優しさ の話の続き

人それぞれ、何を優しさと思うかは違う。
その人の生い立ち、環境、立場など、様々なことで変わってくる。
そしてその考え方は、時間と共に、経験と共に変わっていくものだろう。
今の、私の優しさに対する考え方は、バイトの話で触れたとおり。(豊かな想像力に伴う、行動)

私って優しい人間ではないよなぁ、と最近ふと感じた。
恥ずかしいような気もするけど、少し前まで、私は自分自身を優しい人間だと思っていた。想像力を働かせて、人を思い遣ることができる。味わった痛みや苦しみを忘れずに、人に寄り添うことができる。たぶん、人より想像力が豊かなお陰で、優しいと感じられていたんだと思う。有難いことに、友達から優しい人だって言ってもらえたこともある。

でも、私は、優しい人間なんじゃなくて、優しさを使いこなしている人間、なんだと思う。
なんていうか、性格として優しさを兼ね備えているというより、能力として優しさを持っている感じ。
前段落の文章を見てもわかる。
思い遣ることができる。寄り添うことができる
できる、って能力だよなぁ、と尚更実感してしまった。

想像力が豊かであることは、備わっていたものな(どちらかというと性格より的な)感じがあるけど、その先の行動は、ちょっと違うテイストな感じがする。うまくいえないけど。

だからこそ前バイト先で聞かれたとき、私の回答は、優しさとは想像力が豊かなこと、で止まったんだろうな。

優しさを使いこなしていることが、優しくないことか(悪いことか)と言われれば違う。
信用している友達がもしそうだったとしても、私はその人のことを優しい人間じゃないなんて絶対言わない。

ただ、私は私を優しい人間だと思えなくなった。別に、だからといって何が変わるわけでもないけど。急に腐ったりなんかはしないけど。

勿論、私自身も優しくない人間ではない、とは思っている。むしろ人よりも優しさは持っている。はず。

素直に人のことを想える。

それこそがもしかしたら、本当の、優しさなのかもしれない。

いや、、もしかしたら、この前の、自分がどれだけ犠牲になれるかって方が、的を得てるのかもしれない。

ううん、、これは永久に答えは見つからんやろうなあ。

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