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大学は本当に人生の夏休みだった

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最近の記事

全身麻酔手術をうけたはなし

意外と貴重な経験(もちろん出来ることなら経験しない方がいいけど)だと思うので、メモ程度に書き留めておこうと思い、noteをひさしぶりに開く、、、思いつきで書いてて、自分用の記録。。 現在手術が終わって、というか病室に戻ってきて3時間半くらい。もう酸素も点滴もモニターも取れたし、トイレにも自力歩行でいけた。 まったくもって命に関わるようなものではなく、特に緊張してはなし。前日夜も、普段より少しは眠り浅かった気はするけど、ちゃんと寝れた。 食事は当日0時から絶食、水分は朝7時

    • 立ち回りがいいって悪いこと?

      きのうのよる、立ち回りがいい自分が、苦しくなった。 普段は、そんな自分は嫌いじゃないのに。 働き出して、私は一段と立ち回りがよくなった。職業柄なのもあると思う。人を嫌いになることがずいぶん減ったのもある。どちらかというと前者が大きい影響を与えている、と思う。 立ち回りがいいって、世間的にはあんまりいいイメージはない気がする。八方美人ともいえる感じ? でも、自分的には、ずる賢く上手に、生きてるなあって感じがするから、嫌いじゃない。人間らしさがあるというか。 (人から見れば

      • 優しさ の話の続き

        人それぞれ、何を優しさと思うかは違う。 その人の生い立ち、環境、立場など、様々なことで変わってくる。 そしてその考え方は、時間と共に、経験と共に変わっていくものだろう。 今の、私の優しさに対する考え方は、バイトの話で触れたとおり。(豊かな想像力に伴う、行動) 私って優しい人間ではないよなぁ、と最近ふと感じた。 恥ずかしいような気もするけど、少し前まで、私は自分自身を優しい人間だと思っていた。想像力を働かせて、人を思い遣ることができる。味わった痛みや苦しみを忘れずに、人に寄り

        • 自分の普通に「瞬時に」疑問を持てること

          これもまた、現バイト先での話。 お客さんに瓶ビールを出すとき、私が栓を開けて渡す。 マンボウが明けて、今のバイト先で働きだして2回目の夜営業の日。 何も考えずにコブラビールの栓を開けた時、店長にえ?とびっくりされた。 私は、栓抜きの上側のツメを、栓の王冠にひっかけ、下向きに力を加えた。 普段栓抜きなんて使わないので、店長が驚いた反応を見て、あ、これは違う使い方なのか~ってすぐに思った。てこの原理を考えてこうすれば開くよなって感覚で開けただけだったし。 どうが正しいです

        全身麻酔手術をうけたはなし

          優しさ

          優しさって何だと思う?って、バイト先のお客さんに聞かれた。(深夜バイトの所じゃなくて、4年生から始めた新しいバイト先) なんの話の流れだったかは覚えてないけど、私も結構お酒が回っていたころだった。 その時私は、想像力が豊かなこと、と答えた。 でも行動が伴わなかったらダメじゃない?って言われた。確かにそうだ。そうだなぁと深く納得した。 だから、私の思う優しさとは、想像力が豊かで、それに伴う行動ってことで落ち着いた。 想像力が豊かっていうのは、相手の立場になって考えること

          優しさ

          深夜バイトの思い出

          私は大学2年生から始めたバイト先で、約1年間、深夜帯に働いていたことがある。 元々夜型人間で、2時すぎまで起きていることはよくあったから、時間帯に抵抗はなかった。 20時か22時かに入りで、家に帰りつくのは大体3時半前後。友達と遊ぶことやサークルなど、人と関わる用事に影響が出るのが少ない時間帯なので、私は深夜帯に働くことは結構好きだった。(今は体力持たないから、無理と思うけど。よく週3で働いていたなって気持ち。) コロナ禍による人件費削減で、深夜帯は本当は3人配当なんだけ

          深夜バイトの思い出

          日常にいないであろう私が、彼女の話したいと思える相手として浮かぶこと

          私のある友達からかかってくる電話は、ほとんどが突然。電話の約束をしているわけでもなく、何の予兆もなく、急にかかってくる。 多くは夜中3時とかにかかってくるけど、その時はわたしも何故だか起きていて(深夜バイトしてて元々夜行性だってのもあるけど)、起きてるのがバレてるんか?と毎度なんとも不思議な気持ちになる。 私たちは普段ラインはしてないし、会うのも年に一度あるかないか。 高校卒業まではお互いの日常にお互いがいることが当たり前だった(少なくとも私はそうだった)けど、今は違う。そ

          日常にいないであろう私が、彼女の話したいと思える相手として浮かぶこと

          音楽と私

          今まで 自分が音楽を続ける理由 なんて意識したことがなかった。気づけば生活の一部になっていて、自分のそばにいつでも当たり前のように存在していたからだと思う。 今更なんでこんなことを考えたかって言うと友達(高校で軽音やってたけど今はつづけてないひと)とカフェに行った時、そんなたぐいの話になったから。 街の中で流れる大好きなアーティストの歌、家の中で何気なく聞く曲、ドラマの主題歌やCMソング、いろいろな形で、私は音楽と共に日々を過ごしている。そして、小学校の頃から高校までピアノ、

          音楽と私

          どうしようもないこと

          自分次第で日々の楽しさは変わるし、充実度は変わると思ってた。 動いたり、考えたり、何か自分でアクションを起こすことで変えられると思ってた。 だからこそ自分は行動してきた。 でも、最近は環境に支配されている部分は大きくて、どうにもできないこと、どうしようもないことで溢れてるんだなと気付かされる日々を送っている。 自分の力じゃ変えられない時、どうしたらいいんだろうな〜。 状況に身を任せて過ごすには、あまりに残された時間がなさすぎる。

          どうしようもないこと