高尚さについて

多分「誉」って言った方が分かりやすいかもしれない。
ただ、それは目的に必要かって事、あったりなかったりする。

ただの身の上話なんだけど。
俺は若い頃、周りがやってほしいと思う事をやろうとしていたし、周りが欲しい反応を頑張って探して、そういう風に動こうと思っていた。
自分は、そういうズレた高尚さを持っていたんだけど、ある時、そんな事をずっとしていたら周りに誰もいない事に気付いて寂しかった。
自分なりに頑張って人を想っていた事が全部無駄な感じがした。
頑張って会話したり、お酒飲んだり、会計の時に「いやいやここは俺が」みたいな、そういうのが全部無駄に思った。

そして、ずっと腐っていたんだけど、ある日、音楽を聴きながら悪態をついていたら気が付いた。
「”こうすればもっと良くなる”というのが見えていて、DAWも使えるのに、どうしてそれを具現化しないんだ」という風なことを考えた。
その時から、自分は自分の為に生きるという考えが生まれて、無駄に思う事、自分が生きる為に必要だと思っていた「高尚さ」を一旦全部捨て去ってしまおうと思った。

Ghost Of Tsushimaやってないからあんまり下手に使うべきではないのは分かってるんだけど、これが俺なりの「誉は○○で死にました」というなんじゃないか。

実体験として、現代においての「誉」、「高尚さ」というのは、とても身近なところで言えばAI生成だと思うんだけど、それを使わない事が高尚だと思わない方が良いと自分は思う。
そういう制限する美しさ、高尚さを捨て去って、捨て去りきってそれでも尚辿り着けない領域というものは、間違いなくある。
音楽も、スポーツも、将棋やプログラミング、Youtuberだってそうだと思う。
文明人って、そういう事をして必死に頑張ってるのかなと自分は思う、だからむしろ「誉」とか言ってやらないのは自分を縛って勝手に苦しんでて可哀そう。
現実において誉は捨て切ってからが本番。
その高尚さを捨て切った、俗に染まった自分の中にある、どうしてもやめられない事、やってはいけいないという考え方が頭から抜けない事があると思う。
例えば人を馬鹿にできないとか、人を殺せないとか、ちゃんとバズりそうな音楽を作れない、人気者みたいに振舞えないみたいな。
多分、それが本当に、本当の「高尚さ」、「誉」なんだと思う。
悪く言えば、自分の最も愚かな部分というか。
でも、そこまでして捨てられないなら、それほど大事なんだと思うわけです。

じゃあ、残ったそれらは捨てられるその日まで大事にしておきましょうって感じで。

一旦で良いから、肩の力抜いて、好きなようにやってみたら良いじゃないって話でした。

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