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愚痴の取り扱いに関して、考えてみた。

愚痴って、たまたま聞こえただけの第三者だとしても、受けるダメージって結構ありますよねぇ。



昨夜も少しの早寝をしたおかげで、目覚めのいい朝を迎え、シャワーを浴びてサッパリとし、天気がいい(むしろ暑すぎる)こともあって、ちょっと機嫌良く出勤できました。

就業時間前に、程よくエアコンが効いた更衣室で涼んでいたところ、入ってきたのは他店舗のスタッフさんがお二人。
※複数の店舗で同じ更衣室を使っています

「お疲れ様で~す」なんて穏やかに挨拶を交わすけど「うわ、この人たちが来ちゃったよ」と内心でため息が出てしまいました。

なぜかと言えば、この方たち、グチがめっちゃ多いんです。

内容は職場で起こったことばかりなので、こちらにはまったく関係ないんですが。でも聞いててやっぱり気分は良くないよね?


今日もまた、入ってくるなり職場の人やお客さんに対してのグチがこぼれます。聞くつもりは全然なくても、小声じゃないので丸聞こえなんですよ。

朝から機嫌がよくて満タンだったはずの「気力ゲージ」が、見る見るうちに減っていく感じがします。体感として100%が70%を切ったあたりで、更衣室から離脱に成功。思わず大きなため息をついてしまいました。


言いたくなる気持ちはね、分からないわけじゃないです。むしろ同じ接客業として、よーく解るつもりではあります。

だけどね、せめて話の通じる身内の間だけでやって欲しいと思うのです。だってお客さんの話までしてるんだもの。そのお店に、わたしが「客として」行くこともあるわけだし。もし、裏でそんなことを言われているのかも? と思ったら、イヤよね?


これがもしnoteだったらどうか?


個人的な意見としては、アリかな、と。

思いのたけをぶつけた生のままの文章は、共感や同意、同情を得られるかもしれません。
コメントで反対意見が出てくれば、他者の異なる視点を交えることで話題が広がるかもしれません。

書き方によっては、エンタメや芸術に昇華できるかもしれません。

そもそも、note(やブログ)であれば、本人が「書きたいことを書いた」だけであって、読み手には「読む・読まない」の選択肢があります。
これが、周り(場所)を顧みないのであれば、全方位への無差別攻撃になるんじゃないかと。
ダメージを食らった側として、そう感じたのでした。


思ったよりもダメージは浅かったので、すぐに気分も浮上しましたけどね(睡眠時間が増えたからかな?!)。
人のフリ見て何とやら。
自分も気を付けないとな~と思ったのです。


それでは今日も一日お疲れさまでした。
おやすみなさーい。

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