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鍋日記(2)

本日10月9日(月曜日)はラタトゥイユです。
昨日も作りました。
にんじん
なす
とまと
たまねぎ
ヒロインはホクホクの野菜。昨日はかぼちゃとじゃがいもが1:1。今日はかぼちゃ一種類です。

鍋じゃないけれどそんな細かいことはどうでもいいんです。



手紙を書く時間が好き。
どうしても今がいい。
ただ、誰にどんな内容を書いたらいいか思い浮かばない。

得体の知れない切なさは41℃の湯船みたいに、ゆるりと緊張をほどいていく。もうすぐ寝る時間。いろいろどうでもよくなってしまう直前で抗うことに決めた。

ずっと昔から抱いている哀愁は確実にどこかを指している。でも、ここから見えるのはまっすぐな光線だけ。まるでラピュタの飛行石みたい。

向こうに誰かがいるのか、あるいは人じゃない、ようやくここだと言える居場所があるのかもしれない。思えば何かを探しはじめたのもそれに気づいてからだった。

たびたび脳裏によぎる知らない景観はそれと関係がある。どこへ行き着くのかわからないまま、直感に手を引かれてまっすぐ歩く。

そういうわけで、光線の向こうにいる何かに宛てたメッセージを電波で送る。

 心もとないです。特に今の季節は危ないです。あまりの心もとなさにしんみり、だらしない日々を送っています。そちらも秋を迎えた頃だと思いますが、どう秋を過ごすのか知らないので今度教えてください。
 何においてもふがいないです。やるせない、無力です。ここまでかなり正直になってきたつもりですが、まだまだわたしは心を騙しているみたいです。目の前を過ぎる出来事に呆然としていると、あっという間に肩甲骨のあたりがヒュウヒュウうるさく鳴ります。ただ、そこを越えたら「それはそれなんだ」という風に、切なさを切なさのまま持ってどこかに行けるようになるんです。でも、今はそれを携える余裕がありません。だからと言って、一度感じてしまったものをわざと別の何かに置き換えたり見なかったことにしたりすれば、それなりの代償が返ってくると知りました。今はひとまず無理矢理カバンに仕舞い込んで、切なさの重みに振り回されてよたよた歩いています。
 薄暗い帰り道は寒い。いろんな家から夕飯のいい匂いがする。お風呂の窓から湯気が漏れて石鹼の香りがすることもある。わたしはよろよろ歌を口ずさんで歩きます。
 supercar『Lucky』
 supercar『hello』
 capsule『sugarless girl』
 安田成美『風の谷のナウシカ』
 本名陽子『カントリーロード』
 そうしないとひょんなことから魂が体から出ちゃって、もう二度と家にたどり着かないだろうという気がする。雨だといつもより人目を気にしなくて済むから助かる。そちらはどんな瞬間、人目を気にしなくなりますか?外にいる以上それはあり得ませんか。
 そんなこんなしんみり、だらしない日々でもすこしは可愛げがあるものにしたいんだ!それで『肉、魚、卵を何曜日に食べるか』作戦を思いついた。どんなんかというと、土日月は卵、火水は肉、木金は魚。自分なりの心の落ち着き所があればいいなと思って。ほら、ときどき小学校にあった変な決まり。持ってくる給食用ハンカチの色が決まっていた、とか学年ごとに上履きの色が決まっていた、とか。ちなみに、肉魚卵を選んだ理由は単純にごついから。開始からもうすぐ一週間が経ってそろそろ効果が出てきた。すぐ飽きる気がするけど(笑)。
 そろそろ長くなった拙い文もここらへんで終わりにします。読んでくれてありがとう、お元気で…。



最後にラタトゥイユの隠し味
 バターは、スーパーで買った。デンマークのちょっといいやつ。
 唐辛子は、アジアン食料品店で買った。パッケージにアラビア語。
 もちろんチーズ投入。


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