ほたかえりな

本や映画の中の言葉。日々感じたり考えたこと。とりとめもない話の中に響くものがあったなら…

ほたかえりな

本や映画の中の言葉。日々感じたり考えたこと。とりとめもない話の中に響くものがあったなら心から嬉しく思います。

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  • 12ヶ月の詩のつめあわせ

    毎月、その月にちなんだ詩や文章を集めてご紹介しています。 季節ならではの言葉の美しさを感じていただけたなら幸いです。

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4月の詩

時は春 春の朝 朝7時 真珠のごとき露の光る丘の中腹 ひばりは飛翔し かたつむりはサンザシを這う 天に在しますわれらの神よ—— この世はまこと美しい! 19世紀の英国で上演された悲劇の中で、一人の少女が朗らかに歌いながら丘の上を通っていきます。 彼女の名"ピパ"から《ピパの歌》と呼ばれるこの歌は、やがて物語の世界を飛び出し、作者ロバート・ブラウニングに不朽の名声をもたらしました。 舞台の設定は真冬のため、ピパは寒さに震えつつ春の訪れを一心に思い描き、神の御業を讃えます。

    • アストラル体と陛下と美術家

      「北さんか…」 作家の森茉莉さんが、同じく作家の北杜夫さんをメディアで見かける度つぶやいてしまうという話を書いていましたが、私ならさしずめこんなところでしょうか。 「横尾さんか…」 横尾さんとはむろん現代美術家の横尾忠則さんのことであり、私がそうつぶやいたのは、数日前の夕方です。 テレビのニュースで園遊会の映像が流れ、そこに天皇皇后両陛下と、横尾さんご夫妻の姿が映し出されていたのです。 両陛下は迷い猫を育てていらしたそうで、猫たちの写真を手に、横尾夫妻と親しく歓談していると

      • 鳥獣戯画のごとき犬

        獣がいなければ人は何とする。 もしこの世から動物たちがいなくなれば、魂の深い悲しみから人間は死んでしまうことだろう。 ──ネイティブ・アメリカンの言葉 心を健やかに保つために、依存先をいくつも持つこと、できるだけ多くのコミュニティに出入りすること、居心地の良い場所を作ること、などとよく耳にします。 これは難しく考えずとも、たくさんの好きなものや、それを分かち合えるゆるいつながりがあればいい、くらいの話だと思うのですが"犬コミュニティ"はまさにそれにぴったりと当てはまるか

        • ほとんどの人が一生無縁の履きものふたつ

          たった一足の靴が人生を変えてしまう事もある。──『シンデレラ』 タイトルに上げた"履きものふたつ"が何か、最初に答えを言ってしまうと、それは〈ポワント〉と〈一本歯の高下駄〉です。 もちろん、中には自分もそれらを履いた経験がある、という人もいらっしゃるかもしれません。けれど、その両方を日常的に履いている、という人はさすがに少数派ではないでしょうか。 こんな話題を持ち出すからには、私はその少数派の一人で、どちらの場合も、初めて試してから十年以上の時が経ちます。 比較的理解

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        • 12ヶ月の詩のつめあわせ
          13本

        記事

          知性なくしてカレーなし

          あなたの舌に「私は知りません」という言葉を教えなさい。 ──タルムード 人の思い込みというものはやっかいで、私の友人がつい最近、仕事先で思わぬトラブルに見舞われました。 それは連絡違いから起こった不幸な事故だったのですが、そのせいで友人が手間暇と心を込めて納品した品がほとんど台無しになり、先方からの謝罪はあったものの、二度と取り返しのつかない事態となりました。 それもこれも、小さなミスの積み重ねと、幾人もの人によるささいな思い違いによるものです。 友人は激しく動揺して

          知性なくしてカレーなし

          現代の関守に会う

          もう数年前に『今度は苗字が多すぎる!?』という話を書いたのですが、その時に調べたところ、日本の苗字のバリエーションは何と世界第三位の多様さを誇るといいます。 そうなると当然、読み方がわからないお名前も続出し、私が直接存じ上げている"東江"さんや "月見里"さんなど超難読苗字だけでなく、"草柳"さんは"くさなぎ"か"くさやなぎ"か、"中島"さんは"なかしま"か"なかじま"かという発音の問題も発生します。 複雑な苗字の人は、人から聞き返されたり誤った読みをされることにも慣れて

          現代の関守に会う

          好意と質問の相関関係

          友のいない人生は塩気のないピラフと同じ。 ──ウズベキスタンのことわざ どこで目にしたものだったのか、つい最近、こんな一文に出会いました。 「私の尊敬する人は、誰かのことを思い出した時、その人に連絡をするという。 とても自然で綺麗な人付き合いの方法だと思う」 同感のあまり、私も早速、その時ふと思い浮かんだ人にメッセージを送ったほどです。 その人が多忙な生活を送っていると知っているため、普段ならそんなことは決してしません。 けれどその時は、やや遅い時間帯、特に意味のない

          好意と質問の相関関係

          いかにも日記を書く人の文字

          日記をつける人は、人生を二度生きる。 ──ジョサミン・ウェスト もう何年か前、『ネガポ辞典』や"ネガポジ変換"が大きなブームになったことがありました。 どんなマイナス特性も別表現でプラスに変える、というこのゲームの規則に従うと、私の"極端な飽きっぽさ"や"三日坊主"も、"フットワークが軽い""判断が早い"などと言えるでしょうか。 もちろん、こう捉えれば悪い気はしませんが、私がフットワーク軽くすぐに飽きてしまうことは事実です。 特に毎年、わかりやすい無駄と失敗を繰り返し

          いかにも日記を書く人の文字

          ありきたりでないありきたりのこと

          あまりに無造作に手にしているものだからこそ、いざそれを失いかけた時に慌てふためくことがあります。 つい先日、その証明のような出来事がありました。 午後十時を回ってマンションの駐車場に着き、車内で書類を整理していた時のことです。 ふいに、その書類の文字がほとんど読み取れないのに気がつきました。 ぼんやりとなら把握できても、全体的にピントが合わず、細かい部分が見えないのです。 印刷がまずいのかと別の書類を手にしてみても、やはり文字がぼやけます。 私は両目とも視力が1.5のた

          ありきたりでないありきたりのこと

          場中別段のお話有り

          たとえばどこかのお店や電車の中など公共の場で、居合わせた人の会話が耳に入ってくることがあります。盗み聞きをするつもりも、聞き耳を立てているのではないにも関わらずです。 英語ではこんな状態を【overhear】というそうで、〈over-上から〉〈hear-聞く〉とは、つい最近、思い当たる出来事があったばかりです。 そこはクラシックの室内楽ホールで、私は客席のちょうど真ん中あたりに座っていました。 演奏プログラムは、モーツァルトとベートーヴェンの弦楽四重奏曲。それをさるオー

          場中別段のお話有り

          旅へのいざない

          「次の休みにドライブはどう?」 「久々に車で遠出しようか」 これはもちろん"予定を決めずどこか楽しいところへ遊びに行こう"というお誘いですが、こんな魅力的な誘い文句が、ほとんど日本でしか喜ばれないと聞いて驚きました。 では、もし他の国の人たちが同じ台詞を言われたならば? インドの場合。 「正気?どこも大渋滞なのに」 カナダも。 「混んだ道を休日まで運転したくない」 ブラジルなら。 「街を出てもずーっと農場しかないけど」 アメリカだと。 「目的地もルート設定もなし…危険地

          旅へのいざない

          三十六計逃げるに如かず

          私が好きな読みもののひとつに、色々な媒体に掲載される『人生相談』があります。 そこには、相談者の悩みに対してどんな解決法がもたらされるのだろう、というわくわくがあるのですが、先日読んだある芸人さんの回答に、秀逸なものがありました。 〈学校でいじめを受けているのに誰も助けてくれない。どうすればいい?〉という小学生の男の子からの相談に、その人はまず〈逃げること、その場から離れること〉を勧めていました。 そして、さらに素晴らしいのは〈逃げることに罪悪感を覚えたり、恥ずかしい、駄

          三十六計逃げるに如かず

          ビューティフルなロック・キング

          "『ルシール』" "甲高い叫び声と哄笑" "エキセントリックな外見" "『刑事コロンボ』に本人役で出演" "同性愛者でクリスチャン" "ロックの始祖" 私がその人に持つイメージや知識といえばそんな程度だったのですが、次の休みにドキュメンタリー映画を観に行かないかと友人に誘われ、心が動きました。 自分では絶対に選ばない作品ですし、かえって世界が広がりそうな予感がします。 『リトル・リチャード アイ・アム・エヴリシング』 〈すべては彼から始まった〉という映画のコピー通り、この

          ビューティフルなロック・キング

          ただいま準備中?

          僕らが計画を練っている間に人生は過ぎてゆく。 ──ジョン・レノン 「人生は衣装をつけたリハーサルではない」 今年の初めに、古い洋書の中で見つけた言葉です。 著者によると、これは西洋ではごく一般的な言い回しだといいます。 "衣装をつけたリハーサル"と聞くと、私の脳裏にまず浮かぶのは、バレエの発表会前の "ゲネプロ"です。 この通し稽古では、アナウンスが入り、照明がつき、音楽が流れと、全てが本番通りの手はずで進みます。 出演者たちも本番さながらに衣装や小道具をつけ、ヘア

          ただいま準備中?

          声の話いろいろ

          「細かいところが気になるのが僕の悪い癖」 私の好きな刑事ドラマの主人公の口癖ではありませんが、同じく私も、時々妙に物事の細部が気になるタイプです。 つい先ごろは、実験心理学者の本のこんな一文に引っかかりました。 「感情を読み取る際に日本人は欧米人と比べ表情よりも声音に敏感ということを示した研究もあります」 著者は各章で人間の顔と表情を主題に語っていたのですが、私の思考はそこへ来てはたと止まってしまいました。 そして、新たに考え始めたのは声についてです。 もう本の中ではそ

          声の話いろいろ

          金縁の中の失敗

          軽薄な人間だけが人を見た目で判断しない。 ──オスカー・ワイルド 『ドリアン・グレイの肖像』にて、己の外見への執着ゆえ、破滅してゆく美青年を描いたオスカー・ワイルド。 彼自身が独自の服装と生活スタイルを貫き、常に衆目を浴びる存在でした。 その人が記した言葉は一見するとわかり辛い反語のようで、思わずその意図に思いを巡らせてしまいます。 そしてまるでその延長であるかのように、人の見た目と判断について、激しく心を揺さぶられる出来事がありました。 読書好きの例に漏れず、私も

          金縁の中の失敗