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恋文とルッキズムを読み解く 過去の雑文より



「個」を確立してる人って
やはり すごいな


アーティストの曲とかもそうだけど
本人じゃないものを見て その人だと思ってしまう「個」ってすごい

時々、純もフラワーアレンジした写真で
純さんだって分かるって 言ってくれる人がいて
そういうオリジナリティーのようなものが
知らず知らずのうちに 形成されているのだとしたら
おもしろい

ちなみに フラワーアレンジの写真はここでは
あまり載せていないが
過去の記事の

feel your pain

という場所にノートに貼った薔薇のアレンジメントの写真がある
こういうアレンジメントを幾つも作成していた

どさくさに紛れて 絶対領域の自撮りもあるが(笑)

けれども、文章だけは
その時の気分で振り幅が広いので 
どちらも純が書いたって言うと 驚かれたりもする
そのギャップを 堪能して頂ければ幸いである


こないだ、村上春樹がジャズをやっていて
それが 文章を書く上でもリズムのようなものに通じている
というのは、なるほど
と思った


純の場合はずっと 言葉あそびに特化した詩というものを
書いていて
それを 纏めたサイトに
ある時、知らない人から

実は詩が苦手なのですが あなたの作った詩だけは
読んでいて とても心地良く読めて驚きました

というコメントを書き込んで頂いた

それは はっきり つまり 韻律にこだわって
作っているので 
ちゃんとした裏付けがあるのだ

この韻律にこだわったものは
詩だけでなく エッセイにも及んだ
(内容は下品な下ネタなのだが)

ただの下ネタには 留まらせなかった
という自負がある

これは つまり 外国文学でいうところの
不思議の国のアリスの技法

それは 原作で読まないと
伝わらないのだが
(言葉あそびの醍醐味がある)

と、これだけ
ある意味 レトリックにこだわりながらも


文才とは レトリック云々や
語彙の豊富さ
などではなく、

言葉で 人のこころを 動かせる 才能である


言ってしまうのも 純である


ちゅらちゅちゅちゅ


その レトリックにこだわって書いたのが
以下の雑文である

雑文という名の 自慢話とも言うが、、、、


*** ***

初めてファンレターというようなものを貰ったのは
前略 ハタチの男さんからだった

「突然 ハタチのこんな俺に こんな事を言われるのも
なんでしょうが

あなたの文章に 何故かとても勇気をもらいまして
今からネカフェで 読めるだけのバックナンバーを読みます」

ハタチの男さんは 興奮していたのか あるいは ただ
ネット環境が悪かったのか
同じ内容の その文章が 続けて3通も届いた

そのうち
ファンレターというより、恋文ですよね これは
と、思える 凄いのもくるようになった

「1000人の君のファンより
一人の俺が 君を愛している  俺をちゃんと見てくれ」


みたいな

まあ こういうのも
ことごとく、批判もされるのだが


(ネットだから どうせ 顔を知らないからでしょ)

ううむ


だが、文章からは 必ず 透けて見える
何かがある

前略ハタチの男さんにせよ

「俺を ちゃんと 見てくれ」の 彼にせよ

人は 『みてくれ』 だけじゃない
そこから 伝わる こころ に 惹かれるもの
だとも 思っております


という
これはオチなのか(笑)



** **


土曜日の昼下がり
ここまで  見てくれた  あなたへ
たくさんのしあわせが 降りそそぎますように


ちゅらちゅちゅ

ちゅ





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