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3月の詩

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
かすかなるむぎぶえ
いちめんのなのはな

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
ひばりのおしゃべり
いちめんのなのはな

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
やめるはひるのつき
いちめんのなのはな。


大正二年発刊『聖三稜玻璃』に掲載された、山村暮鳥の《風景 純銀もざいく
誰しもが、どこかで一度は触れたことのある詩ではないでしょうか。

文字の並びからして鮮烈で、読み進むうち、菜の花畠の黄色が目のうちに広がっていくような心地がします。


◇◇◇


春といえば桃や紅など赤い色のイメージが強いのですが、春一番に咲く花の色は、実は黄色が多いのです。

その一部を上げてみても、ロウバイ、マンサク、サンシュユ、トサミズキ、ヒュウガミズキ、レンギョウ、ナニワズ、ミツマタ、ミモザ、ヤマブキ、フクジュソウ。
皆、瑞々しい黄色の花を咲かせます。
  

平安時代の公家たちは異なる色の反物を幾重にも併せて身にまとい、〈かさねいろめ〉と称される色彩のグラデーションで、四季折々の自然を再現しました。

その典雅な衣裳にもやはり早春の色として黄色が見られ、〈菜の花〉〈黄柳〉〈萌黄〉など、黄色に青や緑を取り合わせた明るい色彩のヴァリエーションが、春の景色共々、人の心を浮き立たせていたことを想像させます。


◇◇◇


そんな黄色の花々のうち、やはり菜の花の知名度は圧倒的で、唱歌として有名な高野辰之の《朧月夜》にもその花の咲く光景が謳われます。


菜の花畠に 入り日薄れ
見わたす山の端 霞ふかし
春風そよふく 空を見れば
夕月かかりて にほひ淡し


人気ない、静かな菜の花畠にひっそりと訪れる春の夕暮れ。
このこよなく平和な、桃源郷のごとき風景にはもやが立ち込め、独特の空気感で春の世界をやわらかく包み込みます。

こうしたぼんやりとしたもやのごとき空気のことを
"春霞はるがすみ"といい、この言葉は季語にもなっています。


◇◇◇


それが効果的に使われた文学作品といえば泉鏡花の『日本橋』で、三月初めの夜にたなびく春霞は、名台詞の誕生にも一役買いました。


雛の節句のあくる晩、春で、おぼろで、御縁日。 同じ栄螺さざえはまぐりを放して、 巡査の帳面に、名を並べて、女房と名つて、 一所に詣る西河岸の、お地蔵様が 縁結び。 これで出来なきや、日本は暗夜やみだわ


日本橋川にかかる一石橋で、巡査の取り調べから医学士・葛木晋三を救った芸妓のお孝の、夜詣りを口実の口説き文句です。

この台詞の少し前には
ただ別れるの。……不意気ぶいきだねえ、── 一石橋の朧夜に
とやはり春霞を引き合いに、お孝が婀娜あだっぽく述べる場面もありました。


湯島詣』『婦系図』『白鷺』『歌行燈』と、花柳界を舞台に物語を紡いだ鏡花。
その美の頂点とも、花柳情緒の結晶とも言える本作で、主役二人が春霞立ち込める夜に相見あいまみえ、否応なく運命は動き出します。

けれども葛木はのちに故あって姿を隠し、お孝は正気を失います。狂乱の彼女が纏うのは妹芸妓の長襦袢で、その色合いは「燃え立つと、冷い浅黄

この色彩は春のかさねいろめの一種である上〈緋色〉は〈火色〉とも呼ばれることから、そこにお孝の気性、物語のクライマックスの大火をも匂わせているという深読みも出来そうです。


◇◇◇


お孝が纏った緋色は春の色にしてはやや鮮烈にすぎ、やはりこの時期の赤い色には〈桜色
中紅色なかのくれないいろ〉〈桃紅色とうこうしょく〉など、柔らかさと明るさを備えたものこそ似合うように感じます。

菅原道真もまた、その名も麗しい
花時天似酔はなのときはてんもよへるがごとし》という漢詩にて、淡くすがしい紅色の花を讃えています。


春之暮月 月之三朝

天醉于花 桃李盛也

春の暮月ぼぐゑつ 月の三朝さんてう
天花に酔ゑへり 桃李たうり盛んなればなり

暮れゆく春の三月三日、天は花の色に映えて酔うように霞み、桃李の花が今を盛りと花開いている


◇◇◇


目の中いっぱいに広がる黄色から、艶やかな紅色まで。花の季節も進んでゆきます。
たとえどのような色であれ、それぞれの花の美しさに変わりはなく、命に限りのあることもまたしかりです。

花の色はうつりにけりないたづらに。
盛りの時期はほんの一瞬であり、じきに花弁やがくごと土の上に横たわり朽ちるのみです。

ですから最高の姿に出会える一瞬を逃さぬように、そのもとへと足を運び、春の一刻を静かに過ごしたく思います。

どうぞどなたも、あふれる春の花の多彩さを、存分に堪能なさいますように。
時には、岡本かの子の一句のように、その瞬間に心を傾けつつ。


桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命いのちをかけてわがながめたり



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