見出し画像

個性とテクニックの境界線、の話

YouTubeで『メイク動画』を見ました。

『メイク動画』とは、その名の通り『YouTuberさんがメイクをする動画』です。内容は、化粧品の紹介だったりメイクの仕方だったりと色々あります。
女性の舞台裏の話になるので、細かい話は置いておかせてください(笑)。

先日視聴したのは、『配信者が、その界隈で有名な方をゲストに招いてメイクを学ぶ』と言う内容のコラボ企画でした。

ゲストさんのアドバイスを聞きながら手を動かし、たまに手を出されたりしながら、ちょっとした小ネタや小技などを交えてキャッキャと楽しそうに動画が進んでいきます。

そして完成へ。
一つ一つのテクニックは、女子力が欠如しているわたしにはナゾなものもありました。
「ここでブラシをチョンって置いて」「一回だけブラシでサッと撫でるように」……などなど。
一見しただけでは、違いが全く分かりませんでした。
お恥ずかしい。

ですが、ビフォーアフターを並べてみると、その差は一目瞭然。
もともと可愛らしい方でしたが、さらに輪をかけてキレイになってるんです。思わず「おおおおおお~~~っ」って感嘆の声がもれましたよ。

そのあと、お二人が並んで映って「大成功ですね~」と笑っていましたが……驚いたことに、その顔が【瓜二つ】だったんです。
当然ながら、素は全然似てないお二人です。
きっと、ゲストさんに似合うメイクをそのまま使用しているので、同じ顔が出来上がったのだと思います。

再現性スゴすぎる……と、感嘆したんです、が。
配信者さんの元々の良さが消えたのが、ちょっと寂しく感じてしまったんですね。勿体ないなぁって。
とは言え、いくらゲストさんの腕がいいからと言ってプロではないので、そこまでを望むのは酷な話です。

ただ、これって、何にでも当てはまることだなぁと思ったわけです。

例えばライティング。

ある程度は文章の基本・基礎を学ぶ必要があります。その後は、読んで書いて学んで読んで書いて学んで……を繰り返すことによって、自分の『型』を作っていく流れになるんでしょう。
この辺で、文章術の本を読んでコツやテクニックを追いかける人も出てくると思います。

そのとき、仮に、多大な影響力を持ったインフルエンサーが書いていたことだったとしても。内容・テクニックを、鵜呑み丸のみにしてしまったら、そのインフルエンサーの真似っ子にしかなりません。

「真似することが上達への近道」とも言いますし、上手く呑み込んで、自分のモノにできればいいんですけどね。

インプットとアウトプットを、試行錯誤しながら繰り返してみる。
そうすることで、ようやく『個性』と言われるようなモノが、ひょっこりと顔をだし始めるんじゃないかな、と思ったんです。

『テクニック』に呑み込まれて、せっかくの『個性』が消えてしまったとしたら、とっても勿体ないですよね。

たまには立ち止まって、自分の立ち位置を確認することも大切だよなぁ、と思ったわけです。

「歩いて」「止まって」「少し」「進んで」
のんびりでいいから、毎日少~しずつ進んでいきたいものですね。

この記事が参加している募集

noteのつづけ方

noteの書き方

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?