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鍋日記(1)

はじめに言っておくと、写真は全然関係ない。関係ない話からはじめる。鍋と関係ない話が長い。鍋を作りながらいろんなこと考えたから。

 2022夏、三重県紀北町の船津、小松原住宅101号室。今もキャンペーンはやってんのかな。町が地域を活性化しようと、短期間(最長3ヶ月だったはず)月2?3?万円(家具家電・光熱費水道費込み!)で入居者募集していた。「とりあえず住んでみて!」という素晴らしい魂胆。
 町はとても気に入ったので多分2~5年以内に周辺で暮らすと思う。ただ、昨年は尋常じゃない数の虫に夜もゆっくり眠れず暮らしたので、次はそれなりに新しい綺麗な1階じゃない部屋を借りよう。綺麗好きな母のもと東北育ちの自称「虫、大丈夫系女子」わたしは役場の人の「虫、結構いますけど大丈夫ですか?」にYESと即答してしまった。
 次は尾鷲がいいな。小さな港町にお洒落な喫茶店が以外にもたくさん密集している。入り組んだ路地には趣のある古い商店が並ぶ。朝から日が暮れるまで散歩しても飽きなかった。潮風と照りつける日差しの下でひたすら歩いた。当時ハタチになったばかりの自分は何を考えて過ごしていたんだっけ。

 夏が終わるあたり、三重県を発った。アルバイト先を契約の途中で辞めてまでしても、やっぱりどうしても北海道で秋を過ごしたかった。辞めた時のことについては「若樹命・『ワカメちゃん』のこと」にすこし書いている。北海道には中学3年生の頃、父が連れて行ってくれた。当時も秋だった。15歳のわたしは不登校特有の陰鬱を全うしていた。絶対にいつかここに住もうと思った。それが5年越しに叶った。わたしにとっては休学も不登校のようなもんだった。二度目の不登校なので陰鬱に支配される心配は無かった。しかしそれはいつだって不登校にツキモノで、立ち止まるとすぐ後ろから薄暗いそれがあっという間に迫ってくるのを感じる。怖くて怖くて、ただひたすら前を向いて走っていた。倒れそうになったらあわてて走りたくなる理由を探した。
 現在2023秋。未だに去年の旅のことを「去年の今頃は・・・」と思い返してしまう。今年2023春に復学した。そん時に「夏までならいいよね」とあえてやめるまでの執行猶予を出したのに、結局ズルズルとやめらんないまま秋が深まってきてしまった。関東でも夜は上着が欲しいくらいに気温が下がってきたのだから、北海道ではもっと寒いだろう。去年の今頃はデニムスカートばかり履いていた。というのも、デニムスカートのイメージガールになろうとしてデニムスカート以外の下はあまり持って行かなかったんだ。昔からの癖で、ある日突然何かの「イメージガール」になりたがる。
 北海道はただなんとなく小樽市を選んだ。シェアハウスはジモティーで見つけた。ここはまあまあ有名な港町で、いろんなお店があった。日が沈むと運河に沿った並木に巻かれたLEDがパッと点いて、淡い橙色が周辺を照らした。よく散歩した場所はそこの運河と商店街周辺。寂しい日(大抵そう)は長い商店街の先に続く大きな道路をずっと行って南小樽のでっかいイオンに向かう。誰もいないだだっ広い駐車場を一人で歩いたり走ったりした。大型トラックがブオンブオン、ナウシカに出てくる王蟲みたいに光って通り過ぎる。イオンの正面玄関に置いてある飾り物の岩に寝そべる。そこで星を眺めていたら夢で見た景色と重なった。デジャヴじゃない、本当に夢で見たんだ。すると不意に宇宙と交信しようと思い立った。なんだか成功した。成功したかどうかは直感と体感でわかった。今後の人生を覆す決定的な出来事だったけれど電波のわたしには関係ないからこれ以上は書きたくない。詳しくは生身のわたしが知っている。
 ここでも喫茶店が多かった。たしか旅の拠点は喫茶店が多いかどうかを基準に探したような気がする。いろんな店に行った末、心に残っているのは南小樽にある『喫茶室ラブラド・レッセンス』。去年の冬、楠本直子名義で手紙を出したっきりだ。1~2年以内にまた行くつもり。そしたら何ともない顔でいつもみたいに本を読もう。旅の間は手紙をしょっちゅう、だいだい週1の頻度で。ゆっくりカフェに入り浸るついでにしたためるのが楽しみだった。けれど復学してからだんだん減ってきている。伝えたい事はたくさんあるのに相手に送るにはとても陳腐な内容で、もどかしい想いを抱えながらPCの㊙ファイルや秘密ノートに記していた。ほとんどの返事は来ない。前はそれでもよかった。相手のもとに無事届いたのならあとはどうでもよかった。あれ、いつから返事が楽しみになったんだっけ。

 今は誰かに特別伝えたい事がない。そういう重低音なトキメキが湧かない。おそらく、しばらくは湧かないんだろう。最近はナオコと仲が良い。ナオコが空想上の友達になったのは今頃だったかな、いやもうすこし先、そこを発つあたりだった。ちょうど新しく彼女が友達になってくれてよかった。そうじゃなかったらかなり辛かったはず。愚直にも白状する。なぜなら恋をしていたから。「今、お前は誰だ。」と頭の向こうから聞こえてくる。そんなのどうでもいいのにね。わたしは彼が好きだった。手紙の返事を楽しみに待つようになったのは彼が分厚い封筒をくれるから。ポストを開けてそれが入っていると思わず「あは」ってはにかんでしまう。
 毎日のように辛い鍋を作った。家電が好きじゃなかったからなるべく他の物で体を温めようとした。それでも秋も終わりに近づくと耐えきれず、とうとうヒーターを焚いた。今の季節はただでさえ胸がシンとするのに彼を想うと尚更冷たくなって唐辛子をドバドバ入れた。台所にカプサイシンが蔓延してゲホンゲホン咳が止まらないのにやっぱり毎日のように唐辛子をたくさん入れた。じきに同居している女性がやってくる。やっぱり同じようにむせるのでわたしはいつも「ごめんなさい」と苦笑いした。優しい人で「大丈夫よ」と笑ってくれた。庭に生えていた唐辛子の色は赤、オレンジ、緑。つやつやした唐辛子を見るのは初めてだった。暗くなる前に濃い赤のをもぎ取って冷蔵庫に入れて置いた。当時は赤からの素、スティックタイプを使っていた。今年の夏、初めて赤からの店舗に行った時は子供みたいにワクワクした。たまには、家でも作れる物を外で食べるのは楽しい。でも、なんだかんだ鍋は家が落ち着く。それで最近久しぶりに食べたくなって近所のスーパーを何件か探したけれど液タイプばかりだった。またそれでとある挑戦を思いついた。今年は鍋の素を使わず、なるべく家にある調味料でそれっぽい味にしよう。
 こんな挑戦に取り組んで3日目、おとといは辛味噌、昨日は赤から風。鍋の素って見れば見るほど美味しそうでつい手が伸びてしまう。しかしそうはいかない、でもいろんな味が食べたい。ルールじゃ鍋の素は禁止。ならそれ以外ならいいのではないでしょうか…。本日10月7日の夕飯は坦々鍋。かなり美味しかった。味付けはごまとわかめの粉末スープ(リケン)、豆板醬、醤油、味噌、オイスターソース、唐辛子少々、花椒。昨日までは粉末なんちゃらを入れるの躊躇していたけれど、一般の鍋の素(坦々味)と比べてみると健康的だからいいか。〆は蕎麦。残ったスープにほんの味噌と豆板醬、チーズを加え、卵を落としてすこし煮る。火から下ろしてあらかじめ茹でた蕎麦をまぜたらなんだかカルボナーラみたいになった。


「去年の今頃は・・・」と思い返すのは今年が華だと思うので好きなだけ思い返してもいいよ。来年はまた今年を思い返すんでしょう。

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