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平和への祈り。平和記念公園と原爆ドーム

広島市に宿泊した際、平和記念公園と原爆ドームを訪れました。
広島城を訪問したときの写真は↓


原爆ドーム

紙屋町西から原爆ドームを訪れました。

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たまたま原爆ドームが修復中で足場が組まれていました。長く残していかないといけないので必要な作業だなぁと。

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爆心地となった原爆ドーム、ここまで形を残しているのはすごいです。むしろ真上だから力が分散したようです。
しかし残念ながら働いていた人は皆亡くなってしまい、このドームだけが残りました。

平和記念公園

原爆ドームから平和記念公園に向かいます。

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原爆ドームから元安橋へ。

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元安橋とリフレクション。
映画「この世界の片隅に」でも出てきました。原爆からもっとも近い橋だったにもかかわらず落下することはなかったそうです。

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公園側から(別日のため曇り・・・)

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慰霊碑と平和の灯(ともしび)

1964(昭和39)年8月1日点火されて以来ずっと燃え続けており、「核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けよう」という反核悲願の象徴(広島市

この日を消す火が来るといいですが、世界はまた核を持つ流れになってきているように思い悲しい限りです。

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慰霊碑と原爆ドーム

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原爆の子の像

最初は何気なく写真を撮っていたのですが、平和記念資料館に行って知りました。
2歳の時に被爆した少女が小学生の時に白血病を発症し、亡くなってしまいます。こういったことは他にもたくさんあったでしょう。1件でもつらいのにこういうことがそこかしこにあったかと思うと地獄ですね。。。

平和記念資料館は是非行くべきだと思いました。
資料をじっくり見て回ったところはあまりなかったのですが、こちらは一つ一つ見て回りました。まわりでは泣いている方も多かったですが、本当に胸を締め付けられました。

それでも平和の灯は平和への祈りであって、今後こういったことがないように、という切なる願いです。
私は展示を見ているうちは憎しみの火なのではないかと思ってしまうほどの地獄があのときの広島には広がっていたのです。
そんな目にあいながらもなお、誰かを恨むのではなく平和を祈るのは相当なことだと思います。
私の家族と思っていたペットのわんこが車にはねられたことは、いまだに交通事故を減らそうというような気持ちに昇華できていません。恨みつらみを感じることがまだあります。
私が当時の人として生き残ったら、こんな切なる願いまで昇華できていなかったような気がしてなりません。

原爆は破壊力を調べるために、アメリカ軍は広島市への空爆をやめていたそうです。また、原爆の破壊力を最大化するために地形を調査した結果広島市になったそうです。
そんな風に淡々と地獄が生み出されたかと思うとぞっとします。
原爆に限らず、きっと戦争はそんなふうに数字を眺めて意志決定されていき、現地では生活がめちゃくちゃにされていくのでしょうね。

いま世界中でぎすぎすしてきていますが、どうか暴力で解決するようなことのないように。。。

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帰り道の元安橋

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