見出し画像

なぜヴィーガンは過激な主張をするのか

先日、SNSで話題になった肉フェスでの出来事である。

なお、肉フェスへのヴィーガン侵攻は以前から行われている。


ヴィーガンとは

ヴィーガンとは、完全菜食主義者と呼称される。
ベジタリアン(菜食主義者)のカテゴリに分類されるもののうちの一つだそうだ。

単に「自分の体の健康のために野菜多めに食べる」などという自己中心的な思考ではなく、環境のため・未来の地球のためという大いなる使命を背負って菜食主義の道を歩むものも少なくないようである。

「完全」とつくだけあり、ヴィーガンが最もベジタリアンの中で先鋭的である。動物性のものを口にしないだけではなく、身の回りのものも徹底して「ヴィーガン用品」に拘る人もいるようだ。

そもそも、人間は雑食の生物だ。
植物も動物の肉も両方摂取することで、健康を維持出来るようデザインされている生命体なのだ。
「完全」菜食だの「完全」肉食だの、偏った食事が体に良いわけがない。
それに、人間の社会は雑食の生物たる人間に最適化されている。
社会生活を送る中で動物性の食事を一切摂取しないというのは、なかなかにシビアで周囲からも「ソレ系の人」とみなされることを覚悟しなければならない。

故に、ヴィーガンであることを諦めた。という人もいる。
女優のアン・ハサウェイが有名だ。
他にも、ヴィーガンをやめたという意思表明をSNSでしている一般人もいる。
早い話が、ヴィーガンという生き方はいばらの道なのである。
それが、彼らから過激派が現れる一つの理由だと思う。

考えてもみてほしい。
焼肉だのマックだのケンタッキーだのを愛し、奔放な食生活をしている人間が「肉フェスで過激なパフォーマンスをして仲間を増やそう!」とは思わないだろう。
ヴィーガンは苦しく、辛いのだ。

食生活と宗教

古来より、宗教は人間の食生活に一定の制約を課してきた。
コレは食べてはいけない。アレも食べてはいけない。
そういう縛りは多かれ少なかれ、大体どの宗教にもある。
なお、精進料理はヴィーガン料理と言われるように仏教徒は肉を食べることを禁じられている。
宗教においては厳しく己を律することが、徳の高さ・信仰心の高さを表すのだ。
そう。ヴィーガンの厳しすぎる食生活の縛りルールは宗教を彷彿とさせるのである。

ヴィーガンについて説明されているwebページでは、ヴィーガンになる目的の一つに「環境のため」というワードが必ずと言っていいほど記載されている。
つまり、彼らは「今ここに生きている自分の身体」よりも「地球環境」という大いなる概念のためにヴィーガンという生き様を選択しているのである。

なので、ヴィーガンに属する人はこう考えている。
「ヴィーガンになる人がもっと増えれば、地球環境はもっとよくなるのに」と。
故に肉フェスに出ばったり、ケンタッキー・フライド・チキンの店舗の前で街頭演説を開催したりと、勧誘活動に熱心なのだ。
彼らは大いなる目的のために、同じ志を持った同士を増やそうとしているのだ。
いわば、世界を救う使命を負った勇者が仲間探しの旅に出かけているようなものだ。
ヴィーガンに良い感情を抱いていない、あるいは興味がない民衆からすると理解不能だろうが、彼らは「地球環境問題という大いなる課題に率先して取り組む先進的な思想を持った、善き人」とヴィーガンを定義づけているのだ。

まあ早い話が、宗教勧誘だ。
彼らの過激なパフォーマンス、一般的な食生活を行っている民衆を煽っているような言動は「我々の方が正しいことを信じているから、仲間になりなさい」というメッセージなのだ。

ポジティブなパフォーマンスをしない理由

以下のポストを見て、私は少し考えた。

美味しいヴィーガン料理を出してくれれば、ヴィーガンに興味を持つのにな。
おおよそ、そういう考えだろう。
しかし、ヴィーガンは絶対にそんなことはしない。
なぜかといえば、美味しいヴィーガン料理はどこまでも一般的な食事の劣化版に過ぎないからだ。
「ヴィーガン料理にしては美味しい」のレベルであり、しかもオリジナリティ等なく、面白いことに肉の模造品等が出てくるのだ。

フェイクミート。つまり、肉のように見えるが動物性由来のものを使用していない食品のことである。
そう。どこまでいっても「ヴィーガン料理で美味しいもの」は一般的な食事の真似事でしかない。

思想も主義も持たず、ただ己のために食事をする。
という考え方をするヴィーガンではない人々に、どんなに美味しいヴィーガン料理を持って行ったとしても
「まあ本物の肉の方が美味いね」と一蹴されて終わりになることをヴィーガンはよく知っている。
なので「美味しい」というポイントよりも「環境問題に効果的」という主張を強く行うのだ。

何より、この情報社会で無視出来ないのはヴィーガンになったことで健康を損なった人々の話だろう。
人間は雑食なので、偏った食事をし続けていると簡単に健康を損なう。
ヴィーガンは相当な栄養知識がなければ、健康被害が出やすい食生活だ。
故に、ネットでは「ヴィーガンを続けた人が肌も髪もボロボロになった」等の情報が出回っている。
それを見た、ヴィーガンではない人々は「うわぁ・・・ヴィーガンってやっぱり体に良くないんだ」と考える。

ヴィーガンは「ヴィーガンは環境によい」ことを勧誘活動において最も強調すべき特色であり、且つ最もヴィーガンを増やせる要素だと考えている。
そのため、「ヴィーガンではないものは環境によくないし、道徳的に正しくない」というメッセージを伝えるため
ヴィーガンはわざとヴィーガンではない人々の神経を逆なでするような過激且つ不愉快なパフォーマンスを行っているのである。

ヴィーガン食は結構おいしいだの、ヴィーガンはこんなに立派な行いをしているなど、そういうことを主張してもほとんどの人は全く意に介さない。

ヴィーガンは激怒しているのである。
「こんなにも素晴らしい行いをする我々の仲間にならないお前らは、人間として終わっている」と。

また、彼らは人間はポジティブな情報よりもネガティブな情報を記憶しやすいという人間のメカニズムも知った上でパフォーマンスを行っている。
不愉快千万極まりないと罵られても、ヴィーガンという素晴らしい思想を風化させないために彼らは必死なのである。

動物を殺して食らっていることから逃げるな

私はヴィーガンではないが、屠殺という行いをしている人がいることや「動物を殺している」という意識が薄い人ばかりであることは問題だと思う。
ヴィーガンの過激なパフォーマンスは、あまり良いものだとは思わないが
彼らの行いを野蛮だの、不愉快なものを見せるなだのと罵り
「道徳的に正しくないこと、自らの正義及び道徳とコンフリクトを起こすことを暗に認めた上で自由な食事を享受していること」から目を背けることも同じくらい良くないと思う。

ヴィーガンは本気だ。
本気で「肉食しないことが善」という価値観を根付かせようとしている。
それに対抗するためには「肉食するために避けて通れない、動物を殺して食らうという行為に対する筋の通った考え・価値観」を確固として持たなくてはならない。

人間は雑食の生物だ。
特にヴィーガン食は子供の発育に悪影響を及ぼすことが知られている。
ヴィーガンの思想を我々は押しとどめなければならない。
未来永劫と続く子孫の食生活を守るために。

そして何より、古来より連綿と続く「他の生命を食らうという行いは、あらゆる動物の生命維持活動である」という当たり前の営みを否定してはいけない。
我々は、動物なのだ。
生きるためには殺さなければいけない。
その冷徹な真実から目を背けることは、人類のためにならない。
道徳という概念を造り、ソレに生命線を断たれたのではお話にならない。
非道徳的である行いを、堂々と「正しい行い」と肯定できなければ、確実に「肉食は悪行、肉食しないことは善行」というヴィーガン思想に世界は塗りつぶされる。
異教を異教たらしめるのは、確固たる信教のみである。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?