだ。

小松左京版「日本沈没」は戦後、戦争のことを忘れてきたころに書かれた小説だ。
そして、問題意識の焦点が変わるたび、「日本が沈没したら」というテーマはそのままに、その時代その時代の日本の抱えるものを描き出そうとして再構築されている。
何度も何度も、問われているのだろう。
小松左京さんが戦後の日本に抱いた問いを、その後の続編やメディア化の過程で作品作りを担った人たちは、その時々の目線で、視線で、「さぁ、もし本当にこんなふうになったなら、あなたはどうする? どう考える? どう動く?」と。

その問いは読み手、視聴者が読みながら自問自答するものでもある。だって、わたしたち日本人が暮らすこの島がこんな目に遭うとしたら、という話だ。当事者になってしまったら、と考えるのは当然だ。それが狙いでもあるんだろう。すごいな。
わたしが最初に読み始めた理由、故郷の島がまだ先に沈没したから「はあ?!」とキレて読みはじめたんですけど。
それすらも狙いかもしれない。だってわたしは読む前から「沖縄が沈没してしまうことが確定しているなら、わたしはどうするんだろう。どこかへ移住しようとするだろうか? 家族と相談したとき、意見はまとまるだろうか?」と考えた。
一色さん版のコミックスでも、次々といろんな地域に被害が出ていく過程で、先に被害を受けた地域の住民が、まさに今警告を受けている地域の人たちの立場にもし自分たちが立っていたら、と考える。
あの時、自分たちがこうして警告されていたらどうだったろうか、と。
漫画の中で描かれるひとびとの行動や結果は、リアルな感覚を伴って読み手に刺さってくる。

「日本沈没」は、時代が変わり、読み手の価値観が変わっても、作品を読めば普遍的に問われ続ける作品じゃないだろうか。
それゆえに、何度も読み返してしまうし、パスティーシュで描かれるその書き手からの問いと書き手の答えを読みたくて手を出してしまうのだろうと思う。

サポートいただいたお金は、書籍購入に充てさせていただきます!感想文たくさん書きますね!!