私はこの夜を忘れないだろう-新しい贈与論オフ会-

私が参加する団体には、日本弁護士連合会、自由民主党(いつの間にか党員になっていた。まあいいのであるが帰属意識はないし自民党も批判する。それこそ政治のあるべき姿であろう。そして裏金はまずは私に渡すべきである!!!これは断固として主張していきたい)などがあるが、その一つに「新しい贈与論」というものがある。
何人かは知らないが、さして少なくない人たちが集まって、毎月一定額を特定のところに寄附をするということだけを行う団体である。(勿論、運営額は引かれる。)

加入する前から、寄附はたまにしていたが、寄附=とりあえずいいことしました、みたいな風潮はあまり好きではなかった。
というよりも、時折する「寄附」という行為が持つ「変な感じ」に消化できないものを感じていた。

日ごろ、自営業者として「現預金!現預金!」と連呼する私が、なぜかたまに寄附をしていたのである。それは、梅田の陸橋でドラム缶をたたくお兄さんが置いている空き缶に投げる千円札でもあるし、地震が起こったときに赤十字?に送金した際の通帳の-1万円という数字であったりもする(嫁さんが福岡にいた時に熊本地震が起こったので思わず寄附をした)。小銭が邪魔なときに、コンビニの緑のプラスチックの箱に小銭を突っ込む行為も寄附であるらしい。マクドで小銭が回転する器に小銭を投げる行為も寄附であるという。マクドの営みは病気の小児に役立つ偉大な試みであるが、贈る方は無責任でもある。
普段、「一円に笑うものは一円に泣く」という気持ちで仕事をしているのに、寄附した時の貢献すら感じないこともない。とりあえず新地のお姉ちゃんに大金を渡す時のような罪悪感はない。
そして、それが何故なのかということは心の片隅にあった。

別の話である。
私と同年、25歳という若さの時に東証一部上場を果たしたリブセンスの村上社長が書いた本を読んだときのことである。「桂大介」という名前を知った。
そして、月日が流れ、ゼロ年代のニコニコ勢にとってはお馴染みである東浩紀氏が作った配信プラットフォームである「シラス」にも「桂大介」という名前があった。
この人はどんな人なのだろうと思った。
ググると、寄附を行う「新しい贈与論」なる団体を主宰していると知った。
集めたお金を投票で行き先を決めて贈与するという、善意なのか悪意なのかわからない試みに興味を持った。ある日、テンションが上がった私は、入会のフォームをポチったのである。

基本的に月一、寄附をするだけの集まりでもある。右派であろうが左派であろうが関係ないし、参加者の個別の考えはかなり異なる。しかし、そこに集まる方々が述べる考えは私にとって非常に新鮮だった。
すでに私も弁護士10年目、弁護士という職業に髪の毛の先まで浸かった人間である。
依頼者の権利を最大化する、負担を最小化するということばかりを考える私にとって、そこにおられる方々の考えは新鮮この上なかったのである。
「みんないい人やん」(これは私が普段関わる以下略)という驚きと、それぞれの個人が社会に関与することの意義を深く考えておられたことへの純粋な感嘆がそこにはあった。

投票の結果、自分とは異なる考えの団体に寄付がなされることもある。しかし、それもまた良い「誤配」と思えるのが不思議である。

さて、この度、新しい贈与論の単独オフ会(kifu barという試みとの共同オフ会はあったようである。)が関西で開かれ、僭越ながら準備の一助を担わせていただいた。移籍前で私の心がしんどいので、事務所でオフ会の作業をすることがどれだけこの数週間の私の逃げ場であったことか。

9人にご参加いただいた。

数十人の集まりのなか、9人が集まっただけのオフ会に何の意味があるのかというダルイ突っ込みはあるのかもしれない。
しかし、人が集まったときのインパクトは、数もさることながら、質も重要である。質が高かった。これまで人生で合コンなるものをしてきた諸氏に告げるが、そんなもんではない。皆様の人生が素晴らしいのである。
桂大介さんに参加いただいたこともうれしかったが、あと一人女性の方にも関東からお越しいただき、関西オフ会が開かれたのである。

同行してくれた方(初対面)が面白すぎたため、頭の良き当該同行者の誘導に乗って、下見の時には自由に話ばかりをしていた私であった。
しかし、本番はウンコもチンコも言わなかった(はず)。しかも、お店選びはgoodを頂いたようで、オフ会のお務めは果たせたかもしれない。

このオフ会がとても楽しかったのである。
なにより、二次会の後に二次会と同じ店に桂大介さんと舞い戻り、ウイスキーを飲んだ時間、そしてその後にホテルまでお送りした道中が忘れがたい。

桂さんは、道中、気になったものを写真にとるのであるが、とにかく車道とか気にしないのである。
「桂先生、信号赤です!」と叫ぶこと数回。人類の宝を轍の跡にせずに済んだが、「無事帰れるんか?」とちょっとドキドキしていたので、お宿に帰る姿にちょっとほっとした。

無事、宿まで送り届けた後、「桂先生がタクシー使わないのであれば私も徒歩で帰らねばならぬ」と西天満の宿まで徒歩で帰ったときにはすでにヨボヨボであった。頑張れ私の足腰。翌朝、レイトチェックアウトで1000円を払ったが、それは桂先生も同じであったらしく、「レイトチェックアウトとは懇意にさせていただいています」というツイートにちょっとほっとした。そうよね?と思う。

桂先生と話したことは私の宝物であり、ここには書かない。身体を動かしてその場にいた者の特権を使わせてもらおう。

とりあえず言いたいことは、「生きてりゃあ、そして頑張っていれば、いいことも偶にあるなあ」という新鮮な気持ちである。

当該オフ会では、皆様、素晴らしかったのだが、あまり個人を特定する形で書くこともできず、悩んではいる。しかし、後で多分書くだろう。参加者の方々がとてもよろしかった。
お恥ずかしきことに、オフ会に参加された方々がこれを見る可能性があるので、まあ恥ずかしさをしのびながら書きます。

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