「数の民族」について

ありがとうございます。
5000再生が多いのか少ないのか全然分かんないんですけど、節目はめでたいというのが風習としてあるみたいなので、報告でした。

「数の民族」自体、結構挑戦する事の多かったアルバムだなぁと今思えば。
文庫本みたいなアートワークに、空洞で構成された物語性。
人間的なコンセプト。
「みんなで一緒にアルバム通して聴こうぜ」という機会を作ったりした。
どうせみんな「悪癖」しか聞かないで、そういう歌モノだけがcallasoiledの全ての様に語られて、そういう物ばかり期待されるのにウンザリしていたから。

歌は入り口。
その先が俺の本質なんだって事を言いたかった。

そういう主張を持たせるのは、自分の価値観には反していたが、それをしたくなる程、自分は人に失望していた。
そういうジレンマの連なりを剥き出しにしてやるぞという挑戦だった。

今ならもっと、人が寄り付かない程にブルータルにアプローチ出来ると思える位の精神的な雑さを持ってるのは「数の民族」的な温和な、日和ったアプローチでは伝わりきらないという実績からなのかも。

でも、今もそんな風に思ってはいないから、やらないけど。

今は、もっとこう、マーベルのスタンリーみたいに、真剣に馬鹿げた事がしたい。
主張とかよりも、「こんな事したらどうなっちゃうんだろう」みたいなアイディアの方が多い。
そういうものを、ニヤけながら、ウキウキしてやってみたい。
そしてそれらを、あわよくばみんなに「面白い、興味深い」と思ってもらいたい。

「数の民族」は、そう聞くと、やっぱり厳かなイメージを持つかもしれないけど、全曲を一緒に試聴するという事をやった時に、「LETS GOOOOOOO」だの、なんだのっていうコメントがあって楽しそうだったし、そんなんで良いんだよ。

好きなように聴いてくれ。

「悪癖」ばっかり聞くのも全然良いし。
ただ、自分はそういう意図があった事も知っておいてほしいというか。
知っておくだけで、何もしなくて良い。
人の為に音楽を聴く事ほどつまんない事無いからね。

「悪癖」に飽きて、他の音楽を色々聴いて、しばらくしてふと戻ってきた時に、またそういう意図があった事を思い出すことが出来たなら、ちょっとほかの曲も聴いてほしいなっていう、そんな気持ち。

単曲で買われてしまうと、そういう、未来で自分をまた見つけられる事さえ叶わなくなってしまうから、あえて絶妙に値段を高くしてみている。

そういう実験もある。

けどまぁ、歌、良いよね。
言葉があるし、分かりやすいし。
聴いてくれている事が一番ありがたいです。

そんな感じでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?