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モードと自動車の共通点

去年の暮れに"なぜか身のまわりの機械が次々壊れる、そして私はそれらに名前をつけていて…"という内容の話(『どんな名前をつけましょう』)を書きました。

その中にも登場させた車が再び危機的状態となり、ディーラーでの検査の末、電気系統に重大なトラブルが起こっていることを知らされました。

その修理の見積もりとして提示された金額は、しめて三十六万円。
しかも、それで完全に直るかどうかは定かではない、といいます。


自動車企業に務めるエンジニアの知人に相談すると、もし自分ならばその代金は新車購入にまわすだろう、という返答です。
聞いた限りでは状態は深刻そうで、その他修理と追加費用の発生は避けられないはず。年式や総走行距離も考慮すると、出費とのバランスがおそらく取れない。よく考えて結論を出した方が良い、とのことでした。

それは私も薄々感じていたことであり、家族との相談の上、年が明けたら車を乗り換えよう、という決断に至りました。


それから急いで情報収集をし、いくつかのショールームを訪れるなど紆余曲折の末、新しい車が駐車場に収まったのはつい半月ほど前のことです。

今度もさっそく名前をつけなければ、と私は意気込み、イタリアに縁のある車だからイタリア語がいいだろう、ボディーカラーの赤色にちなみ"rossoロッソ"にしよう、とすでに命名も抜かりありません。


このrosso君のハンドルももう何度か握り、休日には高速道路にも乗ったのですが、正直に言うとまだまだ慣れないところがあります。
以前の車がなじみすぎ、勝手の違いに戸惑うのです。

「おはよう、rosso君。今日もよろしく」
かねてからの慣行通り、運転席で口にする挨拶にもぎこちなさが漂います。


星の王子さま』の中で、重要なキャラクターのキツネは王子さまに、自分を"飼い慣らす"には時間が必要だと語りました。
そう簡単には打ち解けられない、友人になるには、毎日顔を合わせ、少しずつ距離を詰めていくのが大切なのだと。

まさにそんな具合に、新車との微妙な距離感も、これから気長に埋めていくべきなのかもしれません。
それが叶うまで、私がシフトレバーの位置を間違い、サイドブレーキの場所に迷い、シートの慣れなさに身じろぎするのを、rosso君が大目に見てくれると良いのですが。


とはいえ、故障の心配もなく快適に走ってくれる車の運転は楽しいもので、今は"いかにして上手に、燃費の良い走り方をするか"に夢中になりつつあります。

車内の液晶パネルに平均燃費と瞬間燃費が映し出せることがわかって以来、これがガソリン代の節約以前に、ゲームのようで面白いのです。
エコドライブなどと大層なことを言わずとも、ただ目的地に向かって走る以上に、論理と技術が必要とされる点が楽しいと感じます。


私は何かに興味を持つとのめり込むオタク気質のため、どんな運転がベストであるか張り切って調査を始め、情報収集と実践を重ねています。

"巡航速度、エンジン回転数、燃費噴射量、シフトアップ、アクセルコントロール、慣性走法に惰性走法、最適運転温度、回生区間"

これらの耳なじみない用語や解説にさえ親しみをおぼえるほどで、私はつくづく単純なのかもしれません。


また、これまでその存在すら知らなかった、並外れた知識とテクニックを備えた専門家たちの素晴らしさといったら。
サーキットを疾走する超精鋭マシンや、それらを操る国内外のレースドライバーの走行技術。
普通車で市街地を走る一般人には無縁の世界かと思いきや、そこには応用可能な部分もままあると知って驚いています。


これはもし別分野、たとえばファッション界に当てはめるなら、職人が長い時間と技術を費やして生み出すオートクチュール注文服と、街なかのどこでも買えるプレタポルテ既製服の構図と同じでしょう。

モードは街へと下りるものだ
とはデザイナーのガブリエル・シャネルの言葉ですが、これは自動車産業においては、レース場やテストコースでのハイレベルな実走を経て、もっと実用的に市井の車自体も進化してきた歴史と通じそうです。

どちらも贅を極めた素材を使い、最高峰の技術と方法で確立されたセオリーが、上層からより大衆的な地点に着地して一般化する過程が共通しています。


これまでの私にとって、車は単に便利で有り難い道具であり、歴史あるクラシックカーなどを除いては、美を感じる対象からは外れていました。

けれどもエンジンの構造や働きから、私の新しい車にもつながる自動車の歴史などを知るにつれ、そこに内在する美学や哲学が可視化され、自動車そのものへの見方が変化しつつあります。

気兼ねなく移動できる自由の他に、未知の世界を探究する楽しみまで得たとあっては、これだけでrosso君を迎えた甲斐があったと言えそうです。


それでも、私は車そのものへの愛好を深めるカーマニアになりたいわけでなく、忘れてはならないのは、素晴らしい車に乗り、どこへ出掛け、どんな経験をしたいかです。

再びファッション界の人物の言葉を借りると、『ヴォーグ』の編集長アナ・ウィンター
どんな洋服を着るかは重要だ。けれどもっと重要なのは、あなたがその洋服を着てどんな生活を送るかだ
とでもいったところでしょうか。

少しずつなじむ車で機嫌よく走ることを楽しみつつ、その目的地が良い場所であったなら最高です。





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